小学生の頃から新聞配達とかやってたんですよ。別に家が貧しかったわけでもなく、ただ友達がやってて面白そうだったから。友達はそのうちやめてしまったけど、私はやめる理由もなくそのまま高校生まで続けてた。

 

実際は2学年上に姉貴分のお姉さんがいて「やめないでよ♡」ときつくお願いされてたから。その人の実家なんだけど、私ひとりやめるだけでその新聞販売店が傾くからね。なぜか色目を使われてた記憶。給料日にはお菓子を用意して待ち構えられてた。

 

高校生になると暇な日曜日はあれこれアルバイトしましたよ。ゴルフ場のキャディーなんかが一番儲かった。年賀状配達なんかも毎年頼まれてやってたけど、時給320円くらいだった。古い話ですね。

 

高校2年生くらいから大レースの時は福島競馬場までバイクを走らせて馬券を買いに行ってた。バイト代はそっくりそこで消えるという。世の中うまく出来てる。

 

親から小遣いなんてもらった記憶がない。もらう必要がないから。お年玉なんてあったような無かったような。もらったような気もするけど、別に楽しみでもなかった。

 

結婚してかみさんに全て給料を渡すわけですが。それでも私には「小遣いちょうだい」なんて発想がなかった。ずーっと小遣いゼロ。出張族だったからね。国内、海外、出張手当だけで十分、飲み代とか自分の趣味、娯楽も賄えた。

 

離婚した時はかみさんに一切合切持っていかれた。私が金に執着しないのを知ってるからね。死ぬわけじゃないから有り金全部持ってって下さいというスタンス。

 

その後、今のタイ嫁と結婚して、さすがに金の管理は自分でしてるわけですが。今のかみさんは私の給料がいくらなのか興味も示さないし、私もかみさんのパート代、いくらなのかも知らない。

 

年末調整の配偶者控除するのにかみさんの年収とか書かなきゃいけないけど、今まで一度も書いたことがない。面倒だから年収ゼロで出してる。そもそもかみさんの給料明細なんてないらしい。さすがタイ人、どんぶり勘定。

 

それでも翌年、ちゃんと「市民税納付通知書」は送られてくるから、パート先ではきちんと管理して申告してるのでしょう。当たり前だよね。マイナンバーカードとかルール通り提出してるから、誰もかれもズルなんか出来るわけがない。マイナカードを作らない不届き者は100%、隠れ在日か脱税確信犯。

 

 

 

私みたいなテキトーな人間でも、チマチマお金の計算ばかりしてなくても、普通に働いてれば普通の生活くらいは出来ますよ。楽して儲けようなんて考えるから、人間が堕落する。

 

愛を求めない人、愛に失望した人ほど、お金に執着するというか、お金が必要な人生になってるような気がします。

 

愛こそすべて

というのは決して嘘ではない。頼れるものはお金だけというのは寂しい人生ですよ。

 

 

愛ある家庭には、自然とお金が回り回ってくるものです。