最近、VIVANTにハマった。
テレビのない家でドラマにハマることなんて、まずないだろうと思ったら、今はアプリで視聴できるのね。
何気なくシーズン1を観たら見事にドボンして、毎週日曜夜9時は、いそいそとスマホの明るさを上げて画面をヨコにしている。
最近はあまり出かけず、少し浮世離れた生活をしているもんで、腹の肉がヤバいと夜の散歩を始める。
昔から歩くのは好きで、何かと歩く機会も多かった。
小学校のときは集団登校で2キロ、中学高校の下校は徒歩でバス4区間スキップ、大学は往路40分。
社会人で横浜の、最寄り駅徒歩20分の家に住んだときは「もう坂を歩かずに済む」と嬉しかった。
それも数年で関西に戻れば坂のある暮らしに逆戻り。
千里のお山は東西南北どこを向いても避けられず、引っ越した先の宝塚の家はバスがなくなれば文字通り登山、明石に至っては駅の改札が崖の上で、どこへ行くにも帰るにも傾斜角度が悪化した。
そして、熊本に来て6年。
平坦地で駅徒歩十分未満、二線使えてバスもあるという、初めは夢のようにも思えた立地での暮らしにもすっかり慣れたけど、こうして振り返ると、文字通り坂の多い人生だったなあ、なんて思う。
引っ越しの多かった人生で、坂がない家は「自分で見つけて選んだ物件」だった。
他は実家だし、明石は不動産の人が見つけた物件。
つまり、私が自ら「ここ」と選んだ物件は、「歩むのに難のない場所」だったことになる。
しかも、どちらもフシギにカンが働き、ご縁があったのを覚えている。
自分の心地よさにスナオになれば自然と助けが入る
ということなのかもしれない。
そんな「神さまにご用意された物件」は、実際いろんな意味でタフで、これまでの水害やら地震やらの被害を微塵も被っていない。
30分も歩けば市街地だし、県外に出るのもアクセスがいい。
まさに「巫するための家」ながら、別に引きこもっていても支障がない。
今はまだ、殻に籠もっている面を修復中。
唯一無二と異端と孤立
これまでの「あるべき像」は、これからは自分の姿や個性に合わせて変えられる
今日、浮かんできたこと。
何もガマンせず、ただありのままで自由にいられる。
自分には無縁だと諦めていたことに、目を向けたら生活の彩りが増えて、いつの間にか「安心して戻ってきたい家」になっていた場所から、私が表現すること。
ボトムネックは「取り返したい未練とその執着を手放す恐れ」かな。
そう生きてきたことも知らず、隠そうとしてももはや目を背けられず、まっすぐに未来を見る目としがみつきの葛藤のなかにいる。
もう新月タイムに入ったから、そろそろ「今の自分」の自己表現に重きを置けるようになるといいけど。
