人生の扉
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母がいる施設に行ってきました。
いつもの如くに、何度も聞いている昔話を
初めて聞くような顔をして
”ふん、ふん”と相槌を打って・・・
それでもそんな時間が愛おしく感じられます。
その昔話の中にいつも登場する人達がいます。
母曰く、「絶対に許されへん・・・!」そうです(-。-;)
いっぱい、イジワルされたこと、嫌味を言われたこと、イヤだったこと・・・
私自身の幼い頃の記憶の中にもうっすらと登場するそれらの場面があります。
私でさえも覚えているくらいですから、当時の母には相当なインパクトだったのだろうと推測されます。
恐らく、今の私の年よりもずっと若かった母が
耐え忍んだ日々が未だに根深く残っているのでしょうね。
その人達がいなくなって自由になれているはずなのに
今度は自分自身が思うように動けないって悲しいよね。
でもさ・・・そのイジワルだった人達はみんな先に逝ってしまったから。
もう誰もお母さんにイジワルを言う人はいないから。。。
もうこの世にいない人を憎んでも仕方ないから。。。
それでもなお、母の中ではその人達を許すことができない自分自身への憤りもあるみたいです。
無理に許さなくてもいいと思うよ。
”許さない”自分を自分で納得すればいいと思うよ。
でも、母にはそれもできないみたいです( ̄_ ̄ i)
そんな母を見ていて
思わず「ありがとう」の言葉が出ました。
母は妙な顔をしていましたが(何が”ありがとう”なのかわからない^^;)
「ありがとう」しか言えませんでした。
何十年経っても許すことができないあれやこれやの出来事を
母は”耐える”という姿で私達、子供の事も守ってくれていたんだな・・・と思えたからです。
恐らく、あれやこれやの中には私に向いていた矛先もあったことでしょう。
母が生きた時代は”耐える”ことしか許されなかったのかもしれません。
今のように自由で多様な生き方ができなかったのかもしれません。
”許せない”人が未だにいるって・・・切ないな。
最近、「セルフハグ」の考え方を学びました。
いいことも、悪いことも、全部ひっくるめて”自分”を認めてあげることの大切さ。
知らず知らずにいっぱい着込んでいた鎧を叩き割る(ある意味)勇気。
母が学ばなかった(気づかなかった?)生き方なんだろうな。
それでも母は自分自身の人生を懸命に生きてきたんだから
それはそれで幸せなんだろうな。。。なんて
一生懸命に話をしている母の顔を見ながらとりとめもなく思い巡らせていました。
私が母の年になった時に
どんなおばあちゃんになってるんでしょうね?
どんな昔話をするんでしょうね?
もの凄い能天気なバアサンになってる気がするなぁ(笑)
さて、私はもう少し自分の殻をコンコンと叩いて割りながら
(まだまだ割る殻が残っている気がしますよ)
自分の人生、楽しんで歩いていきましょうね。
まだまだ楽しめそうな予感が満々です。
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