こんばんは。
神さまインタビュアーの紗妃です。
時折アタマ真っ白になりながらも、ここはプロセスを引き受ける所存ー!
…と、毎日のように踏ん張っています。
よっぽど「無力『感』」や「恐怖『心』」を引き受けたくなかったんだな…。
それは私にとって現実になること、「無価値な自分になる」ことだと、思っていたから。
そんなワケは、ない。
むしろ、そうなったらノーベル賞モンの大発見だわ。
では、さっそくインタビューをどうぞ☆
◆「できない」のワナ。
今日の進捗は?
ええと、私にとって「できる」の意味が、自分の思ったとおりにできない=できないって超絶カンペキ主義な観念だったことに気づきました。
それは、「できない」ねえ(笑)
できないね!
…とか、あと「半分できた」も「半分しかできなかった」と捉えている自分もいたよ。
「できてない」ねえ(笑)
あと、可能性と選択、状況の混同もあったりしてね。
それは生きづらいわ…ってんで、手放しました。
お、それはちょっと聞きたいかも。
まとめると、こんな感じ。
【前提】
・できない=(どんな状況であろうとも)許されない
・できる(能力)=しなくてはいけないこと(義務)
→できない(可能性と状況、能力)、しない自分(選択)は許されない
その結果↓
・状況/状態としてのできない
=「したくない」と認識
・「しなかった=自分のワガママ」と思い込む
・無価値、何かしら悪いことが起きるという思い込み
=存在無価値になる不安が起きる
ここには「可能性がない」ね。
そう。できる可能性もできない可能性もないのよね。
ホントはあるはずなのに、度外視していたよ。
世界観や価値観はどう?
それが、また引っかかってんだな、これが…
◆オヤに支配されている前提
誰かの承認(許し)を得る必要がある、の根本原因かな、とも思うんだけど。
それは、もう幻想でしかないね。
そう、すでに過去であって今の自分の現実にはない。
…が、アタマの理解だけに留まって解放まで行かない。
「現実」を見るのが怖いのかな。
そうかもしれない。
見たら、何が起きると思っているんだろう?
「孤立する」と浮かんだけど…
それってホント?
いや、思い込みの虚構だね。
ただ、「手放すのに誰かの許しが必要」って思っているかもしれない。
それって、誰が決めたの?
アレ、ホントだ。自分でしかないね!
なら、手放すしかないのでは?
うわ、なんか認めたくないという気持ちが…
それをさっさとやる。
ひぃ…そうよね、「許すことも、手放すことを引き受けるのも自分にしかできない」だもんね。
そう、そのとおりだよ!
できるかどうかじゃなくて、「する」んだよ。
条件にしがみついて手放せない、と思っている自分がいるけど頑張る!
いや、頑張らなくていいから。
しがみつくのを手放したらいいだけで。
いやーーーコワイーーー!!
何もコワくないでしょ。
現実には恐れることは何も起きないんだから。
ずっとそれで生きていたら、いざ手放すってなると恐怖で手放せないもんなんだね。
それでもいいから、さっさと手放すんだよ。
その後のことは、あとから決めたらいいんだから。
ううう、存在無価値にはならない現実に脅威はない誰かに代わってもらうことはできない条件もいらない…
(ぶつぶつ)
だいぶ病んでるな…。
生理現象!
それでも、意志と魂のチカラの方が強いんでしょ。
あ、そうだった。忘れていた。
「見放されることは、もうない」んだって。
そうだ。それも幻想だった。
早く次に行ってほしい、マジで…。
(続きます)
かなりグダグダですが、根源的に根付いている恐れを解放するのは、こんな感じでホントに亀の歩みになります。
「『自分の現実』はそうじゃない」とアタマでわかっていても、です。
ひっきりなしに出てくる恐怖心、はたして乗り越えられるか…?
いえ、ここまで来ると、もうしないという選択肢はありません。
「できる可能性」を信じて「する」しかないのです。