子どもの頃より人一倍気苦労が多く、10代で病気や手術もして、20代でまた病気して療養生活をして、若いときは人生に悩み、仕事に悩み、人間関係でも色々な困難に遭い、30代、40代、50代と年齢を重ねきて、ここまでアッという間に過ぎたけれど……。ある時(つい2年ほど前に)、占星術の知識(マドモアゼル愛先生の恒星占星術による)で自分の星の配置に「大凶」の星があったことが発覚し、これじゃあ大変だよね、と納得。けっして順調ではない、幸運でもない、むしろ幸運が舞いこむのを自分から断(ことわ)ってきたようなところがある。けれど、そんなデコボコ道の人生でも、暗闇をつんざいてサァーッと一条の強力な光が射し、道を照らしてくれていたから、それに乗ってこられた。それは20代、30代で出会った瞑想と祈りの道。そして50代で突如として妻を媒体(ミディアム)として降りてきたメッセージ。これらは三種の神器だと、今日気づいた。心の灯火を絶やしたことがなく、困難があっても、不運があっても、それをさして不幸とも感ぜずに、むしろそういう不遇や苦労に負けない明るさ、希望。そういうものをどんどん育んでいった。そこに愛が芽生え、自分を愛すること、人を愛することの喜びがどんどんと育っていった。自分の悪いところは直し、改める。だんだんと「修復」してゆく楽しみ。たぶん「人間形態」(本文で解説)という神様が人間に共通にあたえた鋳型に近づいてゆくためなんだろう。人と比較せず、この世に唯一無二のユニークなわたしという存在を面白くおもえ、自分の運命と人生を愛しくおもえるこの幸せ。

明るさと希望。これこそはわたしたち人間が神から来ているという証し。この大切な宝ものをこれからも多くの人たちとわかちあってゆきたい。そんな想いで、以下の文章を贈りたいとおもいます。

 

 

 

人はみな 本来は 内なる「気づきの光」と 

真・善・美に響ける「共鳴(レゾナンス)の光」を 

宿しているし  お互いハート🥰で共感もしあえる

 

 

だけど マインド(頭)のスペースを 

お荷物(将来への不安やjudgmentや固定観念)で

一杯にしていると 響けないのだ 

 

 

空っぽな状態であれば 空洞の鐘のように響くけれど

 

 

あれをやって これをやってと マインドを忙しくし

「自分はこういう人」と 固定イメージの枠にはめてると

誰かや何かが突然やってきても 自然体で応じられない

 

 

 

もともと人は空っぽで レゾナンス(共鳴)から 

生まれてきたはずだが いつのまにか 気づいたら 

自分を鋳型にはめ 不自然なかたちに成型している 

 

 

 

でも 本当は 神様からあたえられた 鋳型があるらしい

それがダスカロスが 「人間の形態」 と呼ぶものだ

必ずしも物質の形態ではないもの むしろ肉体を創った鋳型

 

 

これが わたしたちの「本当の宝」だと かれは書いてる

山ほどの世俗的な物事から離れて それは 原因であり 

イデアであり 力なのだと そして無限の神なる存在の全き

智恵の中にあり 天なる人間 と呼ぶものであるのだと

 

 

 

この真理に盲目であるゆえに わたしたちは つい

時間と空間に限定され 固有名詞のついた 狭小なる自己が

自分だと信じこみ わたしは「~な人間」と 定義づけして

さまざまな人生の問題を創り 抱えこむことになる

 

 

 

この【一時的なパーソナリティ】を 自分だと信じこみ

本当は私たちは 【永遠のパーソナリティ】という

「もうひとつの次元」にいる自分があるのに 

そっちの方の窓は閉じられ 2つの次元はつながらない

 

 

 

もっと人々と わかちあえ あらゆる存在 自然界

精霊界 神的霊的存在と交わる 魂的体験ができ 

響き合うことができる ポテンシャリティがあるのに

それが ブロックされているから 苦しい

 

 

 

究極的にはそれだけのことなのに 末端の現象をとらえ

「コミュ障」(コミュニケーション障害)だの 

「アスペ」(アスペルガー症候群)だの

と レッテルを貼り ラベリングをおこなって

 

