日本海軍の栄光を思い出せ! | 日本知っとき隊!

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    今こそ日本が振り返るべき100年前の海軍の活躍

     
     
     
     
     

     

    © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 現在のマルタ島。第1次世界大戦では、地中海の補給線を護衛する連合国の海軍基地となっていた

     

     日本人の多くはあまり認識していないが、日本は第1次世界大戦に「連合国」の一員として参戦し、戦勝国となった。その際、日本が受け持った重要な作戦の1つに、ドイツの潜水艦「Uボート」から連合国の船舶を護衛するミッションがあった。『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』の著者、佐藤けんいち氏は、日本は100年前に「海を守った」経験を改めて振り返り今に役立てるべきだという。(JBpress)

     

    「西欧の没落」の始まりとなった第1次世界大戦

     

     第1次世界大戦が終結してから今年(2018年)で100年になる。最終的に終結したのは、ドイツが連合国と休戦協定を結んだ1918年11月11日。当時は「第1次世界大戦」というネーミングはなかった。その約20年後に再び「世界大戦」が勃発したため、ナンバリングされることになったのである。

     日本では「先の大戦」の人的被害と物的被害が日本史上未曾有のものとなったため、第1次世界大戦の印象はきわめて薄い。遠いヨーロッパの戦争といった意識しかなかったからだ。いまでもそうだろう。

     だが、ヨーロッパでは「世界大戦」といえば、なによりも第1次世界大戦のことを指している。ヨーロッパが主戦場となったこの破壊的な世界大戦は、その後の世界情勢の大変動をもたらしたからだ。ユーラシア大陸から離れた北米の新興国アメリカの台頭、そして大戦中のロシア革命(1917年)によって誕生したソビエト連邦。この二大勢力のプレゼンスが、「西欧の没落」の始まりを印象づけることになった。

    「第1次世界大戦」の印象が薄い日本だが、日本もまた「連合国」の一員として参戦していることはぜひとも常識として知っておきたい。前回のコラム(「日本に住みつき『技術』を伝えたドイツ人捕虜たち」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54058)では、第1次大戦中にドイツの租借地であった青島要塞を攻撃した「青島攻略作戦」と、日本各地に収容されたドイツ人捕虜のエピソードを取り上げたが、日本が関与した作戦はそれだけにとどまらない。

     帝国海軍は青島攻略作戦だけではなく、英国からの要請で2つの重要な作戦に参戦している。それは“太平洋全域とインド洋におけるドイツ艦隊の追跡”と、“地中海における護衛艦作戦”である。前者は、青島港を母港とするドイツ東洋艦隊を太平洋全域とインド洋から駆逐して、船舶運航の安全を確保する作戦であり、後者は、日本から遠く離れた地中海で、ドイツの潜水艦「Uボート」と武装商船による「通商破壊作戦」から連合国の船舶を護衛する作戦であった。

     今回はこの2つの作戦を取り上げて、英国や米国、そして日本のような「海洋国家」にとって海軍の存在意義がどこにあるのか、なぜ日本は「第2次世界大戦」で敗戦国となったのかについて、考えるヒントを提供したいと思う。地政学的に考えれば、日本の生存にかかわる「シーレーン防衛」問題は、100年前も現在も変わらないのである。

     

    インド・太平洋における「シーレーン防衛」

     

     第1次世界大戦の勃発にともない、英国海軍とドイツ海軍はヨーロッパ周辺海域だけでなく、太平洋からインド洋にかけての海域でも衝突することになった。

     英国側は香港を拠点にした英国東洋艦隊、ドイツ側は青島を拠点にしたドイツ東洋艦隊である。帝国海軍は、日英同盟の関係から英国の要請を受け、英国海軍との共同作戦で太平洋とインド洋の「シーレーン防衛」を行い、大いに貢献することになる。帝国海軍には、10年前の日露戦争での英国への恩返しという意味合いもあったようだ。

