日本国憲法に謳われた象徴天皇の真義とは、なんでしょうか。

 

 国民に心のあり方のお手本を示す天のお役・・・デス。というのは、もちろん深読みといわねばならないかもしれません。通常は、国政にたずさわれない、という消極的な意味がこめられていますからね。大戦の反省と他国からの懸念。これらを踏まえて起草されたと見なすのが一般的であることでしょう。しかし、ここでは異なる見地から考察をしてまいります。

 

 明治憲法すなわち大日本帝国憲法においては、主権は天皇にあり、臣民は天皇のためにある。そして兵役は義務化されていました。一方、戦後新憲法下で最初に天皇を経験された昭和天皇を受け継いで天皇となられた明仁天皇は美智子皇后とともに、昭和天皇以上に、象徴天皇とは何かを探ることを意志的に行われました。たとえば南洋の島々での戦没者慰霊の旅や日本各地での風水害や地震などの被災地への慰問のご活動をつうじて、この問いへの答えを探られてきました。

 

 

 しかも憲法に定められた範囲内の国事行為とは別に自発的になさった行為だった点にわたしたちは思いを馳せるべきでしょう。

 

 

 それも初めて民間からお妃を迎えられた天皇として、これまでの慣例とは関係なく、天皇というより一個人としてのご自身の魂の希求からの行為であったことは大変重要であるとわたしはおもっています。

 

『戦争をしない国』明仁天皇メッセージ [文]矢部宏治 [写真]須田慎太郎(小学館 2015年7月初版第一刷発行)

 

 こうした天皇の御代にあって、なぜ「同調圧力に弱い」日本国民というイメージが出てくるのでしょうか。明治の頃の君臣一体とはまた異なる、良い意味での天皇と国民との調和、一体化が、現実のものになっていないからではないか、という気がします。

 

 

 

 ところで、これまでの戦没者慰霊の旅でも、被災地への慰問でも、そのお心の発せられる次元はわたしたちが日常暮らす俗世的な次元ではなく、霊界、いや神界に近い次元だろうと感じています。天皇には、もともと庶民のように食べるために働かなくてもよいかわりに、祭祀というお務めがあります。

 

 

 それはけっして形式的なものでなく、国民の幸せと日本および世界の安寧を願う心から発せられる祈りにより成り立っていることでしょう。さらに日常にまでこの祈りが浸透されてあらせられるだろうことは、2017年秋 と2018年春の2度にわたって勤労奉仕団に参加し、「お会釈」(皇室の方が非公式にお会いしてくださる事)の機会にめぐまれた折に天皇皇后両陛下から並々ならぬ波動を感じ取ることにより、胸打たれた経験をつうじて実感しています。一言でいえば、「無私の愛」と「慈しみ」と「謙虚さ」であり、「深い空の境地」です。ただし、この例はあくまでも、現在は上皇・上皇后となられた御方々に接したときの話です。

 

 

 日々祈りを深められることでますます魂磨きをされ、度々お言葉をつうじて伝えられてきた「常に国民に寄り添う」ことを望まれ、努めてこられたことが自然と行いにじみ出て、名実ともに「象徴天皇」を模索される道を歩んでこられた成果がこうした機会にも現れてくるのだろうということがしのばれます。

 

 そして、この精神が今上天皇と雅子皇后の両陛下に正しく受け継がれているとすれば、今度の能登半島の被災地への慰問もあてはまることになります。

 

 わたしの天皇観の一端をここに文章化すれば、以下のようになります。

 映写機や幻灯機(プロジェクター)により映像の映し出されるスクリーンを現象界(うつし世)とするなら、もとの原像、完全な姿としてのひな形を有するのがあちらの世界です。その原像とは人々の心のありかたや行いの範となるものです。それを示してみせる天命の担い手が天皇であるということです。

 

 この理解をわたしは30代の頃に友人をつうじて知ることになる「みたま調べ」により得るとともに、我が身をつうじて、一生かけてこの精神を体現してゆく道を歩むことになりました。

 

 

 それは肝川龍神🐉(兵庫県川辺郡肝川にある大国神社⛩️)に伝わる一種の審神(さにわ)です。人類の全員に七十柱(男神三十五、女神三十五)の神の分霊が注入されているというのです。わたしはたまたま友人から肝川とみたま調べのことを教えてもらいました。「自分のみたまは何であるか」ということを知ろうと、さっそく依頼(生年月日と氏名を知らせることが必要。三千円を添えて)してみたところ、二週間以内に返ってきたのです。