 

 

それで困っている状況に 説明をあたえることで

混乱しているアタマを納得させ 

 

 

 

不安なココロを 安心させ

診断証明書をもっていれば パスポート提示で 

なんらかの「社会的支援」がもらえると 

期待したら たしかに社会福祉的には 

恩恵にあずかれた面はあったにせよ

それ以上のメリットはなく かえって見下げられ

よいことはなかったとも 経験者から聞く

 

 

 

 

昨今のこれだけ「メンタルが弱い」とか

「病んでいる」ということを聞く
それをさらに特定することで 社会に適応するのが 

難しい(もちろん体制側にとっての)人々を

新たな「秩序」に 組みこむためだけだけでなく

 

 


これまではなかなか儲からなかった精神医療の

「仕事(ビジネス)」の機会の創出につなげるための

「病名」の創出になっているのではないか

 

 

 

物事には 常に 原因と結果がある 

そして個人を「形成」した「原因」が 

たとえ「社会環境」にあったとしても

 

 

 

あたかも 個人(またはせいぜい家族)にあるかのように 

先天的遺伝的因子 によるものであるかのように

「すり替え」て「自己責任」(出タ~滝汗)にしてしまうことが

 

 

 

医学の権威のもとに おこなわれている 

これはある意味 暴力的だ 

 

 

誤解があるといけないので 書いておくと

精神的な病がない と言っているのではない

原因は 多岐にわたっているということである

 

 

選曲: 言海 六羽

 

 

思考がグルグルめぐり 不眠症となるだけでなく 

霊的なエネルギーを受け取り かぶってしまう場合 

未浄化で不浄な霊による 憑依現象の場合

本人の過去生(past life)に起因する

エレメンタル(念霊)が原因している場合もある 

 

 

しかし そもそも人間が物質の体のみではなく 

霊-魂-体という 多層的な構造をもった存在なのだという 

生命観を基礎にもたない現代医学の知見に限界があるため

とても そこまでの理解をカバーすることはできず

いきおい対症療法的なところまでしか対処できないことになる

 

 

これだけ 抗癌治療の 有害無益性が明るみにでて

殺人医療として糾弾され 

ワクチンの犯罪性もわかってきて

西洋医学の限界が露呈してきているにもかかわらず

精神医学や精神医療だけが 

問題がなく免罪になるなんてことはないだろう 

 

 

いやいや 精神医学や精神医療こそが 

深い深い闇を抱えてきたことを忘れてはいけない

 

 

昔は「きちがい病院」という名がまだ使われ 患者は

人里離れた林間にひっそりと建つ収容施設に隔離された

そしてそこで電気ショックや薬物療法がおこなわれた

 

 

不眠に苦しみ精神科に処方された薬物を長年服用することで

神経や感性が鈍り 廃人のようになっていってしまう

それもマテリアルな面に働きかけるしかない医療の限界だ 

 

 

というか医療の名に偽装した 犯罪グラサンなんですけど笑い泣き

 

キモガヘシとは面白いネーミング。センス悪くない。漢方と表示されているから副作用もないのか。ちなみに現在きちがいはメディアでは忌避される用語である

 

米国は精神分析学が市民社会に溶けこんできた歴史がある

辛抱づよくヒアリングと分析を持続してゆけば発見もあろう

 

 

 

ツイキャスに詳しい友人の話によると 自分は●●症候群

といったことを前面にだしている子もいるようだ

「病名」をアイデンティティにしているのかなとおもう

 

 

学校に行けない子たちにとっては ツイキャスは 

せめてもの慰安の場となっているらしい 

 

 

そしてここにも 言葉の魔力が浸透 している 

精神医療の社会的責任 は大きすぎる

 

 

 

お💉するぞ~ムキー と追っかけてきても逃げればいいが

あちらはもっとずっと巧妙で―

 

 

専門用語の「診断名(病名)」告げる行為は

じつは 3次元の肉体以上の 

感情(サイキカル体・アストラル体)⇒4次元

思考(ノエティカル体・メンタル体)⇒5次元

に影響をおよぼす行為である

 

 

