巫(かんなぎ)紗妃です。

今回は、個人セッションへの想いについて語る記事。


これまで何度も記事にて書いてきましたが、改めて「大学を出て会社に就職する」という、ごく普通の進路に沿っていた私にとって、突如として開かれた「巫に至る道」は、まさに晴天の霹靂でした。


自分に何が起きているか、わからない。
これからどうすればいいか、何も知らない。

誰かに聞いても満足のいく答えは得られず、スピリチュアルな文献を当たっても求めているものはなく。


その間、霊的感覚に付随する精神的な症状のみならず、根幹に抱えてきた認知の歪みや刷り込みによる価値観まで見直さざるを得なくなります。

「そこで何ができるか、どう進むか」という先行きも全く見えないなか、その道のりは孤独がつきまとう暗中模索、試行錯誤の連続で、信じられるのは己自身の感覚のみという有り様でした。


でも、今ならわかります。
私は「魂を照らす」という目的を果たすために、これらの経験が必要だったのだと。

自分の直感に従い、本来の生きる道を照らすのには、「人がどこでつまずくか」を知らねばなりません。
人の魂を照らすためには、まず自分の魂を照らす経験が必要だったのです。


現実のウラで起きていること。
全ての答えは自分の内なる答えにあること。
そのために神さまの働きかけがあること。

それを知るために、およそ人生をかけた「神さまのレッスン」を受けていたことがわかり、その壮大な計画にありがたいやら、複雑な気持ちにもなるやら。


でも、「魂を照らしたい」という願いは、私が巫にならない限り、知り得なかったことでもあります。

魂の目的は、その道を進んだときに初めてたどり着く

それを我が身で実感することもまた、必要だったのでしょう。

知らないのに、知っていた。
知らなかったのに、「私の願い」だとわかるもの。

魂の道を行くことは、ごく個人的な感覚で、その人にしかわからないものです。


一方で、自分の目指すところと現実との乖離により、葛藤が起きたりして、中々前に進み難いことも確か。
とくに、本来の生きる目的が今いる立ち位置とは全く別のところにある場合は、恐れや不安として出てくるものです。


でも、必ずその向こう側に道はあります。
ならば、その現実的あるいは心理的ギャップをどうにかして、埋められないか。
私から答えではなく、自分の内側による答えを引き出す「考え方」を渡すことができないか。

そうして、私から出した答えが「個人セッション」です。

「自分が本当に求めているもの」を知るために、現実と霊的な流れの両面から橋渡しする。
それも私の「魂の情報整理」と神さまの「霊的調整」によって、魂の道へと架け橋をつなぐために。


正直、こうして自分の魂の願いを出すのも初めてで、どんなセッションになるかはわかりません。
ただ、魂の道に近づくための「具体的なステップ」をお渡しすることはできると思います。


初めて来る方は、どんな人でしょうか。
まだ見ぬあなたの魂と出会い、照らす日を神さまといっしょに心待ちにしています。


巫と神さまの個人セッション

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