なんということでしょう。
前回のブログ更新から、あっという間に10か月がたっていました。。。
皆様すみません。
私生きております。
色々ありました、この10か月間。
さらなる蛹から少し羽を広げ始めています。
端折ってお知らせしますと、私シンガーソングライターデビューをしていたのです、こっそりと。
1.17に神戸市役所前で。
サイレントルーツという名で。(共演者がいたので正確にはサイレントルーツ+永田豊です)
玉龍寺さんでもお坊さんの方々の前で演奏し。お寺関係者の新聞ですがそれにも載ってしまいました。
その画像、映像が。。。スマホ割ってしまい、すべておじゃんで残っていません。(お寺関係の新聞には載ってるので残ってるとは思いますが探すのが面倒。。。)
その他はご縁のある高齢者の集まりで、これから引っ越す方に自作の歌を作って歌うとか。
さて。
3月の末から9月頭までは、今から振り返ると大いなる蛹の時でした。
蛹の中って跡形もなくドロドロになってるんですよね。
まさにそんな感じ。きつかった~
ほとんど三年寝たろう生活。全く起き上がれず。
余りにも変なのでもちろん病院にも行き(確かに血液検査で変な値は出ていました。ストレスのためなのか311後のためなのか、ドクターでもわからないそうで)。
動ける範囲で私が身につけたありとあらゆる術をためし。
それでもダメ。頭も全く回らない。ろれつも回らない。
立ち上がることさえ危うい。
仕方ないので一日中ネット映画を見ていました。
三食のごはんはレンジでチンの肉まん(自然食屋やってた私が。)。
わが子抱えて母子家庭の今、かなりやばい状態に。
息子18歳で料理とかできるように育てていたので息子自身の分は自分でやってくれて助かりました。
大学を推薦で狙っていたので私の面倒まではそんなに頼れず。それでも買い物とか行ってくれましたけど。
これは精神科の領域か、と受診するも一向に良くならないし、ドクターとの意思の疎通が難しく第一病名がよくわからない(のちに関東と関西の違いが、この意思の疎通のむずかしさになっていたとわかる。今私のいるところは神戸。2年前までいた淡路島は関西とまだちょっと違い、私には淡路島コミュニケーションのほうが、わからないなりにすんなりなじみ困難を感じませんでした)。
もうヘルプ出しまくり。
「たすけてー」とあらゆる機関、避難移住者支援組織(私はここでスタッフをやっていたというのに、助けられる側に)や行政(ヘルパー入れてくださいとさらなる嘆願電話。実は嘆願は足を折って母子家庭になった2年前からずっとしていた)に。
そんな時はヘビーなことが続くもんです。
25年以上の付き合いの親友が突然亡くなってしまい、残された親友の子のことなど色々とあり。私の東京にいる母親も状態が悪化、入退院を繰り返し、自立で食事ができないほどに(ケアマネさん、ヘルパーさんついてるので大丈夫なんですが)。
さすがの私も
「もうだめ、人に会いたくない、電話もしたくない」と引きこもりのような状態に。
こんな引きこもっててヒーラーである私自身がどうなの~、とか
親としてこんな状態はいかがなものか、とか
早く仕事再開しなきゃ、とか
外ではカラス(カラスは亡くなった師匠の化身です)が鳴いてばかりいて、*日本での実質一人の弟子としてこの状態はいかがなものか、とか
色々あったんですがやろうとしても見事なほどに、情けないほどにことごとくできない。
気がつけば一週間誰とも話してませんでした、口の筋肉ってどう動かすんだっけなんて生活で、
せっかくシンガーソングライターデビューして出演依頼とかも来ていたのに全く楽器弾けず人前に立てずだったので待っていただき。
*兄弟弟子がもう一人いますが、彼は師匠と師弟関係を結んだわけではないのです。ただ師匠からは、私たちは娘&息子と呼ばれていました
昨年無理に動こうとして横断歩道でこけて救急車で運ばれていますしねぇ、私(昨年も6~8月動けない期間が)。
また救急車で運ばれるわけには&息子にあんまり心配かけたくないので笑顔を作るもこわーい笑顔(だったと思う)。
病院にももはや行けない状態でしたが、今から思うとそれがよかったのです。
日々映画を見ているうちに、ごろごろしているうちに、心配した避難移住者支援組織(私はここのスタッフとして当事者による支援をしていたというのに)の方々や友人らが時折助けに来てくれるうちに、少しづつ自分自身が変わってきました。
静かな静かな時間の中で。
もう私死んじゃうかもなぁ、とまで何度も思ったんですが、
ハートの奥のほうから、ずっと何かが光り続けていました。
それは体の芯を貫く確信のような、船の錨のような、何億年も何兆年も存在している根っこのような、どっしりとした確かなものでした。
「私にはこのえげつないまでの生命力とでもいうべきものがあり、これはなくなることがない」
さらに私は何日もかけて思いました。
(狭心症で明日目覚めないかも、ぐらいのことが何回かあって、今もなのですが常にニトロ携帯なので、そうなると人間深く思うものなのです。)
