back number - 「ハッピーエンド」
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先日の「障害者のママ達のお話お茶会」での話題のひとつでした。
”普通”のレベルは誰が決めたの?
”普通”って何がどうなったら”普通”なわけ?
”普通”でないとダメっていう意識って変じゃね??
”普通”ってなんでしょ?
特に障害を持っていると「普通と違うから」って言われます。
ず~~~~っと”普通って何やねん?!”と思って過ごしてきました。
”普通”の線引きって一体、誰が、どうやって決めるんでしょう?
人間って、それぞれに得意、不得意があるでしょ?
それこそ、万遍なく、全てにおいて完璧な人なんているはずないのに。
そこに”普通”という訳のわからん概念が登場するのです。
Aという事柄に対しては”普通”だけど、Bに関しては”普通”以下、でもCにおいては絶賛バリバリ”普通”以上!みたいな人って、線で表すとギザギザにならない?
(変な表現ではありますが、他に言い方がわかりませんよ・・・)
みんながギザギザなのに、どうして”普通”っていう一本のラインで区切ろうとするんでしょ?
なっちゃん達のように知的障害があると
たとえば、算数なんて全くできないわけです。
要するに”普通以下”のレッテルが貼られるわけよ。
普通じゃないと違う扱いを受ける気がする・・・・
「右向け右!」の号令で右を向かずに左を向いてしまう子は変な子だと言われる。
もちろん、社会性とか、協調性とか、その手の言葉を持ち出されると
左を向く子は協調性の無い子なのかもしれません。
要は、みんなが同じように同じレベルで同じことをできるようにならないとダメ・・・みたいな風潮をものすごく感じてしまうのです。
そんなに一緒にできないとダメなもんだろうか?
そうやって、できないところをずっと突かれて
できないところをできるように指導されて
それでもできないと”変”とか”ダメ”とか言われてしまう。。。
その方が変だと思っている私が変なのかな?
なっちゃんは算数はできないけど
「こうするんだよ」って教えられたことは最初から最後まできっちりできます。
関係ないかもしれないけど
なっちゃんの家での仕事は「作業所から帰ってきたら洗濯物を取り込んでたたむ」ことです。
雨が降ってても、風が吹いてても、ピアノのお稽古に行かなくちゃいけなくても
なっちゃんはいつもきっちりと洗濯物をたたんでくれます。
これって・・・・凄いと思うんだけど。。。。
そんな風に、その子の『できる事』にもっとフォーカスしてくれる世の中にならないもんでしょうかね?
みんなと同じようにできたらOK。
みんなの意見に同意できたらOK。
異論を唱えると叩かれる(”異論”の方が人数が多ければそれが”正論”になるの?笑)
右向け右で左を向くと除外される。
障害を持っていると”普通”のラインに届かないことがいっぱいあります。
それでも、”普通”以外のところで彼らはキラキラした才能を発揮します。
でも、”普通”じゃないから、その才能は見向きもされません。。。。
こうして、ここに書いているだけでもだんだんわからなくなってきました。
”普通”が正しいのですか?
”普通”ってなんですか?
人はみんなその人の役目があると思っています。
”普通”じゃなくても、みんなと同じことができなくても
その人の役目がちゃんとあります。
できないことができるようになることも立派なことかもしれないけれど
できることをもっともっとできるようになった方が楽しいと思うんだけどな。
金子みすずの詩が好きです。
「みんな違って、みんないい」
一人、一人の個性をもっと認められる社会にならないかなぁ。
”発達障害”っていう言葉も違和感を感じます。
なぜ、それが”障害”なん?
「障害者のママ達のお話お茶会」では
こんな話題も出てきて、
みんなで意見交換もしています。
自分以外の人の感じ方を知ることはとても貴重な機会です。
上っ面の社交辞令ではなくて、本気の意見が出てくるから面白いです。
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