仕事が一段落した。また次の仕事がやってくるから、つかの間の休息だけれど、一区切りつけられたことに変わりはない。
一度に使うエネルギーが膨大で、仕事に割くリソースは限りがあると知ってからは、ペースを落とした。
おかけで今年は仕事が重なったものの、なんとか一定のペースを保てている。


ノートを使った内観はあいも変わらず続けている。
本日は「恥と恐れ」がテーマ。
何かと怖がりな私は、恥じることを恐れ、そこで動けなることも恐れて、感じることすら禁じていた。
危機感さえありゃ、動けるもんな。ただし、体が悲鳴を上げて強制終了待ったなしだけど。

感じることを躍起になって解消するのではなく、感じても何ら安全が損なわれることがないという意識に持っていくのに、相当時間がかかった。
待ってました、と言わんばかりに出てくる恐怖を体感しながら、こんなもの抑えてよくぞ生きてこられたな、と感心する。
生きることを認めずとも、死ぬことすら許可制だったんだから、単に生きてこられただけで、自分のリソースを最小限で留められていたのは皮肉としか言いようがない。

そんなことを思いながら帰宅して、体感だけで震えながら今日の夕飯の茹で鶏を食べていた。
時間をたっぷりかけることに心を砕いているから、遅くなっても気にしない。
どうせ目覚ましがなくても寝ていられるし、起きられる。
襲ってくる恐怖感に、感じられる安心感を同時に感じるのは、不思議な心持ちだし、むしろ嬉しくもあって
フクザツな気分だけれど。


えべっさんによる「財を活かすため」の後押しも、この中に入っていたりする。
金運と自尊心は密接に繋がっているらしい。
むしろ自分の財と、と言うべきか。
まだご縁を繋げるべき人がいるんだけれど、とどのつまり「いかに自分の財を引き出して生きるか」と考えあぐねている人を待っているらしい。

いくらお金があっても稼いでも、自尊心がなきゃ自分の「財」で満たすことはできない。
自分を信頼できるだけの自尊心がなきゃ、自分のリソースを活かして財を引き出すことができない。
つまり、それは私にとっての「リソースを存分にたっぷり使う活かし方を自分に許すこと」であり、「どんなに恐れを感じようとも、それを安心して感じきれること」でもある。

大丈夫、安心していいと自分で自分にどれだけ言えて、信じきれるか。
人から言われて受け取りきれるか。
つまり、そういうことである。


怯える自分でいていいと言えること。
それが財を活かすことにつながるなんて、思いもしなかった。
私にとって臆病な自分は即ち悪であり、間違いであり、動けなくする脅威をもたらす存在だったから。
でも、本当はどれだけ何を感じていたとしてもフラットに受け止められることのほうが大切なんだろう。
臆病さもまた、私の質だから。
それを否定することは、ありのままの自分を否定することであり、リソースを使わせじとする要因となるから。


内面も目まぐるしい日々に、果たして成長しているのかとよくわかっていない面もあるんだけれど、「大丈夫。進展してる」とえべっさんがことあるごとに言うもんだから、きっとそうなんだろう。


ごまドレッシングをかけ過ぎたらしく、喉が渇く。
こんな自分でも財を活かせるし、そんな自分だからこそ回せる財がある気がしてる。


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えべっさんの神さまメッセージ