命がけで息子を守るために東京から出てきてサバイバルの連続だったけれど、その息子ももうすぐ巣立つ。
考えてみたら私の人生、ずっと誰かを守ってサバイバルしてきたんだよなぁ、と。
無理もないんです。
母のおなかの中にいた時から母親DV被害にあってましたし。
どうやらおなかの中にいる時に母を助けなきゃ、とけなげに決めてしまったようなのです、私。
そして年子の弟。そして身の回りの人すべて(引き寄せの法則、とでもいうのでしょうか。私の周りには助けなきゃ、と思ってしまう人ばかり寄ってくるように。道端で人が血だらけで倒れているとか、温泉でどざえもん状態で浮かんでる人がいるとか頻繁に出くわすように。おかげさまで簡単な応急処置を手早くし、関係機関に連絡し、周りに指示を出し、すたこら逃げることができるように。→警察とか来て時間取られるし、色々とうざいからです。) 、元夫、わが子も守って支えなきゃ~と、もう必死で。
そのすべてがもうない、というか終わりなんです。
今じゃ、助けられる立場になっちゃったよ、という。
そうしたら何をどうしたらいいかわからなくなってしまいました。
どう人と接していいのかわからない。
もう必死にネット映画を見まくりました。一日4,5本は見ていました。あらゆるユーチューバーも見て。
私は生まれたての赤子と同じでした。
その頃は不思議な夢ばかり見ていました。
家に引っ越すと知らない人がいるとか、団体で旅行に行き広いお屋敷に住むようになるとか、家がらみが多かった気がします。
不思議なことに引っ越す家は日を増すごとに狭いところから、だんだん広い家になり、最終にはお屋敷というか豪邸に。
それでも朝目覚めると大汗をかいていて。
夢があんまり楽しいので、目覚めるとポツンと何もできない一人の自分がいて言いようのない孤独に気が狂いそうになり、映画を見まくるという日が何日も続いたある日。
祠の扉が開き、中からまばゆい光輝く光が見え、もう光しか見えないという夢を見ました。
全く意味不明な夢なのですが、なぜか目覚めた時も、そのあとも幸せで。なぜか私はもう大丈夫だ、と確信しました。
その頃からか。
亡くなった友人と私と仲間たちで若いころ色んな冒険やバカなことやっていたのとそっくりな、学生のノリのユーチューバーを見つけたり(「はたけしゃしょーの畑」、娘さんを自殺で亡くされていて東日本震災で被災し、それを乗り越えて世界中を回り生き生きと生きている方と出会ったり、旦那さんを事故で亡くされ母子家庭の状態で東日本震災で被災し、家も流されたけれど生きるために前を向いて明るく生きている方と出会い、いろいろな交流をし。災害後ケアの大学院にひょんなことから遊びに行くことになったり。そこでいろいろな方と出会い。
その他にも本当にいろいろな方と出会いました。
その出会いの中で。
人を助けるなんてできやしない、できるのは共に寄り添い歩くこと、それだけなんだなぁと思いました。
だからこそ。
もう他人軸で生きなくてもいい。
自分軸で生きよう。
私はそう決めました。
自分の胸の奥の小さな小さな声を聴いて動くことに決めました。
その声はあんまり小さいもんですから
静かな静かな孤独の時間がなければ聞くことはできません。
今は静かな静かな孤独の時間がとても愛おしいのです。
不思議ですね。
気が狂うほどの孤独だったのに。
今は同じ時間が快適なのです。
どうやら、私はまた一つサイレントルーツになれたようです。
師匠が光になってからの、大きな大きな一歩でした。
(というか、以前があまりにもお粗末だっただけでは、とも思うのです^^;。師匠、こんな出来の悪い弟子ですみません)
不思議なもので時を同じくして体調回復のコツをようやくつかみ、劇的に回復してきています。
コツは塩分の多い昔ながらの発酵食品と体を温める食べものでした。そしてトイレ掃除。床掃除でもいいです。
ちなみに砂糖ものを食べると途端に調子が悪くなるので、今は砂糖ものは控えています。
その代り果物をよく食べます。そしてクエン酸を水に溶かして飲む(1日2グラムまで)。
そして毎朝の祈り(アメリカインディアン式)、動けるようになってきたら、ストレッチ、ヨガ、ラジオ体操、チベット体操、昇ってくる朝日を見ながら太陽礼拝、公園で軽い走り込み。
デトックス効果のよもぎ、セイタカアワダチソウのお風呂。
今のところこれで快調に過ごせています。
それでも今だに迷うことはあります。
なぜかやりたいことがはっきりしない、決断に迷う、頭の中がぐるぐるする、そんな時は。
助けなきゃと、つい無理をしてしまうのが癖になっているので、深呼吸して少し疲れたな、と思ったら意識的に休むようにしています。
それでも状態が変わらない、迷うぞという時には。
今私は人前で音楽をする時なのか?世界の流れを見て海外の友人にコントクトを取る時なのか?や
今日はうどん?それともごはん?などのことまで。
迷った時には自分の胸に耳を傾けるのです。
「今何がしたい?」と。