先日参加したタクティカルシラットの稽古内容を忘れないように、自宅でも自主練習を行いました。
武術の技術というものは、稽古中には理解したつもりでも、数日たつと細かな手順を忘れてしまうことがあります。特に普段とは異なる流派や団体の動きは、自分の身体に馴染んでいないため、早めに復習しておかなければ記憶から抜けてしまいます。
今回は稽古からあまり時間を空けず、教わった動作を一つずつ思い出しながら確認しました。完全に正確な形で再現できているかは分かりませんが、少なくとも大まかな流れを身体に残しておくことはできたと思います。
タクティカルシラットの技術を練習して感じたのは、全体的に手数がかなり簡略化されているということです。
これまで私が参加したことのある他のシラット団体では、一つの攻撃に対して複数の受けや崩しを連続させる場合がありました。相手の腕を処理したあとに打撃を入れ、さらに関節を取って投げや拘束につなげるなど、かなり多くの動作を組み合わせることもあります。
そのような技術は見栄えも良く、上手な人が行えば非常に滑らかです。ただし、私のようにあまり器用ではない人間にとっては、すべての手順を正確に覚えるだけでも一苦労です。
右手で何を行い、左手をどこに置き、次にどちらの足を動かすのか。手順が増えるほど頭の中が混乱しやすくなります。最初の動作を考えている間に次の動作が遅れ、結果として全体の流れが止まってしまうことも珍しくありません。
その点、タクティカルシラットの内容は比較的シンプルでした。
動作の数を抑え、覚えるべきポイントを絞っている印象があります。複雑な連続技を最初から行うのではなく、相手の攻撃に対して必要な動作を順番に確認していく構成です。
手数が少ないため、何を目的とした動作なのかも理解しやすく感じました。
もちろん、武術経験が豊富な人や複雑な技術を好む人にとっては、多少物足りなく感じる可能性もあるでしょう。さまざまな流派を長く経験してきた人であれば、もう少し技術的な変化や応用を求めるかもしれません。
しかし、技術が簡単であることと、価値が低いことは別の話です。
実際に使うことを考えれば、手順が少なく、すぐに思い出せる技術には大きな利点があります。緊張した場面では普段通りに身体が動くとは限りません。複雑な技術を数多く知っていても、その場で思い出せなければ使うことはできません。
むしろ、覚える動作を絞り、同じ動きを繰り返し練習する方が現実的な場合もあります。
私自身は器用な方ではありませんので、手数を少なくしてもらえることは大変に助かります。複雑な動きを覚えようとして途中で混乱するよりも、シンプルな動作を確実に身につける方が自分には合っています。
今回の自主練習でも、一つひとつの動作をゆっくり確認することができました。手順が整理されているため、稽古で行った内容を比較的思い出しやすかったです。
また、スティックの技術についても同様の印象を受けました。
フィリピン武術や一部のシラット団体では、スティックを高速で回転させたり、左右へ連続して持ち替えたりする華やかな技術を見ることがあります。熟練者が行うスティックワークは非常に見栄えが良く、それ自体に魅力があります。
一方、タクティカルシラットで練習したスティックの動きには、あまり華美な印象はありませんでした。
派手に振り回すのではなく、必要な角度から確実に打つ。相手との距離を確認しながら、無理のない軌道でスティックを動かす。そのような地味で堅実な内容が中心だったように思います。
見た目の派手さを求める人には、少々おとなしく感じられるかもしれません。しかし、私としてはこのくらい簡潔な方が理解しやすく、練習もしやすいと感じました。
スティックを速く複雑に回すことよりも、まずは正しい軌道で振ることが重要です。相手に届く距離を把握し、自分の姿勢を崩さずに動くことも欠かせません。
そうした基本を確認するという意味では、今回教わった内容は非常に取り組みやすいものでした。
自主練習では、最初から速く動こうとはせず、スティックの軌道と身体の向きを確認しながらゆっくり繰り返しました。速さを出すと形が崩れやすいため、まずは同じ場所を安定して通せるように意識しました。
武術の練習では、どうしても難しい技や派手な技に興味が向きやすいものです。私自身も他団体の高度な技術を見ると、つい真似をしてみたくなります。
しかし、実際に自分で練習してみると、単純な動作を正確に行う方が難しい場合もあります。
