病むことが感謝に思える時 | ボチボチ曖昧模糊な日々(適当男の感謝、喜び、笑顔)

ボチボチ曖昧模糊な日々(適当男の感謝、喜び、笑顔)

たいした生き方なんぞは出来ておりません。
そんな、適当で雑な男なりに人生観を語ってみようという、ブログです。

最近、人生とは関係なく画像の紹介が増えて来ました。

《お礼とお知らせ》



本日、保健所から電話があり、コロナ陽性となり自宅療養で隔離生活を続けていましたが、隔離期間異常なく過ごされましたので、明日より通常通りの生活をして下さい。との連絡がありました。
関係者の皆様、ご心配、ご迷惑をおかけいたしました。有難うございました。

病いには、人によりいろんなパターンがあります。
私は元々糖尿病と、高血圧と深い睡眠が得られない、ということで医者に通っていました。

2月の下旬、毎朝の冷え込みがきつく、身体が張り気味となり、接骨院に通ってましたが、ぼちぼち持病の薬も切れかかってきましたので、かかりつけの内科に行き、薬を所望するついでに、風邪気味でもあるので、軽い気持ちでPCR検査をお願いしましたら、あれよあれよとい言う間に、保健所で検査を受ける手配となり、数時間後、陽性と診断を受けました。

基礎疾患を持ってる人はヤバいと聞いていましたので、かなり動揺もしましたが、なってしまったものは仕方がないと、ひとまず自宅療養となり、その後の容態によっては、入院となるかも知れませんでした。

また、同居家族は濃厚接触者と言う扱いとなり、不自由をかけましたが誰にも感染することなく、隔離生活を終えることが出来ました。

「病んでいても有り難い!」と言うと、日本語になってないかも知れませんが、基礎疾患を持ちながらも、患うことなく、濃厚接触者が感染することもなく、終えられたということは、本当に有り難いことなんだと思います。




今回大難を逃れ、小さな災いですませていただいたことは、世の中の情報と比べて見た時、出来過ぎに思えて来ます。
また、今まで健康であったことも有り難いことであり、そんな家族の中で生活出来ていたことも有り難いことであったと改めて思います。

元気であることは素晴らしいことです。
しかし、病んでみて、改めて健康の有り難みを知ることもあります。
この世の中には、有り難いこと、嬉しいことがたくさん埋もれています。
人間が生きる目的は、そんな埋もれた「有り難たさ」を発見し、「喜び」に変えて行くことかと思います。



語呂合わせですが、軽四ナンバーは39→サンキュウ→有難うとしています。
傷だらけのクルマですが、身代わりになってくれてるのかも知れません。