これは言葉の力を用いて 幻影を創らせる 

相当に高度なテクニックであり 手口である

簡単にいえば 「洗脳」になるが 向こうはこうした 

ある意味 高次の霊的な手段を使ってくる

この点やはり悪魔だとおもう(そもそも悪魔とは霊的存在) 

 

 

「言葉で殺す」ことは可能だから

 

 

「俺はおまえだ」と言ってくる 

「偽りの自己イメージ」を押しつけてくる悪魔がいて 自分ではないものを自分とおもいこませようとする

 

 

しかし 「私は私だ」と言えるだけの

真の「私」を探究し 獲得させる機会を 与えさせない
 

 

アスペ スペクトル 発達障害 こうした名づけにより 

本人に 植えつけられる 罪悪感 自己否定 劣等感

無力感 自己無価値感……

 

 

もちろん 病気を克服した人のなかには もはや

そうした自己イメージから脱却して 自分は自由になれた 

とおもっている人も あるかもしれないし あるいは

どこかで「病歴」がまだ心の片隅にある場合もあるだろう

 

 

そうした負の思考 感情 気分を 刻印された人は 

どういう毎日を送ることになるのだろう?

なにかにつけ 「やっぱり ~は●●●症候群だから」

みたいな 思考の枠を出られなくなることで 

それ自体が ネガティブな エレメンタルの力として

本来の自己 とつながることを妨げる 強力な呪縛となる 

 

 

近代国家は差別的な「名づけ」を用いることにより

社会秩序に組みこまれない人間を 選別・排除する

仕組みを制度化してきたことを 思い出す必要がある

 

被差別出身者 少数民族 先住民 植民地の人々

精神に疾患や障害のある人間 ハンセン氏病患者らを

犯罪者を刑務所に隔離したように 隔離し偏見を育てた 

 

そしてこれを徴兵制に利用した

戦争になれば まっさきに そうした社会の最下層が

前線に送られた これを「命の序列化」という 

第二次世界大戦でナチスドイツが行なったホロコーストに 

「優生学」が深く関与していたことは忘れてはいけない

 

これから監視社会となり ワクチン接種証明だけでなく

アスペ等の確定診断を証明する情報までもが 

マイナンバー制による 個人情報の一元管理により

いったん有事になったときに 悪用されるとしたら

 

これは もう人権問題どころの話ではなくなる

福島教授らにより 犯罪行為と批判される国の

ワクチン政策同様に

医療の政治利用となってしまうではないか 

 

 

病名をつけられたら それがすべての問題や

謎を解決するものではないと知りながらも

やはり それに規定され影響されることは免れない

 

 

だが 本来の人間は こんなもんじゃない

真の自己を発見する 内なる探究の旅

インナージャーニーは

それぞれの人が 基本的にお金をかけずにできるものだ

 

 

 

探照灯(サーチライト)で自分の内側を 

照らしだしてゆけばよいだけだから

 

 

 

でも 何をどうすればよいのか と言うかもしれない

【一時的なパーソナリティ】と あまりにも同一化し

日常に密着し 肉体や物質の次元に埋没した状態から 

みずからの意識を 引っ張り上げて 

 

 

 

【永遠のパーソナリティー】の次元もあるのだと気づき

「霊―魂―自我(エゴ)」としての自分を 生きはじめる

そうした体験をし 意識的にエクササイズを重ねてゆく

 

 

 

病名をつけることで 一時的に安心はするかもれしれない

でも そんな代用物 代償的満足は メッキが剥がれ

本物の安らぎ 喜び 自信には たどり着けない

 

 

 

そして なによりも怖いのは 

人が何のためにここに生まれてきているのかという 

本来の目的を 見失わせることだ

 

 

 

わたしたちの目的とは 本当の自分を見つけ

本来の自己をここに現わすこと それのみ

そのために 輪廻転生をつづけてきた

 

 

 

狭小な自分 エゴイズム これらを克服して

【永遠のパーソナリティ】に

【一時的なパーソナリティ】が吸収され

両者が統合されてゆくために 

あたえられたエーテルバイタリティを使う 

 

 

やってゆくと これこそが 生きている真の目的であり

愚かさゆえの苦しみからの自己救済の道だとわかってくる

 

