左党浩市氏の思想信条と人物改変 | 日本知っとき隊!

                         

    フィフィが考える「佐藤浩市の首相揶揄発言」が炎上した理由


    佐藤浩市
     人気コミック『空母いぶき』の映画化に際して行われた、佐藤浩市のインタビューでの発言を巡り、論争が巻き起こっている。演じる内閣総理大臣役について、「ストレスに弱くて、すぐにおなかを下してしまう設定にしてもらった」とのコメントが、『潰瘍性大腸炎』を患っている安倍晋三総理を連想させると大炎上。このような事態に陥ってしまった原因をフィフィが考える──。

    ◇◇◇

     まず、今回の炎上をみて著名人たちがツイッターで激しく論争していますが、個人的にはそこまで目くじらを立てるものではないかなとも思いますね。

     それよりもなぜ表現を巡る問題がここまで炎上してしまったのか、表現者であるならば、感情に任せてツイッター上でいろいろと呟くのではなく、そうした状況に陥ってしまった原因を冷静に考える必要はあるかなと思いました。

     私自身も、名前は出さないものの、特定の著名人に対して意見をすることはあるし、芸能人が政治家に対して意見をいうことは別に良いのではないでしょうか。ただ、今回ここまで炎上してしまったのは、佐藤さんが役に対して、

    《最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね》(『ビックコミック』2019年5月10日号より)

     と、自ら「体制側」という言葉を用いてしまったことが大きいと思います。

    自らつくり出した“叩かれスタンス”

     現在の政権を批判しているわけではないにしても、「~側」と前置きをしてしまったことによって、右・左の対立構図を作ってしまった。このスタンスを作ってしまったことで案の定、右寄りの論客、安倍総理を支持する人たちは、それ以下の佐藤さんの発言を“身構えて”読むことになる。こうなると何を言っても悪く捉えられるのは目に見えています。

     だから安倍総理の潰瘍性大腸炎を連想させるとして問題となった、

    《ストレスに弱くて、すぐにお腹(なか)を下してしまうっていう設定にしてもらったんです》

     という発言に対し、構えていた右派からは「安倍さんだから揶揄したんだろ」と批判の声が上がり、一方左派からは「安倍さんだったら揶揄しても良いや」とスルーされてしまった。

     仮にもし前置きが「私は安倍総理のことを尊敬していて〜」といった内容であったなら、むしろ「安倍さんの苦悩を忠実に再現した」と、好意的に捉えられた可能性だってあったかもしれない。

     でも、そもそも本来であれば、人間としてのモラル的に、どんな背景があろうと身体の特徴や病気を揶揄(やゆ)するということに対しては、疑問を持つべきです。右・左という構図関係なく、双方から批判が来てもおかしくないところだよね。

     また、最近、漫画やアニメを実写化する映画はすごく多いのだけれど、映画化にあたり、監督の意図や、役者の気持ち、考え方によって原作のキャラクターを変えるというのは、どんな作品でもファンから文句をいわれます。キャラクターを勝手に変えられるというのは、原作ファンからしたら抵抗があるものです。

     今回佐藤さんがインタビューでこのように答えていなかったとしても、わざわざ原作にない「お腹が弱い」という新たなキャラクター付けをしたことで、どちらにせよ「イメージが違う!」と批判された可能性はありますよね。『空母いぶき』はファンが多い作品だと聞きますし。

     いずれにしても、表現するということは、大変だなと思いました。表現の仕方次第で人に誤解を与えてしまうこともあるし、作品の印象を変えてしまうこともある。

     右も左もない『いぶき』のファンからしたら、作品そのものが好きなのに政治色が強くなってガッカリしたんじゃないかな

    <構成・文/岸沙織>

    ~~~~~~~~~~~~ 週刊女性PRIME さまより ~~~~~~~~~~~~~~

     

     ネットで結構な延焼をみせる‘左党発言問題’である。

    当方、女だてらに又年甲斐も無く軍事モノが好きだwww。従って当然かわぐちかいじの「空母いぶき」も読んでいる。ジャンルに関わらず、漫画や小説を映像化する場合の常だが、原作の魅力を損なわないかは我々愛読者の危惧する所だ。その疑義の拭えないところへこのネタばらしはかなり重要だ。純粋に軍事エンターテイメントを楽しみたいミリオタには、見ようと意気込んでいるところへ出演者自身から「原作とは違うよ」と宣言されたに等しい。左党氏は「僕らの世代は体制側への云々」と発言されているが、当方も同世代である。あるが少なくとも彼と同じ認識はもたない。彼の周辺の共通認識がそうだというだけだろう。

     映画「空母いぶき」の詳報が漏れ伝わってくるにつれ、作品中で我が国の離島へ侵攻して来るのは架空の国だと知った。原作中では、侵略国は中国だと特定している。このあたりの制作側の忖度(というか怯懦)はいったいどうしたことかと訝しんでいる。宮脇ちゃんねる(仮)さんによれば、映画制作委員会には朝日系列のスポンサーもあるという・・・もしかして作品を換骨奪胎する目的でもあったのだろうか?そもそもエンターテイメントの軍事やスパイものは、強力な敵が無いと盛り上がらない。ゲームの最終盤に強力なラスボスが必須なのと同様だ。却って、前世紀は西欧列強に蚕食されたChinaが、ついに名誉ある強敵認定されるまで発展したのだと思えば称賛しているに等しい。当方長く軍事スパイ小説の愛読者だったが、ソ連崩壊はこのジャンルの縮小と停滞をもたらした。創作物でも強力な敵という刺激が無ければ盛り上がらないのだ。

     この手の軍事モノは緊張を内包する。習近平のいう‘中国の夢’行きつく先の危険性をも示唆しているのを自己検閲したのか?マスコミと映画業界が極めて親中国・容共的なのは、チャイナマネーの影響なのかとも、疑いは消えない。

     実は、左党発言と架空敵を知って映画館鑑賞を止めようと思った。続報を知るに、現憲法下での自衛隊員がいかに限定的な専守防衛を強いられているかも表現しているという。体調不調で怯懦な左党総理は視たくないが、現場自衛官の奮闘ぶりだけは視たいとも思う。大体、原作に無い垂水総理の人物設定変更は無意味だ。現場の犠牲が出る可能性ある発令する状況ともなれば、おう吐する精神状況も理解できる。リアリティ表現を狙うなら現職総理を参考にする必要も無い。緊張を表現するためには、おう吐→下痢への変更はかえって余計だ。さらに結末では、中国を含むUN諸国軍が救援に現れて大団円を迎えるという・・・なんという欺瞞か・・・。現憲法下では、我等の防人はこちらからは攻撃する事も出来ず、やられっぱなしで屍山ができるという現実を知るには有益かもしれぬ。左党氏の垂水総理人物改変を容認しても、原作者と監督制作陣が映画化したのは、もしかして自衛隊の置かれている状況を世に問うため、肉を切らせて骨を切る、深謀遠慮ではないか・・・ともとれる。一つの映画に、製作者の意図、資金提供者の意図、出演者の意図、様々な思惑が考察する。ともあれ複雑な視方ができる作品には仕上がっているといえるだろう。