毎晩疲れすぎて寝落ちする状況で、なかなか更新できずすみませんが、この記事の続きです↓(←誰に謝っている?^^;)
(↓ここから、昨夜寝落ちした本篇です…)
うう…
筋肉痛で足が痛い!
…って、昨日よりはマシになったけどね?
なぜ私がこんなに筋肉痛に苦しむことになったのか?!
(筋肉痛が翌日に出るって、私ってけっこう若い?!…という問題はさておいといて!σ^_^;)
説明しよう!
それは次女さんと二人、このベトナムの地に降り立ったその日ーー
それは3月24日(日)のことだった…
その日、このツアーには空港ホテルまで専用バス(といっても普通のバンでしたが…^^;)で案内してくれるというだけで、日本語のできるガイドさんがホテルのチェックインの手続きをしてくれたあと、ホテル近くの換金所まで連れて行ってくれて、持って行ってたドルの一部をベトナムのドンに両替してくれただけだったんですよね。
で、そのあとはツアーとしてはなんの予定もなし!
いや、さすがに(ベトナム時間の)朝の7時ごろにホテル着いてそのあと何もやることがないって…
ベトナム初心者にはさすがにキツイっしょ!(^◇^;)
ということで、ちょっと調べていたオプショナルツアーで、ホーチミン市から車で2時間ほど離れたところにあるクチの「地下トンネル半日ツアー」なるものに参加することにしたのです!
(これです↓)
※↑の女性は私ではありません…笑
クチトンネルは、ホーチミン市から北西へ約50km離れたところに残る、昔ベトナム戦争時代に、当時「ベトコン」と呼ばれた民間の兵士集団(「南ベトナム解放戦線」)によって手掘りで掘られた、全長250kmにも及ぶ巨大な地下トンネルの跡です。
※ここでちょっとベトナム戦争について…
(ミュージカル『ミス・サイゴン』を観たことのある方はけっこうご存知かもしれないし、かなり端折って書いてるので、興味のない方は適当に読み飛ばしてくださいね…^^;)
ベトナムはかつてフランスの植民地となっていましたが、太平洋戦争中に日本によって占領され、「大日本帝国」によって支配されていました。
その日本が1945年に太平洋戦争に敗北して撤退したあと、「ベトナム民主共和国」としてベトナムの独立と社会主義国家としての建国を始めたのが、「独立の父」とも呼ばれるホー・チ・ミンです。(ベトナム人からは今も「ホーおじさん」と呼ばれて大変慕われているそうです。)
でもその後、旧宗主国であるフランス軍が進駐し、旧植民地復活をはかろうとします。
それに対しベトナムは、同じくフランス領であった隣国のラオス・カンボジアも含めた脱植民地化をめぐる戦いを始めることになります。(これを「インドシナ戦争」といいます。)
結局フランスは、ソ連や1949年に成立した中華人民共和国という社会主義国家に支援されたベトナム軍に対抗しきれず、1954年の有名なディエンビエンフーの戦いに大敗した後、ベトナムから撤退します。
しかし、ソ連・中国が支援する社会主義国家「ベトナム民主共和国」の存在を認めることができなかったのが、当時ソ連との「冷戦」の只中にあったアメリカ合衆国です。
アメリカは、北方のハノイを中心とする北ベトナム(「ベトナム民主共和国」)に対し、1955年に南方のサイゴン(現在のホーチミン市)を首都に新しく「ベトナム共和国」(南ベトナム)を建国し、北の「ベトナム民主共和国」に対抗させようとしました。
ここに、ソ連とアメリカとの代理戦争とも言われる北ベトナムと南ベトナムとの戦争(ベトナムの人はこれを「南北戦争」と言っていました…)ーー
すなわちベトナム戦争が始まるわけです。
そして、その「ベトナム戦争」において、アメリカが支配する南ベトナム(ベトナム共和国)で、北ベトナムの支援によってそのアメリカにゲリラ戦を仕掛け、散々アメリカ軍を苦しめたのが、多くの民間人兵士を含む「南ベトナム解放民族戦線」ーー通称「ベトコン」であり、そのゲリラ戦法の象徴ともいうべきものが、この全長250kmにも及ぶ広大な地下トンネルなのですね。。。
↑ クチトンネル入口
ここでチケットを買います。
↑ ここから、いざ出発!
このトンネルを抜けたら、クチの広大な地下トンネル保存地域に出ます。
で…
↑ まずは「クチの地下トンネル」についての簡単な講義?とビデオ上映
地下トンネルの概要を掴んだら、いざ、クチのジャングルへ!?
↑ あれ?ヨシベエさん、どこ行きました〜?!
ガイドさんの呼ぶ声に…
↑ 安心してください!
↑ ここにいますよ〜!
ベトナムでも人様に迷惑をかけまくっているヨシベエさん…
ちょっと落ちこみ〜(本当にちょっとだけね…^^;)
こんなところに逃げ込まれたら、本当にわかりませんよね!
(しかも本当はもっと狭くて、欧米人の大きな体格ではとても入らないとか…)
実はさっきのところはデモンストレーション用の入口で、本当の地下トンネル(観光用に開放しているところ)の入口はこちら!
↓
↑ 行って来まーす!
↑ むむっ!狭い上に暗くてよく見えないぞ!
↑ 狭くて、しゃがまないと前に進めない〜!
(写っているのは同じツアーの方)
↑ あ、ようやく出口〜!
というわけで、その翌日から特に足の太ももが強烈な筋肉痛に襲われているわけです…(^^;;
ベトナム戦争時は、このような人1人がようやく通れるような狭い通路が地下全体にまさにアリの巣のように張り巡らされ、そこで日常の生活や集会なども行われていたそうです。
そして、その地下トンネルの周囲にはあちこちに「わな」が仕掛けられ、落ちたら竹槍が何本も突き刺さる「落とし穴」(普段は草や枯れ葉に覆われ、何でもない場所に見える)とか、扉だと思って開いたら上から鉄のハンマーのようなものが飛んでくる仕掛けとか…
↑ 「落とし穴」の仕組みの展示
↑ うっかり開けると鋭い釘がいっぱい付いた仕掛けが襲ってくる扉の展示
こんなものがあちこちに仕掛けられ、犠牲になるアメリカ兵も多くの死傷者を出したそうです。
何しろ、「敵」の姿が全く見えないのに、いつのまにか多くの仲間がその「わな」にはまって死んでいく…
ということで、「南ベトナム民族解放戦線」と戦うアメリカ軍は、最新の近代兵器を使いながらその「わな」とそこに潜む「見えない敵」に散々翻弄され、結局1975年に当時の南ベトナムの首都でありアメリカ軍の拠点であったサイゴン(現在のホーチミン市)が陥落してアメリカはベトナムから撤退…
1955年に始まったベトナム戦争も、ようやく終結したのです…
ベトナムは今、道路には多くの車やバイクがひしめき合うように走り、その沿道には高層ビルや華やかなショッピング街などが立ち並ぶ近代的な都市が発展しています。
平和っていいなと…
つくづく感じるし、そのためにも戦争や紛争、あるいはそこで使われた兵器やその犠牲者たちについての記憶を風化させてはならないと、あらためて思いました。
(続く)