↑ ここです!
正確には、「道の駅 第九の里」といい、その中に「鳴門市ドイツ館」(後方中央)と、ここには写っていませんが、この手前に「日本農民組合」の祖とも言われる「賀川豊彦記念館」があります。
↑「鳴門市ドイツ館」の入口
なんとなく、ドイツのポツダムにあるサンスーシ宮殿を思わせるような造り?!
なぜここが「第九のふるさと」なのか?!
それは、ここがアジアで初めてベートーヴェンの「第九(交響曲第九番)」が演奏された地であるからなんですね…
「坂東(ばんどう)俘虜収容所」って、聞いたことありますか?
第一次世界大戦のとき、日本は日英同盟のおかげで!?「連合国」側で参戦し、「戦勝国」となりました。
「参戦」といっても、日本が侵攻したのは基本的に、ドイツが利権をもっていた中国の山東省と太平洋の「ドイツ領南洋諸島」のみ…
そこでは、ドイツ軍の主力部隊はヨーロッパ戦線に送られており、残っていたのはわずかな留守部隊のみでした。
開戦と同時にあっさりと日本軍によって占拠され、約1000人のドイツ人兵士が捕虜として日本に送られることになりました。
捕虜(俘虜ともいう)たちは日本全国12ヵ所に設けられた俘虜収容所に収容されたわけですが、とりわけこの徳島の地に造られた「坂東俘虜収容所」は、所長の松江豊寿陸軍中佐の人柄や信念によって、捕虜に対して極めて寛大かつ友好的な対応をしていたということで知られるところなのです。
↑ 玄関の横には、ベートーヴェンさまのこんなパネルもあるので、ぜひ記念写真を!
↑ 中はこんな感じ
ドイツ国旗が雰囲気を出していますね…
でも、なぜここでベートーヴェンの第九が?
それは、この地での捕虜(俘虜)たちの生活と大きな関係がありました。
以下、この坂東俘虜収容所での捕虜(俘虜)たちの生活に関する多くの資料が展示されていました。
↑ 俘虜収容所の再建模型
捕虜(俘虜)たちの不自由な生活の中で、彼らの心を慰め、癒し、そして生きる希望と力とを与えたのが、音楽でした。
(音楽や芸術はけっして「不要不急」なものではなく、生きる力を与えてくれるものなのだ!と、あらためて思わせてくれました…)
その中で、今はなぜか年末に演奏されることが定例となっている、ドイツが誇る世界的な作曲家であるベートーヴェンの作曲した「交響曲第九番」をみんなで演奏し、坂東の人々に聴いてもらおう!ということになり、1918年6月1日、この収容所内に坂東の人々を招待して盛大に演奏会が開かれたのでした。
↑ そのようすを再現したものがこちら!
この記念館のステージで、巧妙に作られたとてもリアルな人形たちの手によって30分に1回くらいのペースで演奏会が開かれています…
ああ、やっぱり戦争より平和!
音楽は国境も人種も言葉の壁さえも簡単に乗り越えて、人々の心を一つにし、ともに生きる喜びを味わわせてくれる…
そんな気がしました!
まだこのアメブロを始める前の映画なので感想とか残っていないんですが、心がほっこりする良い映画だった気がします…
(ちょっとメリハリに欠ける?!ところはあるかなとは思いましたが…^^;)