伸也にこんばんは。

神さまインタビュアーの紗妃です。


本日は住吉三神のインタビュー、続きです。


前回のお話はコチラ 

(読まなくてもカンタンにこっちでもまとめてます)

1回目は三柱のうち、底筒男命と話したので、次は中筒男命(なかつつおのみこと)が担当だそうです。

…え、ひょっとしてコレ全3回になります…?


うーん…ま、考えても仕方ないか!



というわけで神さまインタビュー、続きをどうぞ☆





◆前回のおさらい

えー、ソコツツさんの次はナカツツさん、と。


よろしく頼むでな。


こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

…で、前回の話をまとめると


・可能性=本来(魂)の自分として行き着ける世界に、たどり着くための選択をいかに増やすか


・自分が狭めていると通るべきルートを選べない


・エネルギーが過去に向いていると、選択肢は狭まるし、淀みが起きる


・魂の道に進みたいなら、なおのこと「過去の浄化」は必須


…という話でしたね。


んだ、その通りだでな。


囚われに気づいて解放するまでが、一連の魂の学びってことでもありますね。


「可能性に自分で気付けるようになる学び」だでな。


じゃ、気づくためには過去への囚われに気づいて手放しましょう、つまり浄化しましょう…と。


んだ、それこそ我らが仕事だでな。


…で、もうなんかコレだけで後押しの話としては十分な気がするんだけど、まだ何かある?


いんや、特にないでな。喋りたかっただけでな。


ないんかーい!


まあ、強いて言うとすれば、いかに人間が未知なる可能性を秘め、また恐れてもいるってことだな。


あー…あー……それは…その……


これは、もうヒトに聞くしかないでな。

何をそんなにも恐れておるのか、と。

本気で怖いことが起きるなら、とっくのとうに起きておるはずじゃろうに。


うううう、言い返せない…何も考えたくない…


よいかの、未知なる可能性は、あくまでも選択肢の一つに過ぎぬ。

恐れることなど、まるで起こりようのないものじゃ。


あー…「なぜ恐怖そのものに囚われるか」の話だね。

これは自分でも気づいたんだけど、主な原因は2つ。


①起きた出来事そのものに「自己価値」を乗せている


②結果をコントロールしすぎている


あ、ここら辺の話を聞いてもらおうか。



◆起きたこと=自己価値?

たとえば失恋だったら、ツラいことだよね。

それは当然で、好きな人と離れるのは辛いことだし、悲しいし、傷つくと思う。


ただ、問題はそこに自己価値を乗せてしまうと、自分に愛される価値はないという思い込みに、まず囚われるよね。


事実ベースで見ると「ある一定時期に一緒にいた二人が別れた」というだけで、そこに「愛される価値」とか全く関係がないの。


だけど、「自分に価値がない」という思い込みから恐怖に囚われて、今度は「愛される価値のある自分という『自己証明』」に走っちゃうんだよね。


それの、何がイカンのじゃ?


根本的に「自分には愛される価値がない」という枠組みがあるから、いくら愛されても満たされない。

そもそも「愛される価値の証明に走る」なら、前提として「愛されない私」でいなきゃいけないんだよ。


ほほぅ。して、それはどうしたら解決するんじゃ。


まず、「愛される価値がない」と【思っている自分】に気づくことからしか始まらない。

そして、「そう思っている理由」はその過去の出来事に起因するわけだけど…


ここ、大事なポイントなんだけど


果たしてそれは真実か?


…という問いかけを自分にしてみるのね。

起きたことは事実としても、それはそれとして「愛されるって、そもそも価値や資格が必要なんだっけ?」

…っていう、普遍的な問いかけを自分にする、というか、できるかどうかが「失恋」という出来事と「愛される」という普遍的な営みとの結びつきを手放す分岐点でもある。


あとは、失恋の痛手と向き合うだけ。

だってコレ、そもそも痛手から立ち直ってないから起きていることでもあるんだし。 


「癒やし」というやつじゃな。


ま、そこで「手放し」も当然、進むよね。

実は「失恋の痛み」に執着しているだけでした、おーわりってだけのハナシっちゃハナシだからね。

そこができたら、愛される証明に走ることから解放されて、「愛される価値がある自分」ってなるよ。

ってか価値がどうかなんて、気にしなくなるね。



で、例では「失恋」だけど、この起きた出来事と自己価値の結びつきってどんなことにも当てはまる。


「幽霊の正体見たり枯れ尾花」…って言うじゃない?

