大阪の下町で育った私は、20代の初めに千里ニュータウンへ参りました。
緑が多くて、公園だらけで、空気がキレイで、とっても住みやすくて大好きな場所でした。
(今住んでいる真美ヶ丘ニュータウンと似ていました!!)
今日調べていてわかりましたが、日本で一番古いニュータウンが、千里ニュータウンなのだそうです。(知らなかったです!)
その歴史はこんな感じです。
私は1976年くらいに千里北町の団地に入居致しました。
当初48㎡くらいの狭い2DKでしたが、洋式トイレがまだ一般的ではなかったので、何だか嬉しかったです。(途中で増床されて3DKになりました!)
先住者の方々は1966年に入居されていたので、10年遅れですね。
今回、一緒に懐かしのニュータウンを見て回ったのは長女です。
たまたま「セルシー」という昔よく遊んだ場所が、今回取り壊しの対象になっていて、そこも見ておきたかったみたいです。
懐かしい場所、懐かしい人には是非行ったり、会ったりしておきたいです。
これまでの人生を振り返って、感謝を伝えたいのです。
私には子供が4人おりますが、最初の子は何もわからなくて、よく叱ったりもしていました。
でも彼女は、下の子供達の面倒をよく見てくれる優しいお姉ちゃんだったのです。
2番目が歩くのを嫌がって、でも私は年子の3人目を抱いており、歩いてもらわないと困ったとき、お姉ちゃんとしてうまく歩かせてくれました。
6歳の彼女は弟の背中に回って、ネジを巻く仕草をするのです。
「ギリギリギリ〜、はいコウちゃんネジを巻いたから、また歩けるよ!!」
そうすると、2歳の弟はしばらく歩いてくれるのです。
「なっちゃん、うまいこと言うなぁ!」
そう思ったものです。
千里中央に買い物に行っての帰り道、いつもそうやって帰りました。
「ものすごく広い場所だと思っていた場所だけど、このくらいだったの?!」
「そうなのよね。私も昔遊んだ実家の路地裏が今見たら狭すぎて入れないくらいだったよ!」
家族の人数が多くて、集まってもなかなかゆっくりも話せていませんでしたが、昨日は行き帰りの車の中や、ニュータウン内のお食事処で、ゆっくり2人で話せました。
ちなみにお食事はヤマダ電機のレストランでいただきました。
こちらでいただきました。
お安いランチ定食でしたが、ヤンニョムチキンや厚めの海鮮チヂミも入っていて、とっても美味しかったです。
20代だった自分も、走馬灯のように出てきました。
一生懸命に1日1日を生きていた気がします。
年子を背中と前に抱いて、幼稚園児のお姉ちゃんの送り迎えは大変でした。
「ここまで団地から毎日送り迎えしてたんだよね!」
「そうやねぇ!わりと遠かったね」
昔から変わらない「樫の木公園」の横を車で通りながら話しました。
同じ棟に同年代の子供達がいっぱい居て、彼女はみんなと仲良しでした。
「この辺を探検していて、帰り道がわからなくなったのよ!」
そう言えば、7人くらいの小さな子供達が2時間以上帰らなくて、親がみんなで探した思い出!!
私が見つけたのですが、7人が1列になって、歌を歌いながら先頭の子は旗のつもりなのかススキを振っていました。
迷子になっていたのに、みんなやたら元気だったのが不思議でした。
あれは幼稚園児の頃でした
当時は2歳半になると、裏の公園へ一人で遊びに行っていました。
平和な時代でしたね。
それより小さい子のお母さんが見てくれているのです。
自分も同じようにしていたので、順繰りの感じだったのです。
夕方それぞれの窓から「◯◯ちゃ〜ん、ごはんやでぇ〜」
お母さんの声が聞こえたら、裏の公園から階段を上がって自宅へ戻ってきました。
前日の雨でドロドロになった砂場で遊んでいた次男は、玄関で服を脱がせてそのまま風呂場へ連れて行きました。
毎日が戦争のような日々でしたが、今思うと楽しかったのでしょうね。
そんな色々な思い出を長女と楽しく話せた昨日でした。
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