願いを叶える人。叶えられない人。
その違いはなんだろうと、ずっと考えていた。
執着の有無もあるんだろうけど、どうもそれが本筋ではないように思う。
求めて叶えている人もいるわけだから。
(それで満たされるかは別の話だけど)
たぶん、その願いをまっすぐに認め、冷静に受け止めている人が願いを叶え、満たされる人なんだろう。
理屈抜きに溢れて止まらない、切実な想い。
諦めきれなくても、ひたむきに向かっていく人たちは、その想いはどれだけ時間がかかっても報われる。
人を見て僻んでいるだけじゃダメなんだ。
諦めて、無難なセンで生きても味気ない。
モノに溢れて、ジマンできる人間関係に囲まれても、本当の意味で楽しめないのは心の豊かさを置き去りにしているから。
好きなものを好きと言いきれない後ろめたさが足を引っ張る。
管理されていた、繋がれていたものがとうに失くなっても、抑圧だけが残り続ける。
幻の影が誰かに投影されて苦しむ。
勿体ない、の一言で終われたらいいけど、私はそれをよしとしない。
人はな、自分自身を幸せにする力を持って生まれてきてるんだ。
それを誰かに食い潰されて生きるのを見るのが、我慢ならない。
私のものは私のもの、私の領域は私が守る。
何人たりとも侵してならないはず。
甘さがあってもいい、依存もその過程の一つに過ぎないのかもしれない。
けれども、困らないからそのままでいいや、なんてとても思えない。
何かを諦めるなら、向かい合ってからでも遅くない。
自分でけじめをつける前に、挙げかかった手を降ろして、出かかった声を飲み込んで、歩もうとした足を止める。
もはや呪いなんじゃないかとすら思える。
それを解くのに私もずいぶん時間がかかった。
多分まだ残っている部分もあるんだろう。
なあなあのぬるま湯が、一番キケン。
誰かを足蹴にしてでも願いを叶えろ、なんて言うつもりはない。
だけど、しがみついてくるのを振り切ることを悪いと思わない。
諦め。恐れ。不安。
人とは不思議なもので、願いを叶えたいと言うくせにできない言い訳を見つけるのがうまい。
巧みに自分を誤魔化して、そこに留めようとする。
他の誰かがやらなくったって、自分でやるから始末に負えない。
だから、そんな自分すら越えていくことにした。
自分の想定通りに人生が運ぶなんて、そんな都合よくいかない。
それが例え突拍子のない、曖昧で壮大なことだったとしても、その自由を自分から奪わない。
諦めを越えていけ。
世の中には努力だけでどうしようもないことがごまんとある。
それでも、真っ直ぐな想いが、自分を生きるという願いが、自分自身を裏切ることはない。
まだ未熟、準備ができてないとか、どうだっていい。
そんなもんは走りながら考えたらいいから。
同じ時が過ぎるなら、せめて爪痕ぐらい残せばいい。
願うことすらやめたら、自分はどこに行けばいんだ。
行き場のない想いを今こそ自分で救うよ。
そんな強い気持ちを呼び覚ます満月だよ。
たゆまぬ努力も見えないチカラも総動員で、私の行き先を照らしてくれるんだよ。