欲望のおはなし | そして日々は続く

欲望のおはなし

たとえば。


大事なひとが身も世もなく、落ち込んでいたとする。


私は、どうしても手を貸したい。


あなたの、役に立ちたい。




けれど、私は、たいていのところでとても無力だ。

私が、誰かの役に立てるか否かは、相手への思い入れの強さとは、
まったく無関係のところにある。

私が、何かの役に立つ時もあるけれど、役に立たない時は、
それよりも遥かに多い。


よかれと思って、なにかができることもあるけれど、
それが本当に相手に「よかれ」となるとは限らない。

「あなたの役に立ちたい」「あなたの力になりたい」という気持ちは、
かんたんに、「あなたの中に自分の存在意義を感じたい」という、
とても拒絶しにくい、暴力的な、押しつけにかわる。



善意が、悪意よりも、悪質であることは、哀しい哉、とてもとてもよくあることだ。



誰かの役に立つ、誰かに求められる人間でいたいと、誰しも思う。

だから、私がもし、誰かの、役に立てたと思えることがあったなら、
その相手ではなく、私の方こそが、役に立てたと思わせてくれた人に対して、
本当に感謝すべきだ、と思う。

お礼をいってくれたからではなく、何かを返してくれたからではなく、
何かを私にさせてくれたこと自体へ、ただただ、感謝。




これは、ぜんぜん綺麗ごとじゃない。つよい欲望のおはなし。




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