プラダを着た悪魔
を観てました。
Netflixで。
これを字幕版で観て英語を聴き取る、聴き慣れる様にしたくて。
ストーリーも好きなのだけど、この時少し問題が。
夫が仕事から帰ってきてしまった。
夫とは映画などを上手く一緒に観れない。
何故なら、
夫は悪役の悪者ぶりに憤慨して見る気力を失うから。
そして私と夫の意見の食い違いから必ず喧嘩になってしまう。
この日もやはり喧嘩。
私と夫の永遠のテーマ
性善説と性悪説
被害者と加害者
減点法と加点法
岡田斗司夫はこの映画の冒頭の、アンディ(アンハサウェイ)とランウェイ誌の編集者?の他の女性たちの朝のルーティンの対比が全てを物語っていて、方向性を示している部分が面白い。途中で見るのをやめられなくなる、と言っていた。
映画は冒頭30分で観客の心を掴めないとならない。
夫は編集長であり、タイトルのプラダを着た悪魔であるミランダの振る舞いがどうしても許せないというかとても嫌な気分にさせられて、始まってすぐに不愉快さを出し始めた。
夫は自分で気づいていないが、第一印象が悪い事に対して拒否反応が強過ぎて、その後に印象を覆すような動作や言動があっても気づけない。簡単には最初の印象を覆せないのだ。
この映画で言うと、最初に嫌な気持ちにさせられたからもう観たくなくなった、見るのやめよう。
となって、この映画の面白さやアンディとミランダの関係がどうなるかを見届ける事はなく、結末も知らないし、嫌な映画だった、という印象のまま気持ちを変えることはこの先絶対に無い。
なんですが夫は自分で、よく人を見てる、観察していると言う。
それなら一度地に落ちた印象は、その後を見届ければそこから加点されていくと思うわけ。
ま、とにかくミランダに嫌な気分にさせられ、不愉快さのオーラを出しまくっていました。
私は、この不愉快さとか不機嫌さを恥ずかしげもなく表す人が大嫌いで、どうしても真っ向から挑んでしまう。
だから喧嘩になってしまうのね。
で、映画の内容というか登場人物で、ミランダの真逆にいるのがアンディの彼氏。
服だとか見た目だとかに拘るのは上っ面ばかりの人がすることで、大事なのは中身だろ!と思っている典型的な人。
ファッションとかの仕事をしてる人は中身がない、と初めから決めつけている様なバカにしているところがある。そうは言わないけど。
これが夫とか環境に近いんですよね。
とまぁ今回の喧嘩にはポイントがいくつかあって
性善説と性悪説
夫は性善説で私が性悪説
これは娘が指摘してきたのだけど、
夫はミランダの我儘ぶりや振る舞いを見て、幻滅する、という表現を用いた。
それは夫は減点法で人を見ている。だからよく無いと思う点を減点していく。
失望した、とか騙された、という単語を使いがち。
私は加点方式。
自分で判断するに、人を見る時百点満点だとしたら50がスタートだ。
夫は熱心な宗教の信者なので、基本人に対して好意的に見ている。
本当に悪い人はいない、と思ってる節がある。
ところが減点法にしていくと、それこそ失望させられたり、幻滅したりする事が重なると、とても世の中は嫌なものになっていってしまいそう。
そんな気がする。
私はある一定の割合で、嫌な奴、しょーもない奴がいて、普通にしている風でも煩悩にまみれてる笑と思ってる。
だから多少の嫌な感じも、許せないほどの怒りにはならない。
ただ、誰も彼も信用していないし、疑ってかかってるし、自分でも嫌な奴だと思う。
なんか長くなってしまいそうなので、2部に分けます。
続く