巫(かんなぎ) 紗妃です。
 
 
沖縄旅のレポートをお届けしています。
 

③聖地巡り・後編 

 

 

旅もいよいよ最終日。

 

この前日、コンパクトカーを借りようとすると空車がありませんでした。

事故が起きたときのことを考えると迷いましたが、仕方なく軽自動車を予約します。

 


翌日お店に向かうと、なんとシャッターが閉まっている!

もうお金も払っているのにどうしよう?

一瞬ヒヤッとしましたが、気を取り直して連絡してみると、私が借りた車を持ってくる最中とのことでした。
 
よかった、臨時休業じゃなかった・・・。
胸をなで下ろして、店先にあるベンチに揺られながら待ちました。
ユラユラするベンチ、いつか家を持つことがあったら欲しいと思うくらい気持ちよかったです。
 
 
10分ほど待って、お店の人が車に乗ってやってきました。
それも今朝、配車されたばかりの新車です。
ああ、新車のいい匂いがする…(笑)


しかもナンバーは5959。
一体なにを「ゴクゴク」飲むのやら?
予定の時間より少し遅れて、いざ出発です。
 
店主手作りのケーキ。アップルパイ、美味しかったです。
 
今回向かったのは、ガイドをしてくれたYさんが、以前ここで行くべき聖地を教えてもらったと、ご紹介いただいたカフェでした。
 
限られた時間ではありますが、できるだけ行けるところは行こうと、お店の店主に教えてもらいます。
 
 
この日で帰ることはお伝えしていたのですが、その数の多いこと!
一日で回らなくてもいいと言われたため、行けなかった場所は次に回すことにして、いざ聖地巡りへ!
 
 
…と、出る間際で男性がカフェを訪れました。
(ここでは仮にAさんと呼びます)
 
店主の話を聞いている途中、道に迷ってかけたのに「対応中だから」とあっさり切られたのを見ていたのですが、無事に到着されたようです。
なんとなく今回はAさんと話さなくてはいけない気がして、聖地巡りは次回にすることにしました。
 
 
彼は珍しく店主から来る時間を指定されて、いつもならもっと迷うのに、電話のあとスッと来ることができたそうです。
そこに予定より遅れてカフェを訪れ、ちょうどセッションを終えた私がいたのでした。
 
 
ある目的で来たのに、本当の用事は違うところにある、というのは、ときどきあります。
そうして行くべきところに行き、出会うべき人と出会う。
この日も、そんな日だったのかもしれません。
 
 
でも、私は一体なにを見せられていたんだろう?
 
 
あちこちで土地の浄化をしているAさん曰く、地球や宇宙はメチャクチャで自分たちがなんとかしないといけないのだとか。
他にも繰り出される突飛な話に「そういうこともあるのね」と受けとめつつ、途中で無性にお味噌汁が飲みたくなります。
 
 
カフェをあとにして、空港行きのバスに揺られながらも考えていました。
心の底からその「真実」を信じているのだろうけれど、互いに「生きるライン」が違うように思えます。
 
なにより「善か悪か「正しいか間違っているか」という二元論、その根底にある「優劣」の信念も垣間見えて、なんだか窮屈そうに見えました。
 
 
どんな力を持っていたとしても、人として生きることを大切にしなきゃいけない。
 
そんなことを思います。
どれだけ力があり、責任ある立場であろうとも、自らの抱える課題をまぬがれる免罪符にはなりません。
自分の価値は、力そのものではなく「使う自分」にこそあるはずです。
 
 
結局のところ「力を生きるのではなく、その力を持った自分で生きなさいってハナシだ」と、自分の中で結論づけました。
自分を置き去りにして「遂行すべき役割」なんて、地球上のどこを探してもないのです。
 
 
ふと何気なく車窓に目をやれば、建物に貼られた広告が目に入ってきました。
 
 
「この力はホンモノだ」
 
 
それは一見「承認」とも取れますが、私には力を解放したゆえの、戒めのように思いました。
 
 
戸隠で言われた覇道とは「周りが何を言おうが自分に忠実に生きる」ということ。
それ以上に「持ったチカラに頼りきることなく、相変わらず自分を生きる」ことを教えてくれていたようです。