     帝国海軍は、1914年9月に「第1南遣支隊」(巡洋戦艦2隻、装甲巡洋艦1隻、駆逐艦2隻)を派遣して南洋群島にあて、さらに英国からの要請で「第2南遣支隊」(戦艦1隻、巡洋艦2隻)を編成してオーストラリア方面に派遣して、英連邦軍をオーストラリアとニュージーランドからヨーロッパ戦線に輸送する船舶の護衛の任務についた。

     ドイツ東洋艦隊の軽巡洋艦「エムデン」は、インド洋で暴れ回って連合国に対する「通商破壊作戦」を行い、英国を中心とした連合国船籍の艦船15隻を撃沈したほか、8隻を捕獲するなどして、英国とインド植民地間の海上交通を麻痺させていた。植民地インドではベンガル湾内に侵入して英国の貨物船を撃沈。さらにはマドラス(現在のチェンナイ)では石油備蓄タンクを炎上させるなどしており、英国は手を焼いていた。

    「エムデン」はインド洋のココス島でオーストラリア海軍の巡洋艦によって撃沈されたが、ドイツ東洋艦隊の主力艦戦は南太平洋に進出し、帝国海軍も追跡、ドイツ領の南洋諸島を占領している。ドイツ東洋艦隊は、最終的に英国海軍によってフォークランド沖で撃滅された。

     

    © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 第1次世界大戦時のドイツ巡洋艦の航跡図(1914~1915)、出所:Wikipedia

     

     

    「3次元の戦い」に拡張した第1次世界大戦

     

     ここまでは、海上勢力同士の海戦であったが、「第1次世界大戦」では軍事技術面で革命的変化が起こっている。それは、航空機と潜水艦の実戦投入によって「3次元の戦い」が始まったことだ。

    「第1次世界大戦」は1914年に勃発し、当初の予想を裏切って4年以上の長きにわたって続いた。戦争が長期化するのに伴い、次から次へと新兵器が投入されることになった。塹壕戦が膠着化していたヨーロッパ戦線では、世界で初めて戦車が導入され、さらには毒ガスが使用されたことは、よく知られている。この戦争によって、千数百年以上続いてきた騎兵の時代はほぼ終わった。

     軍事技術の分野で起こった革命的なイノベーションは、航空機と潜水艦の登場である。

     航空機は空中、潜水艦は水中と、いままで活用されたことがなかった空間に展開する兵器だ。陸上兵力も水上兵力も、上空からの攻撃に脆弱で、とくに水上兵力は水面下からの攻撃に脆弱だ。しかも、航空機と潜水艦は、ともに自走式であり機動力を備えている。「3次元の戦い」が始まったのである。言い換えれば、戦場が2次元の平面から3次元の立体へと拡張したことになる。

     前回のコラムでは、「青島攻略作戦」(1914年)において日独間でアジア初の空中戦、ドイツ軍に対して日本による世界初の空爆が実行されたことを紹介した。当時の航空機はまだプロペラ式の複葉機の時代であった。日本近海では、まだ潜水艦は実戦配備されていなかった。

     航空機と潜水艦が大きな意味を持ったのはヨーロッパ戦線である。陸上の空中戦では前人未踏の80機撃墜を達成した「レッド・バロン」(=赤い男爵)と呼ばれたドイツの陸軍パイロット、海上ではドイツの潜水艦「Uボート」が神出鬼没の攻撃で「7つの海」を支配していた英国を震え上がらせた。

    「Uボート」は、当時の新興工業国ドイツが第1次世界大戦から実戦投入した潜水艦だ。Uボートとは、ドイツ語の Unterseeboot(ウンターゼーボート)の略。Untersee とは、英語でいえば "under the sea" あるいは "underwater" であり、「水面下を航行するボート」ということになる。Uボートは、第2次世界大戦まで使用された。ドイツ映画『Uボート』(1981年公開)は、第2次世界大戦末期を舞台にしたものだ。

     

    © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 キール軍港に停泊するドイツの潜水艦Uボート(出所:Wikipedia)

     

     

    「Uボート」に苦しむ地中海に護衛艦隊を派遣

     

