弥生時代の代表的な大規模環濠集落・吉野ヶ里遺跡です!
35年前?にここを訪れたときは、まさに発掘調査が始まったばかり?!の頃で、その時代性や「小国家」的大規模さから、こここそ魏志倭人伝に出てくる邪馬台国ではないか?!
と騒がれていたような?σ(^_^;)
まだまだ発掘中のその遺跡の入り口付近には、「ようこそ、卑弥呼の里へ」みたいなキャッチコピーの横に卑弥呼さまの絵が描かれた大きな看板が掲げられていたような気がするんですが…(⌒-⌒; )
いや、その時もさすがにそれはないだろうとは思っていましたが、今ではこここそが「邪馬台国」であるとか卑弥呼に関係の深い遺跡であるという表現は全然見られなくて、あくまでも「弥生人の声が聞こえる」をテーマに、弥生時代の人々の生活や文化を掘り起こして現代に蘇らせ、そこから単に日本の古代史の解明に取り組むだけでなく、当時の人間の生き方や死生観について学ぶことで自分自身の生き方につなげていくーー
そういう場所となっているような気がしました。
↑ まずは腹ごしらえ?!で入った入り口近くのレストランでいただいた「吉野ヶ里定食」(古代米のおむすびと貝汁のセット+ドリンク)と、餅入りぜんざい
今年初めてのお餅を、しかもだいすきなおぜんざいと一緒に食べられて、もう幸せいっぱい!夢いっぱい…?!
さて、おなかもいっぱいになったところで、いざ!
「天の浮橋」を渡って、今は「吉野ヶ里歴史公園」として整備されている吉野ヶ里遺跡へ!
いや、もうね…
思っていた以上に広大で…
1〜2時間もあれば十分かな…と思っていたら、とんでもなかった!
↑ 防御施設を持つ「環濠集落」であることを示す遺構に目を奪われながら…
まずは、「下戸(げこ)」と呼ばれた一般の人々が住んでいた区域である「南のムラ」へ!
↑ 「南のムラ」で発掘された竪穴住居や高床式倉庫
高床式倉庫の入り口が床下にあるものもあってびっくり!
↑↓ 「南のムラ」のすぐ近くにあった「吉野ヶ里遺跡展示室」
弥生時代の人々の暮らしに関する出土品が多く展示されていました。
↑ の資料中の一番右下の緑色の管玉(くだたま)の髪飾り?は、管玉ってこんな風にも使われていたんだ…と、ちょっと新鮮な発見でした。
このあとは「ひみかのみち」を北上して、大きな物見櫓(ものみやぐら)が印象的な「南内郭(みなみないかく)」へ!
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ここには、「大人」たち(「下戸」たちの指導・監督や行政的活動を行う人々)の家や、その家族の家など20棟の建物が復元されています。
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さらに北上して、墓域にあたる甕棺墓列から、弥生時代後期の「王」たちの特別な墓としての北墳丘墓(きたふきゅうぼ)へ!
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「墳丘墓」って、初めて見ました!
古墳ほど大きくはなく、かといって単なる個人墓としてはかなり大きくて尊崇の対象となりうるもので、弥生時代において集落がムラからクニへと発展していくに伴う「王」(=有力な指導者)の出現を意味していると言われます。
↑ 北墳丘墓内部の発掘現場をそのまま保存した資料館の入口
↑ 厳密な空調管理でそのまま保存されている北墳丘墓の内部
この北墳丘墓からは14基の甕棺が出土し、その1基には青銅の剣とガラスの管玉が、7基には青銅の剣が副葬されていたそうです。
ここに埋葬されていたのが誰なのかは解明されていないそうですが、この墳丘墓に人が埋葬されなくなったあとも、この「吉野ヶ里」のクニを守る祖霊が眠る墓として祈りの対象になっていたと考えられているそうです。
そして、この後に向かったのが…
↑ その有力者たちによる「まつりごと」が行われていたところとされる「北内郭」
↑ その中心がこの巨大な祭殿で、向かって左下・左上が、「王」を中心とする朝議の再現、右上が、最上階で行われていた「巫女」の女性が神に伺いを立てる神事のようすの再現
ここまで見て回ったところで、午後5時の閉園時間がすでに間近に迫っており、慌てて出口に向かって走り出す私たち…( ̄▽ ̄;)
↑ こんなものを横目で見ながら…