ただいま霧島の神さま旅、連載中です。
 
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11. 桜島と魂のリトリート 

 

 

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いきなりですが、最終日のお話。
 
 
 
フェリーに乗り込むと、一番前のド真ん中が空いていました。
やったね!私の席☆・・・と都合よろしく意気揚々と座ります。
 
 
このとき突然、私は過去にある人に言われたことについて、怒っていたことに気づきました。
「もしかしたら自分の勘違いかもしれない」「別の意味があるのかもしれない」と理由をつけて、ずっとガマンしていたのです。
怒りを感じることと表明することも混同していました。
 
でも、勘違いだろうが「怒りを感じた」ことは事実なのです。
それを相手に出すかはさておき、その怒りを抑えることはありません。
そんなわけで私は船に渡る間、プンスコしながら桜島を目指したのでした。
 
とはいえ、神さまの元へ向かうには、もう少し落ち着いた方がよさそうです。
 
 
桜島に着いたら、まず温泉に行きました。
どうも、この旅では温泉に浸かるのが一番、自分自身の浄化になるようです。
霧島でも、温泉に浸かった後は必ずと言っていいほど、何か観念の手放しが起きました。
 
 
それだけ、自分の中でなかったことにしてきたことや、抑えてきたことが多かったんでしょう。
タンクにたまった泥を抜いたら容量が増えるように、観念を手放すたびに使えるエネルギーも増えて、自分への信頼も増していきました。
つまり、不要な観念とは自分への不信感の表れでもあります。
 
 

 
思いのほか湯に浸かる時間は短く、ご飯を食べてから月読神宮へ。
 
私は祈るのが好きだな、と思いました。
 
普通、人が祈るときって自分が無力なときだったり、自分では手の届かないことに対してだと思うのですが、私は祈るときに自分を無力じゃないと思えるのです。
 
きっと、それは巫だからなのかもしれません。
祈ること。それが、私にできることであり、祈りの力は神さまと通じること。
 
とくだん意識したことはありませんが、私はそれを魂の底で知っていたのでしょう。
たとえ、意識の上では疑っていたとしても、それは表層のことだけで、本当は祈りの力を受け入れていたのです。
 
そうでなければ、巫を仕事として続けられるはずがありません。
ただ、私は認めることができず、自分への信頼が足りていなかったのでした。
 
 
 

 
街に戻って、ホテルに預けていた荷物を受け取って、帰りのバスを待ちます。
鹿児島では週末、大きなお祭りがあるようです。
ハデに電飾が施された電車が通っているのを見て、あわてて撮ろうとしましたが失敗!(笑)
 
 
新幹線の方が早くても、バスは家の近くまで来てくれます。
移動の体力を少しでも減らしたいし、どうせバスで寝るに決まってる!
はたして、その予想は少しだけ当たり、気づいたら熊本に戻っていました。
 
 
長く続いた霧島の神さま旅は、これにて終了です。
初めは2泊3日の予定だったのに、こんなに長くなるとは思いませんでした。
これも、日頃から支えてくださっている皆さまがいるおかげです。
 
とくに今回は、「人から助けられ、信頼されていること」をとくと実感する必要がありました。
なぜなら自分を信頼しない限り、それらをなかったことにするからです。
 
助けられることも、信頼されていることも、何かが必要なのではなく「私だから」、ただそれだけの理由なのだという、それを落とし込むことが自己解放の要でもありました。
 
 
次の「後記」で、霧島の神さま旅のレポートを終わりにしたいと思います。