おはようございます。
藤岡康太騎手のご冥福をお祈りします。
35歳の早過ぎる死を悼みます。
毎週出走表にあった名前が今後は掲載されなくなる事実を受け止められない方は多いでしょう。
藤岡康太騎手の出資愛馬への騎乗成績
もうこの数字が増えていくことはないんです。
僕が初めて康太騎手を間近で見たのは、2008年の秋の福島開催だったと思います。
彼は、その日の全レースが終わった後まだ残っていたファンと、フェンス越しにお喋りをしていました。
同期の丸田恭介騎手も一緒でした。
そこにちょっと入って、サイン✍️をしてもらいましてね。
そうしたら、翌年にNHKマイルカップをジョーカプチーノで勝ったじゃないですか!
「おー、福島でサインしてくれたあの子がG1ジョッキーになったよ‼️」
って、嬉しくなりました。
康太騎手と出資愛馬で思い出すのは、やはりベッラレジーナとビオグラフィー(ともにシルク)ですね。
【ベッラレジーナ】
初コンビのスイートピーステークスでオークス優先出走権を獲得。
(この時負かした相手には、ショウナンパンドラやマリアライトがいたんですよ)
オークスの大舞台に駒を進めました。
【ビオグラフィー】
康太騎手の挙げてくれた全2勝はビオグラフィーとのもの。
連勝でした。オープン馬にしてくれました。
特に淀屋橋ステークスは、コロナ解禁後初めて現地観戦した大阪杯の日でした。
鮮やかな差し切り勝ちを目の当たりにしました。
そしてあの2024年 4月 6日。
僕は阪神競馬場にいました。
出資馬が出走する 8Rを前に知人と本馬場を見ながら話していると、7Rが行われていて、最後に騎手を乗せていない馬がゴールしました。
「あっ、カラ馬が出たのか。誰かバランスでも崩したのか」
その場はそれぐらいの認識でした。
まさかそれが康太騎手のアクシデントだとは思ってもみませんでした・・・。
ベッラレジーナのラストランの時の馬場入場写真。
鞍上は藤岡康太騎手でした。
どうか、安らかに。
忘れません。
今週末の出資愛馬の出走が確定しました。
勝負の世界なので、優劣を競い決着をつけなければなりませんが、人馬とも無事に走り終えることを祈っています。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。