イメージ 1

1951年、日本中央競馬会の前身である日本競馬会の初代理事長を務め
競馬法設立・ダービー創設などの偉大な功績を賞賛すべく「安田賞」として第一回を行い
1958年の氏の死去に伴い、この年から現在の名称である「安田記念」と変更されました。
距離は第一回から芝1600mで行われ、1960・61年の2回だけ芝1800mに変更がなされたものの
1962年には再び芝1600mに戻り、現在まで行われている。
開催場は1967年の東京競馬場改修の影響によって、一度だけ中山で開催されたものの
それ以外は全てが東京競馬場で行われています。
また第1回からグレード制施行前年の1983年まで、計33回をハンデ戦として開催され
1984年のグレード制施行と共にGⅠレースとなり、それを機に現在の定量戦となった。
(ハンデ戦時代は出走頭数・レベルから考察されるに、GⅢ程度のレースだったと考えられる)
1993年からは国際競競走になり、2004年からは国際GⅠに認定され
2005年からは「アジア・マイル・チャレンジ」の一戦として組み込まれている。



ハンデ戦・グレード制以前(1951~83、1回~33回)

2回(52)スウヰイスー・成績等はオークス特集回と参照の事。52年の2冠馬(当時牝馬は2冠しかない時代)で
3回(53)    ダービー8着、菊花2着と活躍した強豪牝馬。現6歳で南関東に移籍し大活躍をした。
        初の安田賞(当時)連覇。ハンデ戦時代はこの1頭だけだった。
8回(58)ラプソデー(57菊花)2歳から活躍し期待された馬だったが、重賞となると善戦止まりになってしまう馬だったが
       秋に菊花賞を制してついに完成したかと思われたが、そこからまた善戦マンに戻り
       この安田でようやく重賞2勝目を勝ち得たものの、次々走の日本経済賞で故障し安楽死処分。
       弟に65年の有馬でシンザンを大外に振ったミハルカスがいる。
9回(59)ヒシマサル(58札幌記念・毎日王冠・セントライト記念、59日本経済賞)1990年代に活躍したマル外の馬の初代。
      こちらは父が当時のリーディングサイヤーのライジングフレームの内国産でクラシック・天皇賞で活躍した。
16回(66)ヒシマサヒデ(66オールカマー、67京王杯スプリングハンデ)兄にヒシマサル↑、兄弟制覇となった。
20回(70)メジロアサマ・成績はメジロマックイーン追悼特集①のメジロアサマ特集を参照の事。天皇賞で3200、この安田では1600と
        かなり幅広い距離適正を見せた。
26回(76)サクライワイ(74・75スプリンターズS)当時の1200m日本レコードホルダー。脅威のタイムを叩き出して同時代の馬をして
       「短距離ならサクライワイに勝てるものはいない」とまで言われた。
33回(83)キヨヒダカ(83新潟大賞典・京王杯オータムハンデ)あまり大きなレースも無くレース数も少ない「中山ダート1800m」に
    23年の時を経ていまだにレコードホルダーとして名を残す。初期ダビスタにも種牡馬として登場し人気に。



普通の人なら聞いた事もない馬ばかりですね笑
まあそれ程GⅠになる以前のマイル路線というのは格が低かったのかという事を現しているとも言えます。
明日は1984年、GⅠ制定後から昨年までとデータ編です。

写真は↑の馬たちの画像がないので史上2頭目の連覇馬であり
「あの」田中勝春と柴田善臣に初GⅠを取らせてしまった名馬・ヤマニンゼファーの
ヒーロー列伝のポスター