いやータヂカラさんのサポート、強力だけど説明しにくいから地味だわーとか思いながら、犬の散歩をしていると当人がご登場。
「ほんの小さな積み重ねなんだから当たり前だろう」と、憮然と言われる。
まぁね、筋トレも一回じゃ効果ないもんね。
ところでおみくじの読みときの中にあった
「一方を選んだら一方を捨てる」
私は何か選ぶことで捨てるものあったっけ?
あるだろう。しっかり。
はて、なんだっけ…。
こういうときは頭で考えるから答えが出ない。
見ないようにしてることは避けるからな…。
と思ったら案外スルッと出て、道端で思わず「あ。」と声に出た。
捨てるのは一般人を装っている私だ。
仕事への罪悪感はもはやないけど、対外的な所はどうもまだ「巫です!」とは言い難い。
「林紗妃を売ってます!でいいじゃん?」とかいうのも、この場合は的外れ。
だって「装っている」んだもん。
こういう自分は隠さなくてはならないというウラがある。
なので、事実として一般人だとしても、心情としては「偽装」なんである。
道理で力が出しにくいわけだよ。
「巫ですけどホントは貴方と同じ普通のヒトなんですぅぅぅ」ってハラで伝えられることなんて出てこない。
これからは「巫でござい」と威張るっていうんじゃなくてね。
むやみに目線を下げたらいかんってことだ。
今まではそれでもできたってことなんだけど、歪みとしては限界なんだろう。
タヂカラさんの「言わんこっちゃない」と言わんばかりの生ぬるい目線が痛い。
一方は選んで…というのは、今の流れでは温い表現。
正しくは
自分の今選択したことにはかじりついてでも、もう一方は思いっきり捨てる。
私の場合なら、しがみつくなら巫だ。
「元はフツーのヒト」の方じゃない。
「自己中」って言葉を使うのに、自分でもけっこう抵抗があったけど、一般的なイメージ以上に忌避する気持ちがあったのは、こういうところなのかもしれない。
さて、貴方の中で眠っている、あるいは回避されている「自己中」ってなんだろう?
「こういう自分ではダメだ」と思っていること、そろそろ隠しきるのも限界みたいだよ。
なお、私が気づいたときの感想は「うわ、これわかる」と「しょーもないな!」でした。
多分もう自分で薄々気づいていて、解放したかったことなんだなぁ。
一部だけ隠し通して認めないままで、本来の自分らしく生きる道はない。
だから、神さまは「今こそ出すべし」って言いたいみたい。
隠すぐらい、根の深い所にある自分の一部こそが「新たな幸せの扉を開く鍵」
弱い自分でも、弱さをタテにするのはみっともないなって思う。
ガンガン開けて、さっさと進むべし。
もし自分で開けられなくても、岩戸をぶっ飛ばす力で神さまがこじ開けてくれます。
必要なのは勇気だけ。
安心してお外に出るべし。
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