橋をかける、橋を作る | サイレントルーツの実

サイレントルーツの実

先住民文化と歩く毎日のつれづれ。
食・子育て・自然農・鉱物や菌類。癒し。語りべ。
民族楽器とともに語る昔話への道・先住民の方々との日々。
淡路島移住生活・母子疎開支援

プールの季節になりました。
東京の元わが息子の同級生は、普通に入るんだろうな。。。それを思うと心が痛いですが、各ご家庭の選択です。

昨年は我が家は拒否、それを見たほかの保護者の方も2,3人は拒否してたな。
運動会も給食も拒否しました。それは同じクラスの保護者の方々に波紋を呼んだようです。
なぜか我が家の実行のあと牛乳だけ拒否の家庭とか現れましたから。
... 皆お互いにけん制しあって、動向を見ている感じです。

学校からは気にし過ぎだの、そんなに気になるんだったら移住すれば良いのでは、と校長先生が私に言ったくらい。それを聞いて学校現場はもう子供たちの命・健康は守らないと思いました。(この時に移住を決意しました。)

きちんと担任の先生にも校長先生にも辛抱強く低姿勢で話しました。「子供を思って教員会にこられたのではないですか?子供を思う心は親も同じです。心配しすぎ、それはそうかもしれませんが、反対に100パーセント安心とも言えないと思います。(とここで、新聞の記事を何点か。住んでいた杉並で高線量の養生シートが見つかって立ち入り禁止になったこととか)私は保護者として後悔したくないのです」
で、しぶしぶ了解を得ました。(詳しくは下記の*の後に。)

友人たちが楽しそうに活動している姿の横でわが息子も良く耐えました。正直、学校教育での友人たちとの共同作業にも参加できないのは、と心底悩みました。
けれども5年後を思った時、チェルノブイリの先例を調べた時、私は参加しないことを決断しました。

8ヶ月経った今、杉並では高線量のところがちらほら見つかっているようですね。
私は自分を信じてよかったと思っています。

これが首都圏の子供を持つ母親の孤独な戦いです。
フクシマはもっと孤独な母親の戦いです。

数は少ないですが、私だけではないです。東京圏だけでも各学校に行動している方は2,30人はいます(地域差あり)。行動していないけれど不安に思っている保護者はもっと多い。
フクシマはもっと多いし、深刻な状態のようです(以下のリンク本文に記述あり)。

けれども政府、学校は黙殺です。
政府や学校は子供に何かあった時、何の保障もしない、というかできないでしょう。
(フクシマの子供の甲状腺異常も鼻血さえも「異常とは認めない」ですから)
ドクターや知識人、テレビなどのメディア、皆そろって。「安全、絆、食べて東北支援」ですものね。

日本末期状態じゃないかと思いました。
(そんな状況を外国は日本人は総玉砕思想から変わっていない、気が狂ってると思ってます。)

お母さんたち、子供を守れるのはあなただけだよ。

http://www.kakehashi.or.jp/?p=6194



最初声を出すのは「戦い」でしたが、それだと学校側も身構えてしまって聞いてもらえません。
何回か話し合いを設ける中で学校へ声を出す目的は子供たちを守るため、ケンカするのが目的ではない、と自分自身に言い聞かせました。

何回にも及ぶ学校側への話し合い(何回校長室に行ったことか)でわかったのは、子供を思う気持ちは保護者も学校も共通のこと。校長先生たちは文科省の「お達し」のハザマで板ばさみになっています。

また情報も知らない。
3.11前から原発不要の立場だ
った私でさえ、入り乱れてる情報を精査するの大変でしたから忙しい学校業務の後で調べてられないのもわからないでもありませんが、
心ある母親たちは寝る時間を大幅に削って必死で情報を集め、精査しています。

最初は色々といやみは言われるし、モンスターペアレンツ扱い、またなめきった態度(母親の申し立ては甘く見る傾向があるようです。父親同席、自分の服装もスーツで行くと学校側の態度が豹変します)で学校側は接してきました。
一瞬自分の決断は気にしすぎなのかと思ってしまいます。ああ、こうしてお母さんたちの声がつぶされていくんだなと思いました。

が、なるべく低姿勢で(腹の中は煮えくり返っていようとも)
お願いしつつ、資料をさりげなく渡していく。
すると聞いてもらえました。
時間がかかりましたが、学校側
に放射能に対する意識が出てきました。
そして、声を出していたのは私一人ではなかったようです
(私がこうしたアクションをしているのを同級生のお母さんたちにさりげなくちらっと話してもいたので。)

情報を知らない傾向は保護者の中にもあって、家のローンを抱え働かなきゃならないからPCの前にそんなに長く座ってられない、安全には不安があるけど気にしだしたら生活できない実態でした。
だからマスコミの安心安全や食べて応援、絆が心地よいが、どこかで不安がある、と話した何人かのお母さんは言っていました。
(給食拒否とかしてたので子供の同級生のお母さんから、話しかけてきたのです。何人か、一人ずつね。)

心は痛いですがそれもひとつの選択です。
いろいろな事情も各家庭であ
りますから、悩みぬいて選んだ結果なら子供も本望だと思います。

選べるのをまずは知ってほしいな。
そしてすべてを敵味方に分けるのではなく、お互いに橋をかけることmこれが重要だなと感じています。

日本では国や学校は最早子供を守れないようです。

けれども橋をかけ続けましょう。
あるいは未来への橋を作りましょう。
子供たちの笑顔のために。


教育を自分たちでするのもひとつの手かなと思っています。
フリースクールや寺子屋的なもので。
今は日本の学校を出ても役に立たないですし。(学校を卒業しても国内では就職難民です)

子供たちの健康と安全は、この国では本当にその家庭の判断になってきました。
お母さんたちの判断になってきましたね。


この先どこまでできるかわからないけれど、
動けば道は開きましたよ。

淡路島より