おはようございます!!!



最近、2日に1度は、子猿が夜中、
いつの間にかマッパで寝てて、
ぎょっとするかあしゃんです(笑)



本日1本目、「母の話」続きです~
昨日、「母の話」シリーズ2本更新してあります~









そんなこんなで、始まった暗黒の高校時代。



もう、本当に暗黒時代でした。



進学率98%の進学校だったので、
大学受験は「当たり前」で、
先生方も大学いくの前提で話をしてくるわけなんだけど
勉強は「自己責任」っていう感じで、
落ちこぼれても授業についてこれなくても、
「自分で何とかしなさい、
とにかく大学は行ってね(しかも国立理系ね!)」
っていう感じ。



まあ、高校ともなればそんなもんかもしれないですが。
うちの妹は3年後、この学校受けたけど不合格で、
併願で受けた別の私立に行ったけど、
そこのほうがよっぽど熱心に
補講や学習指導をしてくれるんだなって思いながら
見てましたね。
私立と公立の違い(先生の給料も?)でしょうけど。



わたしは、高校入ってからも全く勉強しなくて
(勉強の仕方わからないから)
入ったときは学年で70番とかだったのが、
つぎのテストでは300番台とかだったので
(たしか、学年で総数350人くらいだったはず)
放っといてもらえて、
そこは逆にありがたかったですけど(笑)



でも、この学校、そうゆう
「中学まではできたけど、高校入ったら落ちこぼれ」組
が、かなり多かった。



あと、高校デビューする子も多かったですね。
それまで真面目な優等生ちゃんだったのに、
▲▲高校入る、
ってのが目標でずっと来てて、
遊びも恋愛もなにも全部我慢してきてたから
目標達成と同時にはっちゃけちゃうっていう。
(わたしは、そうゆうの超キモいと思ってたため、
変わり者のオタク路線に行きました)



もちろん、
「高校はゴールじゃない、次は大学受験だ!」って
気を抜かずに勉強頑張ってる子も、
たくさんいましたけどね。
えらいなーって、超他人事でしたw



とりあえず、わたしに関しては、
高校時代、勉強は全然してなかった(笑)
じゃあ何してたかって、実はよく覚えてない。



もう、毎日学校にいくのが嫌すぎたんだと思う。
学校関連の行事とかなんかで、
楽しかった思い出、ひとつもない。
「この高校入ってよかった~」って思ったこと、
1度もなかったもんね。
(まああれだけナナメってれば、
仮にいいことあっても
いいことだと思えなかったんだろうけど)



母は
「▲▲高校に実際通うようになれば、
お母さんに感謝するようになる」
と自信たっぷりに言ってましたけど、
一度もないですね、感謝したこと。
恨んで恨んで恨みまくってました。
その心根が暗黒。



唯一よかったことは、
今でも一番仲がいい、
生涯の親友に出会えたことです。
あ、あと、
数ⅠAでドロップアウトしたくせに、
なぜか数学の先生とすごく気があって。
毎日話してました。それが楽しかった。
H先生元気かな~



本当、それ以外によかったこと思い付かない。








そんで、親子関係の方に話を戻すと






高校そんなんで、早々に落ちこぼれたし
落ちこぼれても屁のカッパだったので、
母は当然、グチグチ言ってました。
大学はどうするんだとか、
将来ろくなものにならないとか。



そうゆうのに辟易してたんでしょうね。
中学までは、担当が違うため、
ほとんど交流がなかった父と、
なんとなく、よく話すようになっていったんですね。



そしたら、もともとわたしは
父の性格を受け継いでたらしくて
お互いアウトロー気質だし、
父は勉強とか学校とか社会常識とかを
かなり超越してるようなところがある人なので
気があっちゃったんですね。
ここに来て初めて。



そしたら当然、それが母には気に入らない。



「自分サイド」だった人間(わたし)が、
寝返ったわけですから。



今ならもう少し
母の気持ちとかに配慮した行動をとるだろうけど、
「15の夜」だった当時のわたしは
「そんなの関係ねぇ!!」って好き勝手にしていました。



そんで、決定的だったのが、
「わたし、バイトしてみたい」って言って、
父に知り合いのレストランを紹介してもらって、
高1の夏休みに
そこのホールでバイトさせてもらったこと。



バイト自体はもう、楽しくて楽しくて。
飲み込み早くて、接客は天職くらいの人間なので、
「高校生なのにやるね」って重宝されるし、
こんなに楽しくて、お金までもらっちゃっていいの!?
働くってスバラシイ!!!!
勉強するより全然いいじゃん!!!!
って、即、なりました。



しかも、そこのコックさんは
大卒なんて一人もいなかったし、



「なんだ、大学なんて行かなくたって、
立派に働いて、人の役に立って、
ちゃんと生きていけるんじゃん」



っていう風に



母親や先生方が言う、
「何がなんでも大学」っていう前提が
大きく書き換えられたことも、
後々非常に影響することになります。



話を戻すと



このバイト、
もちろん母は1から10まで気に入らず
「夏休みは大学受験に向けてみんな勉強してるのに」と
さんざんなじられてたと思います。
(相当嫌だったのか、実はあまり覚えてない)



そして、このあたりから、
ごはんを作ってくれなくなりました。



夕飯はかろうじて作ってくれてたのかな…?
あんまり覚えてないんですけど、
とにかくもう、
自分の思い通りにならないわたしのことを
母は嫌悪しまくってたので、
父に対するのと同じように、
わたしに対しても
全く口を利かず、
目も合わさないっていう風になってました。
(彼女はそれしか解決法を知らないからね)



