昨日地元の淡路島にて語り部してきました。 | サイレントルーツの実

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先住民文化と歩く毎日のつれづれ。
食・子育て・自然農・鉱物や菌類。癒し。語りべ。
民族楽器とともに語る昔話への道・先住民の方々との日々。
淡路島移住生活・母子疎開支援


昨日は地元・淡路島の教会の子供会にて語り部してきました。
手遊び・わらべ歌・お話2つ、アイヌの歌の輪唱、トンコリとムックリの体験場をしてきました。
午前中1時間ぐらい。
(手遊び・わらべ歌・お話でいつもは完結しているのですが、今回は教会さんのたっての希望でアイヌ体験を混ぜ込みました。)
撮影担当は夫。

ようやっと淡路島デビューです。

東京にいた時は語り部・わらべ歌・手遊びはちょこちょこやっていたのですが、淡路島に避難移住してきてからは、しばらくサバイバル状態だったので「やりたいなぁ~」と思いつつもできませんでした。
右も左もわからず、子供の集いってどこにあるの?第一子供見かけないじゃん(淡路島は超高齢化社会)状態だったのでした。

一年かかってようやく子供の集いグループが公民館であること、読み聞かせの会があること、淡路島の教育事情、淡路島の親事情、子供や母親たちの現状がわかってきました。
住む家もようやく落ち着いてきたし(一年で三回越しました。ようやく今の古民家で落ち着きました)
そろそろ始めようかな、どこかに声をかけようかなと思っていたやさき、教会から「やってください」とありがたいお話が来たのです。
まぁ、半年前から「機会があったらよろしくお願いします」と言われ続けていましたが、そういった言葉だけの社交辞令も東京にいた時多かったので(教会さん、ごめんなさい!)今回も忘れていたところに、正式にお願いします、と依頼が来たのでした。

ありがたや。

久方ぶりの「語り」でしたが、反省するところは多々あるものの、なかなかいいものができたのでは、と自負しております。
そこら辺にいるお母ちゃんのノリでできましたから。


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語りや手遊び・わらべ歌の世界は「普通のお母ちゃん」が子供たちと接している、という感じがベストなのです。
私は言語治療教育家の川手鷹彦さんに10年ほど教わっていて、私は元影絵劇団員なので、ひたすらダメだしされてきたのです。

(「かぁ~、なにそのわざとらしい語り!わざとらしい劇団姉ちゃん」とか味噌くそに言われ、ちくしょう~と反論したくなるのですが、先生が語ると0歳児から大人まで全員ひきこまれてしまうの見ていて、自分はそこまでできていない、先生の言う通りなので、反論できず。川手先生に「いいね!」と言わせてやるぞと毎回挑んでいたのですが、けちょんけちょんに言われ続けて10年。)


語り・わらべ歌の世界は「みなさーん!元気ですかぁ?」とやるのは最悪です。
子供たちの潜在意識に種をまくのが語り・わらべ歌。子供の叡智を最大限守り、引き出すのも語り・わらべ歌です。

みなさーん!は子供を思いっきりバカにしていて、「お前たちはこんなものだろう」が演者の中に見え隠れしているのです。子供はとても鋭敏な感性を持っていますから見抜きます。
「お前はこんなものだろう」って態度されたら普通の大人なら不快に思いますよね?
でも子供たちは優しいので、
「しゃーない。大人たちを喜ばせるために合わせてやるか」そんな風に思い、楽しそうにしているフリをするか、鼻をほじって自分のおもちゃで遊びだすかします。
めちゃくちゃ正直で、寛容です。

(それを「遊んじゃダメ」、とか「聞きなさい」とか大人はしがちですが、それはさらに最悪。
高圧的で威圧的な大人の態度に、障害のあるお子さんや感性の鋭いお子さんなら、ここで暴れだします。ここでの暗黙のメッセージは「私に従え」ですから。大人でもそんなこと言われたら怒り出しますよね。)

だから子供相手の語りや手遊び・わらべ歌は真剣勝負です。ごまかしはききません。
大人に語るほうが全然楽。
が、だからこそ面白い!というのはあります。ダイレクトに反応が返ってきますから。

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話に引き込まれた時は子供たちの目はキラキラしていてグッと空気が集まってくるし、気持ちがそぞろな時は空気がワサワサしています。


昨日は最初ワサワサ、手遊びで笑い、目キラキラ、空気グッ。で、ほっとして。
最後はアイヌの輪唱や楽器体験で楽しく帰途につく、そんな感じでした。

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昨日の会は先生が見ていたらなんというだろうか。
きっとまた「そんないやらしい薄っぺらいリードはいらない。子供たちに何植え付けてんの。子供たちが自然に何が始まるのかな、と思わせる間をつくれんかね~!」とけちょんけちょんに言われる気も。

帰宅して昨日の会の記録ビデオを見て。
まだまだだな、私。
子供たち・親御さんたちの心の大地にいくらか種は蒔けたとは思うけれど、子供の叡智を守るところまではまだいけていない。わかっちゃいるけど、先生とは雲泥の差や(大家の先生と比べるほうが無謀なのだけれど)。。。。
まぁ、昨日よりは明日、死ぬまでにできればいい!
語りは60歳を超えてからやっと「語り部」と言える世界やからね。
今は修行、修行!

(ちなみに自分で「語り部」と言っちゃってるけど。本当の「語り部」は周りの人から「あの人は語り部だね」と言われるようになって初めて「語り部」です)