手数が少ない技術は、ごまかしが利きません。動きが簡単な分だけ、姿勢や距離、角度の間違いがそのまま表れます。そのため、シンプルな技術だから練習する価値が低いとは考えていません。
今回タクティカルシラットの稽古に参加し、その内容を自主練習したことで、複雑さだけが武術の価値ではないと改めて感じました。
高度な技術を学ぶことも大切です。一方で、初心者でも理解しやすく、不器用な人間でも繰り返し練習できる技術には別の良さがあります。
特に私のように動作を覚えるまで時間がかかる人間にとって、手数が整理されていることは大きな助けになります。
今後も稽古で教わった内容をそのままにせず、忘れないうちに復習していきたいと思います。派手さはなくても、地味で堅実な動きを繰り返すことが、最終的には技術を身につける一番確実な方法なのかもしれません。
タクティカルシラットのI先生を見ていると、私が以前から尊敬している長野峻也先生と、どこか通ずるものがあるように感じます。もちろん、お二人の経歴や技術体系が同じという意味ではありません。ただ、武術に対する考え方や、自分なりの技術を築き上げようとする姿勢には、似た部分があるように思うのです。
長野先生は一つの流派だけにとどまるのではなく、複数の武術や流派を研究し、それぞれの中から有用と思われる要素を吸収してこられた方だと私は理解しています。そして、単に既存の技術を並べるのではなく、自身の体格や身体能力、武術観に合わせて再構成し、独自の体系としてまとめ上げられました。
私が長野先生を尊敬している理由の一つは、決して恵まれた体格や並外れた運動能力だけに頼って武術を組み立てた方ではないように見えることです。大柄で力の強い人間が、その身体的な優位性を生かして強さを示すのとは少し異なります。自分に何ができて、何ができないのかを見極めながら、試行錯誤を重ね、一から自分の武術を作り上げた点に大きな魅力を感じています。
タクティカルシラットのI先生にも、それに近いものを感じました。
I先生も完成された達人として人前に立っているというよりは、さまざまな武術を学びながら、自分の身体でも再現できる方法を探し続けている方のように見受けられます。すでに達人の境地へ到達した人物が、完成された技術を一方的に教えるという雰囲気ではありません。今も自分自身が練習者であり、さらに上を目指して試行錯誤されているように感じました。
その姿勢には、私も非常に親近感を覚えます。
武術の世界では、体格や運動能力に恵まれた方が注目されやすいものです。しかし、そのような人の技術が、誰にでも同じように再現できるとは限りません。小柄な人や運動が得意ではない人、物覚えがあまりよくない人には、その人なりの学び方や技術の組み立て方が必要になります。
長野先生もI先生も、自分の身体的な条件を無視して、誰かの技術をそのまま真似するというより、自分に合う形へと工夫を加えているように思います。複数の武術から学び、その中から自分に必要なものを選び出す。そして、余分な部分を整理しながら、自分なりの体系へまとめていく。そのような姿勢に、私は共通点を感じました。
特にタクティカルシラットの技術は、動作が比較的シンプルに整理されています。高度で複雑な技術を見せることよりも、普通の人が無理なく覚えられることを重視しているようです。
それは、単に技術を簡単にしているということではないと思います。自分自身が試行錯誤してきたからこそ、どの部分で初心者が迷うのか、どの動作を減らせば理解しやすくなるのかを考えているのではないでしょうか。
完成された達人の技術には、もちろん大きな価値があります。一方で、達人ではない普通の人が、自分なりに研究と努力を重ね、少しずつ技術を築いていく姿にも別の価値があります。
私自身も、決して体格や運動能力に恵まれた人間ではありません。武術経験だけはそれなりにありますが、物覚えがよいわけでもなく、器用でもないのです。そのため、生まれつき強かった人や、若い頃から何でも簡単にこなせた人よりも、不得意な部分を抱えながら工夫を重ねてきた人に強く惹かれます。
長野先生が複数の武術を研究し、自分なりの体系を作り上げた姿と、I先生がさまざまな経験を通じてタクティカルシラットを組み立てているように見える姿。その二つには、私の中で重なる部分があります。
すでに完成した達人から技術を受け取るのではなく、自分自身も学び続けながら、同じように武術が得意ではない人へ伝えていく。その姿勢こそ、タクティカルシラットのI先生と長野峻也先生に通ずる点なのではないかと思いました。