     帝国海軍が参加した2つの目の作戦が、地中海でドイツの潜水艦Uボートと武装商船による「通商破壊作戦」から連合国の船舶を護衛するものであった。1915年2月からドイツによる「無制限潜水艦作戦」が開始されてから、連合国側の軍民の艦船の被害は甚大なものとなっていたのだ。

     

    © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 Uボートに撃沈された軍隊輸送船(出所:Wikipedia)

     

     その結果、連合国の海上交通が危機に瀕し、英国の食糧事情は極度に逼迫したものになっていた。この情勢を受け、英国の要請により、帝国海軍は1917年1月に地中海と南アフリカ方面に艦隊を派遣することになった。日本が遠いヨーロッパ戦線への参戦を決意したのは、青島を含む山東半島と、赤道以北のドイツ領南洋諸島のドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認する密約が、連合国との間に結ばれたからである。

     帝国海軍は「第1特務艦隊」をシンガポールを拠点にインド洋と南シナ海方面、さらに遠くケープタウンを拠点に南アフリカ方面に派遣し、英仏のアジア植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団の護衛を受け持った。1917年2月には「第2特務艦隊」をインド洋からスエズ運河を通って地中海に派遣、「第3特務艦隊」をオーストラリア・ニュージーランド方面に派遣している。

     地中海では、ドイツ海軍のUボートが24隻、オーストリア=ハンガリー海軍のUボートが十数隻配備されていた(ドイツのUボートは全部で111隻)。連合国は、潜水艦Uボートの脅威を避けるため、単独ではなく商船団をつくり、その護衛を海軍の護衛艦に任せる方法を採用した。これを「護送船団」という。ちなみに、かつて大蔵省(現在は財務省)による金融行政は「護送船団方式」と呼ばれていた。「護送船団」は第1次世界大戦に由来するのである。

    「第2特務艦隊」は、巡洋艦1隻と駆逐艦計8隻から構成されたが、さらに駆逐艦を増派して艦隊は合計18隻となった。第2特務艦隊の拠点としたのが、英国の統治下にあったマルタ島である(下の地図)。マルタといえば、いまから30年前の1989年に米ソの首脳による会談が開かれて、米ソ冷戦の終結が話し合われた土地だ。第1次世界大戦では、マルタ島は地中海の補給線を護衛する連合国の海軍基地となっていた。第2特務艦隊は、1917年4月から1918年11月の休戦までの1年半で、主としてマルセイユからマルタ島経由でアレクサンドリアまでの航路の船団保護にあたった。

     

    © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 マルタ島の位置(Googleマップ)

     

     第2特務艦隊の隊員たちは、月間7割を越えるフル稼働に近い活躍で、遠い異国での作戦で疲労困憊していた。冬には荒れる地中海に苦しめられたが、「地中海の守り神」と絶賛され、連合国諸国から高い評価を受けた。

     Uボートによる魚雷攻撃を受けた英国の軍用船を、危険を顧みずに救助にあたったことが世界中から絶賛された。英国議会でこの報告がなされたとき、議場は歓呼と拍手の嵐になり、全員が日本語の「バンザイ」を唱和したという。この英雄的行為に対して、日本の海軍士官と下士官27名が、英国国王のジョージ5世から勲章を授与されている。

     第2特務艦隊の成果は以下のとおりだ。作戦に従事した1年半で護衛回数348回、護衛した船舶788隻、輸送兵員75万人、魚雷攻撃を受けた船舶から救助した人員約7000人で、連合国の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献した。Uボートとの戦闘は合計36回、うち戦果確実は5回である。ただし、Uボートの撃沈は1隻もなかったようだ。主たる任務は護衛であり、戦闘ではなかった。

     ただし、犠牲者も多く出している。駆逐艦「榊」(さかき)がオーストリア=ハンガリー海軍のU27潜水艦による魚雷攻撃を艦首に受けて大破、艦長以下59名の戦死者を出している。その翌年、戦病死者12名を加えた71名をまつる慰霊碑がマルタの英国海軍墓地内に建立された。