この幽霊が「実際に起きたこと」なら、正体を見ようって思えないのも当然なんだよね。

でも、見なきゃ始まらないし、実際には見たって怖くないっていうのは、そういうわけ。

「正体=失恋の痛手からまだ立ち直っていない自分」であって「愛される価値のない自分」ではないから。


…ま、及第点じゃな。

では、次の話に行くとするかの。


え、コレ私の試験か何かだったりする?


そうじゃよ。


お、おお…そうだったのか。では、続きいきます。



◆結果をコントロールしすぎ?

えー…これは「起きた出来事に、自己価値を乗せすぎていることによるもの」なんだけど…。



要するに「起きることを決めつけ過ぎ」なんだよね。

さっきの失恋なら「また誰かを好きになって、付き合えたとしても、愛されない(別れる)に違いない」…とかね。


それの何がイカンのじゃ?


そうすると、思考によって結果をコントロールしようとするんだな。

具体的に言えば「愛される自分」という自己演出に走るのね。


根本的にあるのはありのままの自分でいることへの諦め、だけどね。


これまた、どうしたら解決するんじゃ?


うーん!

自分と向き合うことや、さっき出した問いかけもそうなんだけど、自分への信頼結が必要かな。

「愛されるためには相手の期待に応えなきゃいけない」とか、他者軸になっているのを自分に戻さなきゃいけないので。

そうなると「戻していい」と自分を許せるかどうかにかかってくるから、まあ一朝一夕にはいかないよね!


私は「何を感じてもいい」と自分に許して、「その時どう思ったか、過去の自分の言い分を聞いてみる」をずっとやっていたかな。

そして、少しずつ事実ベースで捉え直しながら「今の自分として、どう思っているか、どうしたいか」を考えて、規範を手放していったね。



ただ、これは自分の土台やリソースをうまく使えるか、増やせるかってことでもある。

だから、向き合うのに「専門家をはじめとして第三者の手を頼る」という選択肢も入れてみる、とかもやった。


私の場合は神さまだったけど、信頼出来る人に(もしかしたら)頼れるかもしれない、というそれこそ可能性に目を向けてみるといいかもね。


ちなみに私は、「生活に支障を来すくらい不安定になったら近所の心療内科に行くか」と思っていました。

もっとも、そこまで耳聞を不安定にさせる前にやめたけどね。



…ふむ、まあ道理じゃな。


特にやり始めは心理的負担が大きいので、精神的に不安定なときにするのはオススメしません。

揺らぎ始めたら、ただちにやめること。

「これを手放したら望み通りになる!」と思うことそのものが執着だし、結果をコントロールしているのね。


逆に「結果を求めず、やめることもできる」という事実を積み重ね続けることが、コントロールしようとする自分の手放しや、自己信頼にも繋がってくるので。


地道じゃな(笑)


そうだよ、地道だよ!

私とか毎日やって数ヶ月かかったもん!


ま、そこは規範が多すぎたってとこもあるし、これまでのコントロールしようとするクセに無意識にハマって…とかもあったから、どのくらいかかるかは個人によるけど。


特に私は「手放すには、代わりにこうしなくてはいけない」とか、癒やしに条件をつけるワナによくハマりました。

手放すのに必要な条件って、自分ではつけなくていいのよ…無条件で無制限に手放していいものなのよ…!


ま、まずまずといったところじゃな。


そうだね。まだ無意識による条件付けは沢山あるもんね。

でも、まあそこは出てきたときにうまく向き合える術を身に着けたから、あんまり心配してないよ。

…あ、そろそろゴメン、また私が限界です。



ふむふむ、よくやったの。

最後まで諦めず、必要なことは届けられたのう?



え?うん…あの、試験ってナニ?


オマエさんが自分の経験から人に言えることを伝えるようにする、ということじゃよ。

神頼みに頼り切らず、頼る根拠を伝えられるかどうかは必須要件だったのじゃ。この先で、な。


は、はぁ…そうですか。

…じゃ、ひょっとしてまた明日も?


そうじゃな。表筒男の方にも言わんとじゃろ。

ま、今はもうお休み。

明日もまた早いんじゃろ。


(しんぱいされてしまった…)

ハイ、じゃあもう寝ます。ありがとうございました。

おやすみなさい。





以上、住吉さんの神さまインタビューでした!


えー…ここでまとめられたらよかったんですが、今は伝えたことで精根尽き果てたので、次の機会にします。

スミマセン!

神さまと話すのも体力がいりますが、自分の伝えたいことをまとめるのもエネルギーがいるんですね…。



次が最後のインタビューです。




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