東京書籍の何が問題か4 | 折本たつのり千葉県政報告(浦安市)

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千葉県議会議員、折本龍則による政治活動報告
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我が国の国柄とは何か

これまで論じたわが国の神話と対外的独立の歴史に関する記述でいうと、育鵬社と自由社の教科書は共にその要件を満たしているように思われますが、これらの教科書とて万能ではありません。というのも、上述した我が国の独立の歴史は国家の対外的関係における話ですが、一方の国内における関係、殊に天皇と国民との関係については、育鵬社と自由社の教科書ですら、君臣の大義名分を論じ、我が国柄の固有にして尊厳なる所以(ゆえん)を十分に説き明かしているとはいい難いからです。

我が国は、神武天皇の御建国以来、万世一系の天皇を君主に戴いて来ました。この天皇による支配は、皇祖神である天照大神が天孫ニニギノ尊に授けられた「天壌無窮の神勅」に基づくものであり、我が国は君主である天皇と臣下である国民が父子の情愛で結びつき、利害苦楽を共にすることによって、内外の国難を乗り越え国家の安寧秩序を保つことが出来たのでした。しかしながら、長い歴史のなかでは蘇我氏や藤原氏、源平の武門といった時の権力が臣下の分際で専横を振い、また謀反を働く事によって、朝廷から政治の実権が失われることもありましたが、その都度、忠君の志士たちが立ち上がり、神武建国への回帰としての「維新」を成し遂げることによって、天皇を戴く国柄(これを国体といいます)、を護持してきたのです。

したがって我が国の国体においては、天皇親政こそ本来の姿であり、幕府政治はあくまで変態的な姿なのです。この国体の本義が分からなければ、明治維新が王政の復古の大号令で「諸事神武創業の始に基づき」と謳われたように、六百年続いた武家政治から、朝廷が政治の実権を取り戻したことを本質的な意義とし、それにより国民が天皇の下で一丸となって西欧列強の侵略から国家の独立を守り得た事実を理解することは出来ません。そしてこうした意義を有する明治維新も一朝一夕に成就せられたものではなく、その過程では、あまたの先知先覚(先覚者)たちによる計り知れない苦労や犠牲があったのです。だから国家の正史を教える歴史教育では、事に成否にかかわらず、まさにこうした人々の功績を顕彰し、その志を後世に伝えるべきなのです。

例えば、後醍醐天皇が御親政の回復を目指された建武の新政についても、その実現には北条幕府の打倒に功績のあった護良親王や楠木正成、新田義貞と云った忠臣たちの存在がありました。また、三百年続いた徳川幕府も、その基盤が磐石であった四代将軍家綱の頃から、山崎闇斎を始めとする尊王論が起こり、それらは遂に山縣大弐や竹内式部による幕府政治の否定となって現れました。こうした彼らの事績は、幕末の志士たちに強い影響を与え、明治維新の思想的原動力にもなりましたが、東京書籍は言うまでもなく、残念ながら前述した二つの教科書(育鵬社と自由社)もこれらの事績やその意義を十分に説明しているとは言えません。これは看過の出来ない重大な問題です。