このところ、エネルギーの入れ替えと流れの転換が続いている。
いいことではあるんだけど、さながら新品の革靴を履いているようで、あっちこっち出かけるのにも、靴ずれでうまく動けない、といった有り様。
早く馴染んでおくれ…と痛む足をさすっても、履かなきゃ慣れないジレンマよ。
お気に入りで、どこまでも一緒にいたいのに、そんなだから億劫な気持ちも出てくる。
それでも今は耐えながら、ゆっくり付き合っている。
自分を痛めつけない歩き方、心地よさを探りながら。
昨日は、久しぶりに神さま図鑑を更新 した。
岩戸開きの神さま、ウズメのオネイサマとオモイカネノカミのおじいちゃんは出していたのに、タヂカラさんは出していなかった。
いい加減レッスンを出さなきゃと思いながらも、先に説明したほうがいいかも、ということでご案内よりこっちを優先。
ちなみに、3月の旅から未だ岩戸開きの後押しは続いていたりする。
エネルギーと流れが活発なのは、そのせいでもある。
余すところなく受け取っている実感はあるけど、さすがに長いなあ…。
でも、神さまの後押しって、本来こういうものなのかもしれない。
これまでのスパンが、どちらかというと巫としての修行寄りだった。
図鑑を書きながら、改めてタヂカラさんを知ることができた。
力の神さまだけど、武神じゃないから「戦う・守る」という概念じゃないんだよね。
ひたすら「力を発揮する」という一点集中。
スポーツ選手が祈願に行くのも頷ける。
勝敗は結果でしかなくて、どこまで自分の力を引き出せるか、しかない。
加減をしないのも、する必要がないから。
そこは勝負の世界でもあるけれど、一番は過去の自分をいかに乗り越えられるか。
負荷をかけたら辛いのは当たり前。
そうでなきゃ筋肉は育たないのと一緒で、望む結果が欲しいならなおのこと、自分に負荷をかけてでも、鍛えて前に進むしかない。
神さまの後押しは「メンタルの筋トレ」と捉えているんだけど、タヂカラさんはまさに地を行く感じする。
とはいえ、別に当人(神)は別にスパルタで厳しいというわけでもなく、それを「当然のこと」として受け止めている節がある。
あとはそのトレーニング…もとい後押しを受け取る本人のやる気の問題。
他の神さまの後押しだと、受け取る人に合わせるんだけど、いかんせんタヂカラさんは「筋トレ」だし、ブートキャンプだから、合わせるにしても負荷の調整ぐらいなもんで、少し種類が違うのよ。
それでも、受け取る価値は大いにある。
余計なことを考えずに自分が軽くなっていく。
辛さも、そのうち慣れる。
恐れや不安も「ああ出てきたな」って、受け止められるし、それは人として自然に発露するものと、揺らがずにいられるようになる。
…が、いかんせん強力なので、当初のレッスンは全3回だったけど、増やすか、それとも選択にするか…。
タヂカラさんは「好きに」って言うし、レッスンが終わっても後押しは続くけれど、負担が大きいのも考えものだから悩んでいる。
気づきや洞察を日々起こる出来事から学ぶにしても、メッセージがその取っ掛かりにもなるわけで…と、まだ考えがまとまらずにいる。
あまり遅いとこっちのスケジュールにも関わるから、早急に答えを出さないとね…。
とか考えながら、今なお自分も歩き慣れない靴で歩いて、ゆっくり進んで新たな発見をしている日々。
当てはまるピースを見つけたり、遠い記憶を思い起こせたり。
先日は、巫としての私につながる原体験を思い出したりもした。
この話は別で書こうと思う。
31日まで受付中です。