 

 

【永遠のパーソナリティ】と【一時的なパーソナリティ】

これら2つの次元の表わす言葉は ダスカロス用語だ

キプロスのヒーラーで 

スティリアノス・アテシュリス博士とも呼ばれる

ダスカロスの造った語である

 

 

それは ダスカロスの「私見」ではない

そうではなく キリストの教えそのものだ 

ただし聖書にも直接的な言語では書かれていないし 

教会でも教えられていない

 

 

キリスト(ジョシュアイマヌエル)との過去生での

ご縁が深く 使徒ヨハネがスピリットガイドとしてついていた

この方が キリストの秘教的な教えとメソッドを伝えることは

1912年12月12日生まれのかれの今回の転生における使命だった

 

 

 

この意味で 一般に知られるキリスト教にたいし 

ダスカレ(先生を意味する尊称)やシュタイナーの教えは 

秘教的(エソテリック)だといえる

 

 

それらは まず内省から入り

自らの思考や感情を観察することからはじめる

ここまでは 仏陀のアプローチと共通している 

 

 

 

そしてさらに そこに潜むエゴイズムの

欲望エレメンタルを 非活性にし

それに替わる 理性的な思考の良きエレメンタルを

視覚化により 新たに創造してゆくことをめざす

 

 

 

キリストは この視覚化と祈りにより 

数切れのパンと わずか数匹の魚を

五千人もの人々が 空腹をしのぐのに 役立たせるのに

エーテルバイタリティを 創造的に 用いてみせた

 

 

 

ダスカロスは 人間の潜在力を示唆した人だし

シュタイナーも 授かった思考と感情の宝を 

より純化してゆくことで 人は霊界参入の条件を獲得し

悟りの段階に到れることを 請け合う(保証する)

 

 

 

わたしはおもう 今日われわれが 欲望消費社会の

商業主義的たくらみに踊らされて

「時間 - 空間」枠に縛られた 狭小な自己の心の窓から見た

人生の雑然とした諸相や 自ら創りだした問題や苦悩に

かまけるあまり 貴重な時間と

生命エネルギー(エーテルバイタリティ)を

浪費するならば

非本質的なことに 視野を限局させようとする情報に

まんまとだまされ 翻弄された生き方になってしまう と

 

 

まだ 人間のエーテル体が大きく頭から飛び出し 

霊界とのあいだを往き来でき 霊視認識が可能だった

何千年という太古の叡智をもった伝統医学とは異なり

 

 

歴史の浅い近代科学から出た 西洋医学の知見から

「病名」をつけられ 「まやかしの安心感」を得ることは

以上に書いてきた「真理の探究」の妨げとなり

人々から「真理の探究」に向わせる機会を

奪うことにもなる 

 

 

もちろん これは悪魔の そして

悪魔に使役された者たちの「陰謀」だ

 

(シュタイナーはルシファーとアーリマンは協力して事に当たると指摘)

 

 

彼らは「真理」に「汚名」をきせるために

オウム真理教事件を やらせたのだ

 

 

 

いまや新手のビジネスとして ナノ技術と結託した創薬があり 

これにも心理的「洗脳」が 補助手段として加わる

がん細胞に「変異」する危険因子となる細胞を見つけしだい

これをゲノム治療〈お注射とか💉〉により 除去可能と豪語する

 

 

創薬も 病名づけと検査データにより その気にさせて

あとは 難しい専門領域の知識のない大衆の身体を 

専門家に まかせさせるための「導線」が

しっかり構築されようとしている 

 

 

 

悪魔の手口は いずれも いっしょ 

退屈で 凡庸なマインドだ

ここを 見抜けないでは 新しい文明の担い手にはなれず

淘汰されてしまうから 気をつけよう 

 

 

ロシアでは 一人ひとりの子が 好きなことで

能力を伸ばせる教育が おこなわれている

バレエでも ピアノでも 

競争させるとか 同じ課題を一定量こなさせるのではない

と よく事情を知っている人から聞いた

 

 

