平義隆 「ごはんの唄」
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先日、ある方から言われた一言がモヤッと引っかかっています。
「わたし、ひとりで食べるご飯の方が気楽で好き」
私もたまに出かける一人カフェランチでお気楽な気分転換をしているので
その方のお気持ちも非常にわかります。
誰と話すこともなく、
自分のペースで、自分の好きな物をモグモグ食べながら
ただただ自分の時間に浸る~という快感。
毎日、ドタバタと落ち着きのない生活をしている私には至福のひと時です。
ただ、なぜ私がモヤッとしたのかというと・・・・
大人はその”ひとりご飯”という状況を自分の意志で選択できるから別に良いのです。
(たまに、仕方なく~という場合もあるでしょうが)
子供は自分の意志ではない事の方が多いのですよね。
私が引っかかったのはそこだと思うのです。
子供食堂を運営し始めてから、子供達の”今”に接する機会が多々あります。
今まで知っているようで知らなかったこと。
知ろうとしていなかったこと。
私が子供食堂をしようと思ったきっかけも子供の孤食への危機感でした。
息子がアルバイトをしていたスーパーに
毎日、夜8時頃に値引きのシールが貼られたお弁当を買いに来る小学生の兄弟がいました。
最初の頃は息子もスルーしていたようですが
さすがに毎日となると気になってきたみたいで
「ママ!! あの子等は一体、どういう生活やねん?!!」
そんなもん・・・私に聞かれてもさぁ・・・・
大人のいない部屋で
冷たいお弁当を食べる小学生の姿が
私の胸に突き刺ささりました。
いろんな事情があるのでしょうが
お弁当を買うお金をもらっているだけでも
その子達は幸せな状況であることを後で知りました。
ご飯が食べられるだけで幸せ?
お腹がいっぱいになったら何を食べていても幸せ?
毎日、家で作ったご飯を食べている子はもの凄い贅沢なわけ?
私の心の中でいろんな想いが渦巻きました。
私の中のちっぽけな常識と正義が崩れた瞬間でもありました。
私に何ができるんだろう?
悶々としていた時に「子供食堂」のワードが飛び込んできました。
その時はあくまでも”貧困”という前置詞がついてきた感は否めません。
「子供食堂」という世界に出会って2年が過ぎました。
私には未だに”貧困”という状況は実感できていないのが事実です。
今の社会生活の中では見えにくいのかもしれません。
ひと昔前のように見た目だけでは判断できない難しさがあります。
”孤食”を救うという部分でも月に1度や2度の食堂では絶対的に足りないことも実感しています。
そんな中で聞こえてきた「ひとりご飯でも楽しいよ」的な発言は
違った意味で私の心に突き刺さりました。
大人は別にいいねん。
ひとりで食べようが、大勢で食べようが、自分で選べるから。
でも・・・子供は違うよ。
好き好んでひとりご飯を選んでいないよね。
ご飯はお腹がいっぱいになればいい。。。だけじゃないと思うのです。
特に子供達にとってのご飯の時間は
体だけじゃなくて、心にも栄養をあげる時間だと思うのです。
私達の子供食堂のテーマは「みんなでたべるとおいしいね!」です。
大きなテーブルをみんなで囲んでワイワイ言いながら食べることを大切にしたいのです。
私みたいなお節介なオバチャンが登場しなくても
その子はちゃんと大人になります。
ひとりでご飯を食べていても、大人になれます。
心配しなくてもしっかり生きていけます!
それでもね・・・お節介したくなるのです。
ごちそうじゃなくてもいいから
炊きたての白いご飯と熱いお味噌汁がおいしいね・・・って感じてほしいなって。
そんなん、どっちでもいいやん~って思われてもいいんです。
私は子供達がニコニコしながらご飯を食べている姿を見ているのが好きです。
「おばちゃん、おかわり!」って言ってくれるのが嬉しいです。
自分が楽しくて仕方ないので子供食堂を続けています。
自己満足やろ~って言われても良いのです。
自己満足! 上等です(^_^)v
世の中にはいろんな価値観があって、人生観も色々あって
何が正しいとか、何が大切とかって人それぞれだと思います。
私は私が大切にしたいことを子供達に伝えていきたいです。
誰かの心にかけらでも残ってくれたら本望です。
毎日の何気ないご飯の時間がとっても大切だと私は信じていますから。
12月15日(金)10時~ 「障害者のママ達のお話お茶会」です。
「障害者のママ達のお話お茶会」のお申し込みは
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