九州でTさんと話をしていて「神さまメッセージ」のことになった。
そういえばこの話はブログで伝えていなかったことに気づいた。


幸いなことに、今までは受けとる方が心得ていた。
それも届ける私などよりもずっとわかっていたように思う。

だから特に伝える必要性を感じていなかったけれど、それじゃあ不親切だし、勘違いされてもお互いに不幸ということで書いてみる。


メッセージは、神さまが「あれをしろ」「これをしろ」と、強制したり指図するものではない。

神さまの性格や、受けとる人によっては行動を促すことはあるけれど、選択するのは受け取った人に委ねるというスタンスは一貫している。


では何を伝えているか?
ざっくり言えば今の貴方に必要なことである。
もっと言えば、それは貴方の中にある答えだったりする。

ただし、

答えをそのまま教えてくれることはない。

「問い」の投げかけや、「意識の持ちよう」という、その答えにたどり着くためのヒントの形で受けとることになる。


はっきり言って面倒くさい。
だけど、神さまは受け取った人の「考える力 」を信じている。

実際、私のところに来る人は多かれ少なかれ、意識的にしろ無意識にしろ、必要なものを自分で選択できる力を持っているし、自分の人生を誰かに明け渡さない意志を持っている人であることが多い。

そんな人は勘もいいから例え私が書いていなくても、自分で意識せずとも「自分にとって今必要な神さまのメッセージ」を確かに受け取って来たんじゃないかと思う。


悩んだり落ち込んだり、そんなのは誰でもよくある。

自分とは?
人生とは?

きっとそんな問いが心のなかに何度も沸き起こり、答えがでないとわかっていても、それでも決して考えることをやめず、本当に大切なことを誰かに委ねたりしなかった人たちにこそ、メッセージを受け取るのに相応しい。

神さまは、例え意識として「答え」が欲しいと思っていたとしても、実はただ答えを聞くだけなら心の底から納得できないことをよく知っている。

今持っている課題は自分で考えない限り、相手が先に進めないのをわかっている。


必要に応じて慰めたり励ましたり指摘したり。
どれも神さまが一人一人に向き合っているがゆえのメッセージ。

それを受け取るということは、とりもなおさず自分のいる場や自分に心を開きながら、どんな場面でも必死で向き合ったことの証でもある。


たった一度だけ、神さまメッセージを神託としてお申し込みされた方がいた。

お申し込みのメッセージ欄を見たとき、自分や現実を省みることなく「答え」を欲しがっているだけのように見えて、嫌な予感がした。

案の定、メッセージは当たり障りのないものになり、送った後日に「ある星座の占いのようでガッカリした」といった内容のメールが届いた。

自分の中にあるものを醜かろうが美しかろうが少しでも見ようとしない限り、神さまが伝えられることはない。

少なくとも「私が繋がる神さま」は、そういう性質であるようだ。


神さまの言葉は決して「お告げ」ではない。

人生のある瞬間、ふと自分や自分の人生に疑問を持ったとき。
どうしようもなくうちひしがれて、誰にも相談できず途方にくれたとき。

光を投げかけてくるのが、私の神さまメッセージ。


さながら心に窓を一つ、作るように。
受け取った貴方が開けたとき、風は吹いてくる。

風が、きっと次の行き先を教えてくれる。


そこに、希望がある。



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神社 道開きの神さまメッセージ
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