日本では そういう競争主義や一律に押しつける教育法で

ついて行けない子は 脱落してしまう

不登校でも 親が世間体や将来の不安から ムリムリに学校に

行かせようとするから 自殺する子が出る

お金持ちの家庭なら フリースクールや家庭教師の手段で

子は学校に強いられなくてもよくなる

 

 

一方 ロシアは まったく教育のやりかたが異なる

背景にはロシア正教があるらしい 

ローマ法王の下 ピラミッド型の支配構造をもつ

ローマカトリックとは まったく異なる

ロシア正教は 個人の信仰を尊重してきたという

 

 

日本の社会も教育環境も

じつは かなり特殊なのだということを 

親は知らないといけないだろう

 

 

発達障害とか アスペルガー症候群とか 

自閉症スペクトラムとかといった

病名にかぎらず あらゆるい分類 カテゴリー分け

レッテル貼り 所属などが 今の日本を席捲している

 

 

もっととらわれなき眼で 自分も他人も個別的に観察し 

じっくりつきあい 愛してゆく姿勢がもてたらよいとおもう 

 

 

これはわたしの持論になるが 

「人は皆 想念王国の王なのだ」

つまり 自らが発した エレメンタル 

創造した想念が エネルギーをもった生きものとして

発信者の 意図を超えて(潜在意識で創るので)独り歩きし

自己の人生にとって つまずきの石となって現れてくる

無意識だと自分で自分の首を絞めるような真似をやってしまう 

 

 

過去生に放った想いも含めて 自分をスッポリと覆い

繭玉のようにくるんで運命を支配してくる

(人それぞれ過去生で積んできた業の深さは異なるものの)

 

 

このエレメンタル群は つぎからつぎへと 湧いてくるが

それらは 雨☂の日も 風の日も 雪⛄の日もある

晴れの日だけではない というにすぎない ということを

よく観察しつつ 現れたら必ず消えるのだと理解し 

消え去れば よきものが現れてくると信じて

 

 

ひたすら 神様(宇宙でもよいとおもう)を

呼び(意識を接続し)さえすれば 

たとえ「神様助けて!」ガーン かに座でも

高次の光が向うから流れてきて どんなエレメンタルも

絶対に 消える 正確にいえば 非活性となる

もしまた なにかの機縁に触れて 同じ想念が出ても

落胆せず 恐れず 闘おうともせず 自己否定せず

高次の光が流れ入ると イメージする

淡々と祈り 神に意識を向けていれば 

非活性になり 光に変容してしまう 星 星空 

(業の深浅により大変さの違いは個人差としてあるけれど)

  

 

人は光が足りないと 明るさ 元気 愛も不足するものだ

そして 悪い想念と波長が合ってしまうものだ

祈りの波動につながると たちまち光が流れ入るのがわかる

そして自分本来の命の輝きや持ち味が現れてくる

「人間の形態」のくだりで 書いたように

このイデアは 人類共通だから 同じ結果が出る

 

 

ちなみに わたしたちが長年にわたり

祈ってきた祈りのことばを ここに紹介して終えたい

この祈りの提唱者は 五井昌久先生(神界との約束事により

この祈りにより救世の大光明が降りるとします)という御方です

 

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます 

守護神様ありがとうございます

 

昨年あたりから これにつづけて以下の感謝の祈りを祈ります 

 

スティリアノスアテシュリス様 ジョシュアイマヌエル様

聖母マリア様ありがとうございます

大天使ミカエル様 ラファエル様 ガブリエル様 ウリエル様

ありがとうございます 昇天

ETガーディアンの皆様方 ありがとうございます

 

 

【今日のまとめ】塾風に~七五調にまとめてみました(^^♪

 

病名創り 罪つくり 

悪魔の手口 乗るなかれ

 

◇参考記事

望ましい波動空間をつくる

「波動も波動空間も 音や音楽や 電磁波 放射能なんかも  環境です 

そう 人工的に操作された 気象や 

自然災害と見せかけた地震や火事も

そして 疫病もですね みんな 心身を操作する 環境です

 

今は 邪悪な征服欲と テクノロジーの悪用で 

わたしたちの暮らす環境が

しょっちゅう イジクラレまくっている時代です」(上の記事からの引用)