巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 
出雲から帰った翌日は、爆睡していました。
以前は疲労が出るまで数日タイムラグがあったので、自己感覚がきちんと戻ってきたのだと思います。
 
 
最終日から3日間は雨でした。
最後の最後まで、浄化してくれたんだなあ。
 

2024年の出雲旅は、ひたすら自分をゼロに戻す旅でした。
霧島の旅の続き、とも言えます。
 
新たな流れに向かうために、いかにエネルギーをクリアにできるか、滞ったものを大掃除できるかが、ここ数ヶ月の要です。
 
 
ですので、今年の出雲旅は始まりから、得るよりも「捨てる」が焦点に当たっていました。
旅の最初に行く神社もそう。
 
今年、いの一番に向かったのは、縁切りの神さまのいる田中神社でした。
 
 
 
例年は、旅が始まると熊野大社で「火」の力を分けてもらっていました。
今年は、自分の中にある「過去の糸」を切ってからでないと、熊野に向かってはいけない気がしたのです。
 
自分で、無意識にしがみついているもの。
今すぐ手放せないにせよ、この旅のどこかで、知らずうちにでも流せたらいい。
振り返る過去も、思い出す記憶も、それを「成功体験」や「情けを乞う言い訳」にせずに、思い出のアルバムにしまえたらいいと思いました。
 
 
「過去」の「誰か」に合わせたやり方や動機では、もう進めない。
これからは「今」の「自分」の価値基準で、生きていく。
 
 
私が手放しを進めていたのは、そんな自分の、魂の衝動からとも言えますが、個人としての確立が必須となる「風の時代」を生きるための術でもあります。
 
 
神さまの後押しは、今の流れに乗せてくれる「開運」です。
でも、その中にある、なんなら開運の根幹にあると言っていいのは「厄除け」です。
内側にある厄を払うのも、「運を開く」うちに入ります。
「囚われている過去を払う」ことも、立派な開運の一つです。
 
 
過去に縛られず、ただ自分のありのままの自由を思い出す。
それは、たとえ経験がなくても「在る」もの。
 
元の姿に戻るのに、戻るのが「過去」ではなく「未来」であるというのは、不思議なものです。
 
本来の姿に戻るのは、かけがえのない自分の気持ちを大切にできることであり、未来への希望に満ちたものであり、そして今ここで自分を満たせる力を持つことでもあります。
 
 
神さまは、自分が自然の一部であり、自然が自分の一部であると知っています。
 
人もまた同じ、なのです。
ただ、「自然の一部であり、自然が自分の一部である」ことを忘れているだけ。
 
 
とくに風の時代は、多様性に満ちているだけに情報が氾濫します。
なぜなら、「人の数だけ答えがある」からです。
「無難な道」は、そもそも大勢が選ぶもの、倣うものであることで安全を担保します。
それが細分化すれば「難がない道」が、いくつもあることになります。
 
ただ一方で「コスパ・タイパ」と言われるように、労力や時間の合理化で「安全策」を見出す流れもあるでしょう。
その「自分の労を惜しんで得たもの」が、この先も有効化と言えば大いに疑問が残ります。
自分では何も実践していない、挑戦していないからです。
 
自分の願いは、自分で叶えるしかない。
なにより、自分の願いを自分で見つけて叶えられる自分でありたい。
 
 
「現実」というまばゆい光に目が眩んで、自分の居場所を失ってしまっても、そこに変わらず「在る自分」を思い出す。
いつだって諦めなくていい自分になること、自分への誠実さを取り戻す。
 
 
それが現代の神さまの後押しであり、「厄除け・開運」の力です。
ゼロにすることも、リセットすることも、長い目で見て大きく飛躍につながります。
 
 
過去は変えられなくても、捉え方は変えられる。
執着するのは、自分の捉えきれない「囚われ」があるのかもしれません。
 
 
「運気ポイントメッセージ」でも、来年の運気の流れと共に「流れの掴み方」をお届けするので、もしかすると囚われた過去を発見するいいヒントが見つかるかもしれません。
 
 
 
なお、出雲の神さまメッセージは今年も出します。
今回は神さまメッセージと神さまレッスンの二本立てでお届け。
 
とくに「出雲の神さまレッスン」は、出雲の神さま達による「開運レッスン」となりそうです。
ぜひ、楽しみにしていてくださいね!