グールドのバッハ全集boxがネット販売で手に入った。
SACDとCDのハイブリッド盤だ。
グールドは、1932生まれ、カナダの天才ピアニスト.
クラシックファンなら名を知らない人は(たぶん)いない。
カナダでは1946年にコンサートデビューしている(14歳だぞ)。
1955年1月2日にアメリカでコンサートデビューした(23歳)。
場所は、D.Cのフィリップスギャラリーという美術館.
いわゆる、日曜コンサートのような気軽なもので、当然タダだ。
無名の新人だから、人もせいぜい数十人だったという。
でも、さすが首都だ。ワシントンポストの音楽評論家の目に留まり、
「これ以上のピアノ・リサイタルが今年現れるとは思えない」
原文
January 2 is early for predictions, but it is unlikely that the year 1955 will bring us a finer piano recital than that played yesterday afternoon in the Phillips Gallery. We shall be lucky if it brings us others of equal beauty and significance.
と、最上級に絶賛する記事がワシントンポストに出た。
その後の数日間、NYの街角のホールでも、ピアノを弾いたという。
そのコンサートを聞きに来たのであろうか、コロンビアレコードの
プロデューサーから、終身独占契約を持ち掛けられた。
版権を完全に独占する代わりに、異例のギャラ、プロモーションはいたれりつくせり、
録音作品の決定権はグールドにゆだねるという破格の特典がつく
契約だったようだ。
そんな契約を断るバカがいるはずがない。
彼も当然契約を締結したが、それが同年5月。
そうして、彼は23歳(1955)でメジャーデビューする。
そのデビュー盤が、バッハ/ゴールドベルク変奏曲だ。
今回のboxにも、SACD/CD ハイブリッドで収録されている。
この作品は、30番街スタジオで収録が行われた。
教会をスタジオに改築したもので、高い天井が独特の響きをもたらす。
このスタジオの実績は、イギリスのアビーロードに匹敵するすごいもので、
聖地だ。こんな感じ。気絶しそうになる。
1957年 バーンスタインのウェストサイドストーリー
1959年、マイルスの Kind of Blue
1965年、ボブディランの追憶のハイウェイ、
サイモンとガーファンクルのサウンドオブサイレンス
実にすごい。
今年のフランスのワールドカップのメンバー並みに豪華だ。
探せばまだまだあるけど、多数の名盤がここで生まれた。
記憶では、クラッシュのようなパンクグループでも、
このスタジオの響きを求めて録音したと思う。
そうそう、ピンクフロイドのThe Wallもここなのだ。
(1981年にコロンビアレコードの財政難から閉鎖された。。。
SONYは1988年に音楽部門を買収したが、これがあと8年早ければ、
この名スタジオは残っていたと思う)
さて、グールドに話を戻す。
彼は神経質で知られるが、最初の録音時から、独特の儀式をしていたようだ。
ピアノの周りには、体調管理に使う大量の常備薬を並べていた。
手湯、を10数分行い、温めてからピアノに向かった
鍵盤を見上げる低い椅子で演奏をした
室温は厳しく管理させ、わずかの隙間風もはいらないようにさせた
(これは、録音の風音を防ぐということではなく、
ひたすら神経質である理由だと思う)
ピアノの技法も、独自のものだ。
ペダルを踏まないのだ。
(だから、ピアノらしさを出せる残響は出ない。
これはリズムを強調するジャズの技法だ
ただし、スタジオの響き、は空気録音される)
演奏中に歌う
オーディオ的には、この歌をいかに聞き取るか、という面白さにつながる。
一発どりをしない。
(細かく録音テイクを分けてバリエーションも撮る。これは当時の録音手法ではない。
今のようにコンピュータがないので、ミリ単位で正確につなげるのは難しいから。
その編集作業はグールド自身がやったようだ)
まるで、チューブラベルズ(マイクオールドフィールド)や
アイムノットインラブ(10cc)のようだ。
録音は4日で済んでいるが、編集には、数カ月かかったらしい。
そして、出てきた音は、その斬新さに世界を驚かせた。
カラヤン、バーンスターンも注目した。
欧州でのコンサート依頼も殺到した。
成功が、もう約束されている。
普通は、そうかそうか、と思うでしょ。
どんどんコンサートに励み、世界中ツァーで回るでしょ。
この天才も、最初の6年はそうした。
コンサートに精力を注いだのは、この6年間だけだった。
その後、コンサートは死んだ(1964)」、と言って、
一切のコンサート活動を停止したんだ。
彼自身、ストイック、神経質、孤独を愛する人で、コンサートを
やめるに値するいろいろな事件があったようだ。
バーンスタイン
NYフィルとのブラームスPコン1番、を1962年にカーネギーホール
で演奏する際、バーンスタインが前代未聞のスピーチを観客にしている。
「これから演奏する曲の解釈には同意できないが、グールドの
芸術性を尊重し、あえてそれに沿って指揮する」と発言したのだ。
圧倒的に遅いテンポを主張するグールドと、バーンスタインの曲の
解釈が乖離していたためだ。
こうした見解の相違は、普通は表に出さないが、あえて出すのは、
プロモーション効果もあろう。
でも、そうしたプロモーションのためのショーが、
グールドを嫌気させたようだ。
他にもある
グールドのリハーサル最中に、ピアノ調律師が背後から近づき、肩をたたいた。
いきなり他人に(しかもふいに)触られたグールドは発狂したという。
肩に重症を負った、として、 スタインウェイと調律師を相手に30万ドル
(いまの物価に修正すると5億円)の損害賠償訴訟を起こしたのだった。
(結局、9600ドルの和解金で収まったようだ)
背後を突かれることを嫌い、握手を拒否し、道具にこだわり、でも常に100%の仕事を行う。
ゴルゴ13と同じである。
この騒動で、グールドはスタインウェイを毛嫌いするようになり、81年版のゴールドベルク
の録音は、YAMAHAを使った、という。