 

 そしてその結果、自分のみたまが天皇と非常に関係の深い佐田彦王大神だったことから、一生をつうじての天皇観が左右されるほど決定的なものとなりました。これもしかし運命であるとおもっています。

 

 ところで、「みたま調べ」の目的は、完全調和した高次元の世をこちらに降ろし、具現化してゆくために七十柱の神々の分霊を注入されている人類一人一人が、それぞれの魂の出自や性質などを知るとともに、自らにあたえられたお役目、使命を自覚して魂(たま)磨きに努め、自らのお役目を完全に果たすことにより、理想的な世を創造することにあります。

 そしてそのために、みたま毎に異なるいわば神界の「ひな形」ともいうべき「みたまの因縁と性来」というものを知る必要があるのです。

 

 ここでは、「天皇のみたま」といわれる大地将軍大神と、これに準ずる佐田彦王大神に話をかぎります。

 ちなみに、明治天皇と大正天皇、昭和天皇は大地将軍(皇后陛下は常世姫)、明仁天皇は佐田彦王(皇后陛下は佐田子姫)です。佐田彦王のみたまは、「国祖(国常立大神・地の親神)は、おのれの隠退後万一の場合を考えて、お生みになったみたまであります」と由来記に記されてあるように、大地将軍の代わりをするいわば予備役であり、それだけに同天皇の皇位にあらせられた期間中は、この国は非常時だったとも考えられます。(もちろんそれは今もでありますが)。今上(徳仁)天皇は再び大地将軍にもどっています。いずれにしても、「人類の象徴みたま」ということになります。

 

 

宇宙創造より自在限定にいたる『由来記』(大国之宮刊)より(全一〇一九頁) 

 

 

 少しだけ「みたま調べ」の文を引用しますと、まず大地将軍は、「三元(幸魂・さきみたま、和魂・にぎみたま、荒魂・あらみたま)の持ち分は、智33.3、 33.4、 33.3、以上でありまして、三元ともにあまり差はありませんので、明らかき(ママ)その性格が現れません。地の象徴と言われる神でありまして、人類の手本となる使命があります。…下略」となっています。

 

「きわめて写りが悪いので、明日の日中に撮り直します」とお知らせしてありましたが、撮り直したものを再掲します(am10:42,4/21)

 

 また、佐田彦王は、「このみたまは国祖の直系、神界の象徴、大地将軍の分神でありまして、次代の象徴と言われるみたまであります。智35、 仁32、 勇33でありまして、三元ともに差がなく、三元ともに平均の率を持っているみたまであります。このようにあまり差のない率は、ともに相殺されますので、平時におきましては、あまり持ち量の力が現れませんが、必要に応じて、その量の働きを完全にいたします。…下略」  

 

 ここに霊的な意味における天皇の本質というものがうかがえるのですが、では果たしてこの真実が多くの人々に理解されているのか、ということになりますと、本来の天皇の存在意義とお働きというものが今の世では、残念ながらほとんどの人に正しく理解されていません。なにしろ学校で教えられるのは、天皇の歴史はせいぜい神武天皇に始まる歴史にすぎず、真実が伝えられていないのですから。実際には古事記では決して伝えられない、気の遠くなるほど超古代の歴史にまでさかのぼるものであり、日本一国にとどまるものではありません。

 

 

 そのために、国民自身が自分がなぜ日本に生まれたのか、なぜこの国を選んできたのかを理解していないとしても不思議ではないといえます。いまひとたび自己の心の闇の海をマインドライトで照らしてみれば、探照灯に照らされたものが浮かび上がってくることでしょう。

 

 

 現在の悪徳政府をもって、これが日本だとおもってほしくない。とくに戦後、皇室報道がいよいよ国外勢力に操られて皇室へのイメージダウンをはかるなどして国民と皇室を切り離し、不信感をつのらせるやり方で破壊工作が進行してきていることもふくめて地上的にもまた霊的にも妨害を受けつづけている(例えば美智子・雅子両皇后陛下の受難があります)こともあって、十全に天皇のお働きが現れ出ていない事実を知ったうえで、わたしたちは日本の天命を意識しながら同時に「同調圧力」に屈したり、流されたりすることなく、自分の感じる力を呼び覚まし、信じながら、個人魂を確立してゆく必要があります。

 

 

 わたしたちは、自らの魂の根(ルーツ)にしっかりとつながり、命のふるさとにつながっていることを一人一人において自らが確認するべき時に来ているのだとおもいます。

 

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