そして、確かそのあと、秋か冬の、
高1の3者面談の時、



成績悪くて、大学行けないですよとかなんとか
言われたんだと思うんですよね。
帰りのファミレスで、
「あんたどうするの」みたいな話になって
「わたし、大学行きたくない」って言ったんです。
勉強嫌いだし、
大学でしたい勉強も特にないし、
早く社会に出て働きたい、と。



もう、大・激・怒!!!!ですよね。



じゃあ何のために進学校に入ったんだ、
から始まって
(いや、あなたが入れと言ったからですが)



▲▲高校行ってて大学行かないなんて人間じゃない、
将来ろくなものにならない、
お前自分が何言ってるのかわかってるのか、
世の中のこと何もわかってない、
だいたいお前は昔から根気がなくて…



最終的には、
父親がそんなことを唆したせいだ、と
父親にまで呪詛を吐いていましたね。



「でも、お母さん、受験の時、
▲▲高校入るだけでいい、
大学はわたしが好きにしていいって言ったでしょう」
と言ったら



「そんな約束した覚えない」
と言われ。



子供とした約束は、
何があっても守らないとダメですよ。
守れないときも、
守ろうという誠意はみせないとダメですよ。
人間不信になりますよ?



そっからもう、家の中は針のムシロ。



真面目じゃないから鬱にはならなかったけど、
真面目だったら鬱になってただろうなぁ
(いや、真面目だったら
母親とそこまで対立してないか)



毎日死にたいって思ってた気がします。
このあたりのことも、正直あんまり覚えてない。
本当、人間って便利。



自分もしんどかったけど、
母親はもっとしんどそうで、
ずーーーっと泣いてましたね。
恨みがましくわたしを見て、泣いてました。



今思えば、それも当然なんですよね。
わたしが、唯一の拠り所だったわけですから。



父親の代わりに愛情を注ぎ、
愛情を返してくれる存在。
人に見せれば「自慢の娘」で、
自分の自己重要感を満たしてくれる
唯一の存在だったわけで



そんなわたしに裏切られて、拒絶されて、
もう、たまらなかっただろうと思いますよ。
彼女にとってみれば、
全世界から拒絶されたくらいのショック
だったんだと思います。



当時はさすがに、
そこまではわかってなかったけれど、
母が父の代わりをわたしに求めている、
父が与えてくれないものを
わたしに与えてもらいたいと思ってるんだな、
とは思ってたから、


「わたしは父じゃないし、母の付属物でもない。
母の満足のために、
わたしが母の言いなりになる必要はどこにもない」


とは思ってました。
そもそも父と母が仲違いしてるのだって、
双方の自業自得でしょ、と。
そのツケを子供に負わせてどうするの、と。



何を言われても、
「どうしよ~オロオロ」とはならないところが、
多分わたしの長所です(笑)



だからね、



自分の欠けてる部分、満たされない部分を、
子供に埋めてもらおうとしちゃ、ダメなんです。
子供の人生に、自分の人生乗っけちゃいけない。



大人しくて優しい馬だったら、
親が死ぬまで乗せてってくれるかもしれないけど、
本人が疲れてへばって
鬱になったり病気になるかもしれないし
わたしみたいな暴れ馬だったら、
振り落とされて怪我しますよってこと(笑)
どちらにせよ、双方にとっていいことはない。



自分の人生は、
自分で責任もって生きなきゃいけないんです。
親も子供も。



で、話を戻すと



そんなんだったから、もう家にいるのがつらくて。
自分のためにも、母のためにも、
離れた方がいいんじゃないかと考えて
父に相談しました。



そうしたら、自分の仕事場がある、
父の実家に世話になればいいという話になって
(こういう解決法を提案してくるあたりが
色々超越してるでしょ)



高1の終わりか、高2のはじめくらいに、
わたしひとり、家を出て、
父の実家に身を寄せることになりました。
母は、特に止めたりはしなかったですね。
「あんたなんか好きにすればいい」って、
そんな感じだった。確か。



ほとぼりが冷めるまで、
少しの間のつもりだったのが、
結局もとの家に帰ることはなかったですね。



家を出るとき心配だったのが、妹のこと。



うちの母と妹はとにかく折り合いが悪かったので
(母が一方的にヒステリーを起こすんですが)
わたしがいなくなることで、
妹にさらに悪い影響が出るんじゃないかと
思ったんですよね。
父に、
「妹の様子を、ちゃんと見ていてね」
と再三頼んで出ることを決めたような記憶があります。



でも、わたしがアテにならなくなったので、
母の愛情と関心は、自然に妹の方に向くようになって。
よくラブラブしてましたね。



だから、妹にとってみれば、
逆によかったのかなとも思ってたんですが、
わたしと母が仲違いした時期と、
妹が摂食障害を発症した時期とが重なるので、



わたしには想像つかない心理的なストレスが、
妹にはかかっていたのかな、
わたしが自由に振る舞ったことが、
彼女の人生を狂わせた一因なのかもしれない…
とは思います。
真因ではないと思うので、
気に病んだりはしていませんが。








MY歴史を振り替えるのは、
いよいよ次で最後!!!
本日中にアップできるようにがんばりまーす♪