     2017年5月のことだが、安倍首相がマルタを訪問した際に、旧日本海軍戦没者墓地において戦没者慰霊を行っている。日本ではあまり積極的に報道されなかったが、日本の首相による慰霊訪問は初めてのことであった。この訪問の意味するものは、決して小さくない。(参考:「安倍総理大臣によるマルタの旧日本海軍戦没者墓地における慰霊」外務省、2017年5月27日)。

     なお、第1次世界大戦後の1921年(大正10年)には、当時は皇太子で摂政でもあった裕仁親王(のちの昭和天皇)が欧州訪問の際に、独仏双方で70万人以上の戦死者を出したフランスのヴェルダンの戦跡を訪問したほか、強く要望して英国領のマルタ島にも立ち寄り、戦没者の慰霊を行っている。昭和天皇は、悲惨な戦争となった第1次世界大戦の戦跡を実際に見聞した数少ない日本人であった。

     

    対潜水艦戦の方法論を学ばなかった日本

     

     さて、地中海に派遣された第2特務艦隊の活躍が素晴らしいものであったにもかかわらず、貴重な経験が活かされることはなかった。日露戦争の日本海海戦の勝利があまりにも劇的であったため、かえってそれがあだになってしまったのだ。

     帝国海軍は、第1次世界大戦における潜水艦の出現という革命的な変化の意味を正確に理解できないまま、第2次世界大戦に突入することになってしまった。

     第2次世界大戦では、米国海軍による「無制限潜水艦作戦」の脅威を正確に理解できないまま、対応が後手後手に回っていた。「シーレーン」が破壊されて石油など戦略資源と食糧が不足となり、国家機能が崩壊寸前まで追い込また結果、戦争の継続が困難となったのである。民間船舶すら潜水艦に攻撃され、子どもまで含めた一般市民が犠牲になった。戦闘レベルでは日本も善戦したものの、全体戦略とロジスティクスを軽視したツケが、敗戦という形で返ってきたのである。

    「大艦巨砲主義」と「艦隊決戦主義」という固定観念に囚われていた帝国海軍が、第1次世界大戦で注目したのは、英独海軍の主力艦隊同士による華々しい海上決戦「ユトランド沖海戦」(1916年)であり、身内の帝国海軍が担った地中海の護衛任務ではなかった。身内だから、よけいに軽視した可能性もある。重要だが地味で苦労の多い任務は、注目を引きにくいということもある。「自分が見たいものしか見ない」という認知バイアスが人間には働くものだが、帝国海軍もまた、そのワナから逃れることはできなかったようだ。

     第1次世界大戦後には、地中海派遣の戦利品としてドイツの潜水艦Uボートを7隻ゲットし、横須賀まで回航している。これが以後の日本の潜水艦開発の基礎となったが、潜水艦の攻める側面には注目しても、対潜水艦作戦という防御面は軽視された。

     米国の横やりで1923年に日英同盟が終了すると、軍事技術の導入は陸軍だけでなく海軍においてすら、もっぱらドイツからのものとなっていく。その延長戦にあるのが日独防共協定であり、日独伊三国同盟であった。第2次世界大戦における日本の破局へのレールは、すでに第1次世界大戦後に敷かれていたというべきかもしれない。

     

    日本の生存に「シーレーン防衛」は不可欠

     

     日本は「食糧とエネルギー」のほとんどを大きく海外からの輸入に依存しており、金額ベースでみて約7割が「海上輸送」に依存している。だからこそ、海上貿易ルートの安全を確保することが、日本国民の生存にとって絶対不可欠なのである。

     にもかかわらず、現在の日本人の生活が大きく海に依存していることに、多くの日本人は意識することない。どうしても悪い意味での「島国根性」が抜け切れず、関係者以外は「海洋国家」意識を持ちにくいのだろうか。

     20世紀の2つの世界大戦が「ドイツ問題」への対応であったとするなら、21世紀前半の世界は「中国問題」への対応が中心テーマだと言っても構わないだろう。急速に台頭する勢力が覇権国にチャレンジするとき、戦争になる危険があるのだ。これはハーバード大学のグレアム・アリソン教授が、過去500年の世界史を覇権交代の観点から研究して導き出した、「トゥキディデスの罠」というフレーズに集約された結論だ。

