こんばんは。神さまインタビュアーの紗妃です。
予告通り、本日お届けするのはアソツヒメさまとの会話です。
いつも何の打ち合わせもなく始めるんですが、今回は「観念の手放しのプロセス」をお見せすることになりました。
私にとっては公開処刑だぜぇ…!
長くなったので前後編に分けます。
では、早速インタビューどうぞ☆
◆やっと終わった…
いや、もう疲れた。
不合理な観念に、結びついている恐れやら不安やら、そして保険をかけたい危機感やら…が、もう4トントラック3台分あったんちゃうんかってくらい山盛り。
今年だけでノートを3冊も消費した…
もうなくなりそうだから4冊目も注文した…!
まだ、ありますよ。
うん、知ってるうう…!
あと少し、それも大岩がドドンと立ちはだかっているー!
そうでもありませんが。
あ、そう…。
ってか、久しぶりに話したら意外とドライ。
初会いが素じゃなくて、こっちが素なんかな…。
どっちでもいいではありませんか。
どちらも、ワタクシなので。
それは、そう。
◆水と火の浄化力に支えられて
うーん、「下行く水」とは古語で言うところの「無意識」なんだけど、なんだか阿蘇山から流れてくる地下水と重なって、だいぶ無意識から支えてもらっていたなって気がする。
とくに自分で気づくのも手放すのも難しい、恐怖心に囚われてしがみついている観念を解放するのに、ずいぶん助かったよ。
そうでしょうね。でも、その地下水の清らかさを支えているのが阿蘇の「炎」です。
その炎の力を得ているからこそ、不合理な観念に気づく浄化力が保たれているのですよ。
あ、そっか…火も水もどちらか一方ではなく互いを支え合う、両立しているものなんだね。
そうです。そして、それは浄化力のみならず、恵みをもたらします。
あなたの内なる力を育てることのできる力。
自分で自分にこそ豊かさをもたらすことができる、という確信を持つに至るのです。
あー…それは、そう。
これまで私は、自分軸があると思いこんでいたけど、本当は他者軸で、自分と他者とを取り引きしながら関わっていたんだよね。
「そこで得られるものは、限られている」ことに気づけたのは大きかったな。
互いに尊重しあえる関係を築くのが、どういうことかわかった、というか。
結局はこれまでって、迎合と主張のバランスを取っていただけに過ぎないんだよね。
そもそも他者の顔色を窺うのが、一番いらなかったんだよな…。
そうですね。本当の意味で対等な人間関係を築くのなら、合わせるよりまず尊重なのです。
また、尊重することを自分に許し、選択できるか…ということでもあります。
そうなんだよね!
尊重するって相手と対等になることだし、それには自分で選択することが必要で。
さらに、それができるようになるにはまず、自分を信頼しなきゃいけないから、自尊心を回復させることが必要だったんだよね。
観念を手放すたびに、自尊心の回復や自分への信頼が深まったと言えるよ。
まだ、ありますけどね。
もう、そろそろ終わりますよ。
自己信頼を回復しきっていないと、前に進めませんからね。
そう…。
なんか、自分のこだわりが信頼回復を阻んでいるような気がする。
でも今時点で、何にこだわっているのか、わからないんだよね。
そうですね…
たとえば、「お金」とかどうですか?
え、お金?
◆お金にまつわる観念
そうだね…
私は、これまでお金は「人から与えてくれるもの」で、「自分で稼げる、手に入れられるもの」と見なしていなかったんだよね。
だから、仕事をしていても自分のチカラで手に入れられている=仕事にできている、という実感がとても薄かったように思う。
今なら、巫を受け入れたこともあって「自分の仕事」として引き受けられているし、「自分で手に入れられるもの」には、なっていると思う。
甘い、とても詰めが甘いですよ。
え!そーなの?
なんで、そこで「人から与えられる可能性」を排除するんです?両方でいいではありませんか。
そ、そうか…。どっちか片方じゃなくて「両方」の可能性を引き受けたらいいのか。
「こだわるから真実が見えなくなる」とは、こういうことなのです。
た、確かにー!
そっか、私が「結婚をしていない」って焦らないのは、求めてもいないけど、拒んでもいない。
できないとも思わなければ、出会いにもこだわっていないからだもんな。
…で、でも、お金は生活必需品ですし…?
ホラ、お仕事はがんばらないと、口開けて待ってても手に入らないっていうか…!
なんで「頑張らないといけない」んです?
「自然体で手に入れたらいい」じゃないですか。
ぐふぅ…ッ!そ、それは確かにそう…!
なんかイヤな汗かいてきた。
※ここで予告を書きました。
ほぼ現実逃避もとい、向き合う回避行動です。
◆観念を手放せない理由
あい、ここで「お金は頑張らないと手に入らない」と思っていることに気づけました。
じゃあ、もう手放していいですね。いいですか?
はい!モチロ…ン…?
アレ、なんか手放しちゃいけないと思っている自分がいるな。
それは、なぜでしょう?
どうして自然体の自分では手に入れてはいけないんですか?
なんでや、自分!なんでなんや…!
え、と…「実力を過信したくないから」?
自分自身による自分への実力の評価と、お金を手に入れる方法に、なんの関係があるのでしょう?
ありゃ、ホントだ。
言われてみれば、そうだな。
「自然体の自分では手に入らない」と思っているからか?
そうですね。
あと、「自然体の自分にお金を手にするチカラはない」?
それもありますね。
まとめて書き出しましょうか。
【お金に対する観念】
・お金は頑張らないと手に入らない
・自然体の自分にお金を手にする力はない
…で、今気づいたけど
・お金は頑張らなきゃ、手に入れてはいけない
・自然体の自分で、手に入れてはいけない
っていう「禁止事項」があるな。
つまり、まず見直さなきゃいけないのは「自分への禁止事項」なのかも。
そうですね。では、やってみましょうか。
◆禁止事項を見直す
つまり、私は「お金を手にするには『条件』が必要」だと思っているんだよね。
・お金は頑張らなきゃ、手に入れてはいけない
・自然体の自分で、手に入れてはいけない
そもそも、大前提として「私はお金を手に入れてはいけない」という観念があるな!
いいですね!続けましょう。
え、なんでじゃ?
お金を生活必需品とか言っときながら、「手に入れちゃダメ」って、これじゃまるで自分で自分の世話ができないみたいじゃんか。
どうも、「お金に対する罪悪感」もある気がする。
心当たりは、ありますか?
あるな…。あぁ「オヤから愛情の代わりに与えられるもの」で、その与えてくれるというのも条件付きだったんだよねえ…。
つまり、
「オヤからの【愛情=お金は条件付き】であり、無条件で受け取る資格が自分にはない」
そして「与えてくれるもので満足するしかない」
ということでしょうか。
そういうことになるね。
それは事実でしょうか?
そもそも、今オヤは関係がないな。
刷り込まれた思い込みだった。
ですよね。
別に与えてくれるものにしなくていいし、条件をつける必要もないな。
ですね。
私はお金を無条件で手に入れていいし、手に入れる方法に、こだわらなくてもいいな。
(続きます)
強い観念ほど影響力が大きく、一時は「手放せた!」と思っても、完全には完了できていない場合があります。
私の場合、お金はまさに「オヤとの関係」という根っこの部分に繋がっていました。
このように、広い範囲かつ深い部分での関係性が関わっていると、観念の見直しにはとくに時間がかかるはずです。
(そもそもが「気づきにくい」というのもありますし)
だから「同じ課題が何度も出てくる」のは、一気に手放すと反動が大きいために、根っこの部分までたどりつくために段階的に外す、というプロセスを踏んでいるように思います。