     21世紀になってから急速に台頭してきた新興国・中国の軍事的プレゼンスが増大している。2018年時点ではまだ「米中経済戦争」にとどまっているものの、この「冷戦」状態がいつ「熱戦」に発展しないとも言い切れない。偶発的な衝突が、そのまま戦争に発展することがあるからだ。

     日本人の関心は、どうしても尖閣諸島の周辺海域である東シナ海に限定されがちだが、南シナ海もまた日本の生存にとっては絶対不可欠な海域である。なぜなら、中東から日本に向けてやってくる石油タンカーは、ペルシャ湾からインド洋、マラッカ海峡を抜け、南シナ海と東シナ海の「シーレーン」を航行してくるからだ。もし南シナ海で不測の事態が発生した場合、日本経済と国民生活に与える影響は、計り知れないものがある。物流がストップし、サプライチェーンが寸断されてしまうのだ。

     先週9月17日のことだが、防衛省が海上自衛隊の潜水艦「くろしお」が南シナ海で護衛艦部隊と訓練したと発表した。この訓練は、すでに15年前から南シナ海で訓練を行っていたが、今回初めて公表されたものだ。特定の国は想定していないとするが、中国牽制のためであることは間違いない。日本もやるべきことはやっているのである(参考:「防衛大臣記者会見」防衛省)。

     しかも、今年に入ってから英国が揚陸艦「アルビオン」(Albion)を南シナ海に派遣しているだけでなく、フランスもまたフリゲート艦「ヴァンデミエール」(Vendemiaire)を南シナ海に派遣している。西欧列強による植民地支配が終わっている現在でも、アジア太平洋地域に直接の利害を持つ英仏両国による意思表示と受け取るべきだろう。海上ルートの安全を確保することは、関係諸国民の生命財産を守ることであり、そのために海軍が存在するのである。奇しくも、日・米・英・仏はいずれも第1次世界大戦では連合国であった。

    「シーレーン」という海上ルートの安全確保、これが日本の生存にとっていかに重要なことであるか、日本人には改めて認識してほしいものである。そのためにもぜひ、第2次世界大戦での痛い体験だけでなく、100年前の第1次世界大戦時の成功体験も振り返ってほしいと思う。

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     あまりに素晴らしい内容に感動して転載しました。
    過年どこぞの国会議員が、「南シナ海問題は日本には関係ない」発言をしました。直接の脅威とはなりませんが、南シナ海のChina人工島は、中東から石油や天然ガスを運ぶ日本船舶の確実な脅威(中共的表現で申せば核心的脅威)です。その事実に思いも至らない知見では、総理総裁にも至りますまい。というか、その程度の人物に権力を与えては国を誤ります。
     さて、なかなか外へ出て行こうとしないのは第一次大戦時のときも同じでした。渋る日本側を口説き落として、英国は豪州からの船舶護送、終には地中海派遣までを日本に求めました。西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」のどれかでは、当時の日本海軍がドイツ艦(武装商船か潜水艦かは失念しましたが・・・)を探して太平洋を遊弋し、南アメリカ最南端のホーン岬を回って大西洋にまで達した為、さすがにそこまでで・・・という逸話が残っているという・・・。ご先祖様たちは、重い腰を上げたからには誠心誠意、同盟国への任務(日英同盟)に邁進されたということでしょう。こういう逸話をみても、日本って攻撃を仕掛けるより何かを防護するのに向いている気がします。軍隊は絶対悪では無い、暴力や圧力から命がけで国民と国益を守ってくれる存在でもあるのです。ただ権力中枢に妙な思想や外国勢力を入り込ませないのが肝なだけです。
     がんばれ日本国自衛隊、未来の日本国防軍!
    安倍総理、早いとこケンポー窮状の不平等条約を改定して、日本独立を果たしましょう!
    それが叶うまでは、絶対に総理を辞めちゃだめ!
    長州人なら、功山寺蹶起に倣え!