昨日は、東海道本線の各駅停車の旅の醍醐味を車窓から眺める水田風景を中心に書きましたが、都道府県でいうと、岐阜、滋賀の二県になります。実際に電車が通過したのは、出発駅の横浜のある神奈川にはじまって、静岡、愛知、岐阜、滋賀、京都、そして大阪です。

 じつは各駅停車の旅の醍醐味といえば、もうひとつあって、昨日も少し書いた土地のエネルギー、波動の違いを体験できることでした。これは新幹線ではなかなか味わえないもので、今回はある程度時間をかけた長距離移動という条件下で改めてそれぞれの土地には特有の波動があるのだということがこれまでになく実感できました。

 

 土地の波動といってもそれは人をとおしてやってくることもあります。

 

 最初の乗換駅の熱海で、うまい具合にお腹がすいたので、乗継電車の出発までのじゅうぶんな待ち時間にホームのベンチを確保し、家から持ってきたパンに具材をのせてその場でサンドイッチを作って昼食をすませることができました。途中、向こうのホームに伊豆方面に行く特急〝踊り子号〟が入ってきました。昔よりずっとデラックスな雰囲気になっていて、食堂車まである車輛編成におどろく一方で、新幹線並みの車体からはともすると威圧感さえ感じられ、旅情とはちょっと遠いかなという印象も受けました。それでもそのへんまでは、海がきれいで明るく温暖な土地柄、のどかな暮らし、そして湯河原や熱海といった観光地ムードもただよわせているのが感じられました。昔から親しまれてきた湘南電車はそんな東海道本線にふさわしいシンボル的存在でした。濃い蜜柑色と深緑色に塗り分けられたツートンカラーの塗装が消えて久しいですが、いまだに残念です。

 

熱海から興津まで 中央よりやや右の上方に見えるのが富士山

 

 熱海を出ますと、つぎの乗換駅の興津まではまだ沼津とか、白隠禅師ゆかりの松陰寺のある原とかがあり、このあたり車で訪れていることから、防風林とおもわれる松林がつづいているのも知っているためにある程度は土地勘があります。電車に乗っていて海と反対側の進行方向右手に眺められる富士山と関係の深い愛鷹山(あしたかやま)の裾野のひろがる風景は、開放的な地形のせいか明るい雰囲気を感じさせます。ところが、興津(おきつ)から浜松までは、地理的に暗く、海もあまり眺められないようになっていて、東西にだだっぴろい静岡県でも何にもない殺風景なイメージばかりが心を占めていたのです。今回の鈍行の旅でも、この印象は変わりませんでした。

 

右端の静岡市から御前崎方向に南下し、さらに西に向かう東海道本線

 

 ところで、この興津から浜松までの区間で、予期もしない出来事に遭遇することになりました。

 

 

選曲: 言海 六羽

 

 

 今回の旅のあいだじゅうどこへ行ってもマスクをつけていない人は皆無といっていいほど見られず、それは屋外、屋内、そして車中の別を問わずといった具合でした。ふだん自分の暮らしている街でなら、平気でノ―マスクで歩けるのが、なぜか気をつかわざるをえないことが少なくなく、公共の乗り物に乗ったり、知らない街の繁華な場所を歩くときなどは、しかたなしにつけることにしていました。

 

 ただ、興津から浜松までの車中、向かい合う必要のない、進行方向に座席が一列に並んでいる二人掛けの席だったので、マスクを(はず)していました。トイレに立とうとおもって、あたりを見回したとたん、真ん中の通路をへだてて反対側後方の席に一人で座っている男性がこちらに向って大きく目を見開き、しきりと手を使ってあたかも開いている口にチャックをしろとでもいいたげなジェスチュアをしているさまが眼に飛びこんできました。マスクを着用せよと、警告とも勧告ともつかぬ要請をしてきているのがすぐにわかりました。

 

 これが〝マスク警察〟というやつなのかと内心苦笑しながら隣りの妻に知らせると、いちおうマスク着用ができるようマスクを手にして席を立つと後ろは見ずに通路を歩きはじめました。こんなところで、厄介なことになるのも嫌だなとおもって、相手を刺戟しないためにもマスクをつけてふたたび通路を大股ですっすっと歩いてすみやかに席にもどりました。すると、妻が今あの男に注意されたと言います。 

 

「旦那さん、マスク持ってなかったら、貸しましょうかぁ。口、ムキ出しだったでしょー」と、居丈高に言ってきたので、

「あー、持ってますよッ」と、ピシッと言い返すと、さすがに向こうも黙ったそうです。 

 

 それもその場にいなかったわたしにはあまり伝わってこずマスク警察に遭っちゃったなという認識しかなかったんですが、2泊3日の旅が終り家に帰り着いてから、改めてその時の状況を話してくれ、やっと追体験することができました。

 

(口、ムキ出しったら、悪いんかー、ボケ)

(マスクくらい持ってるわ、ボケ)

(こっちは南河内や。わかっとんか、ボケ)

 

 そんな内心の声までも再現されて、二人のあいだ哄笑(こうしょう)(うず)がまき起りました。男のひんむいた眼とひきつった表情は明らかに恐怖の色に染まってましたし、敵意だの非難だといった複雑な(マインド)が反映され、人間の業というか、卑小なエゴイズムのエレメンタルの(とりこ)となった哀しい姿をさらけ出しているのが見てとれたことが思い出されました。悪魔はたしかに存在するということはすでに経験済みでありますが、そういうわたしでも、人間の本質は神聖であって、エゴイズムの正体はあくまでもそうした人間の本性を覆い隠す想いの凝ったエレメンタルにすぎず、ただこのエレメンタルを浄め去り、本来の人間の清浄な姿が現れてくることを悲願としています。

 

 さて、このたびの経験は、土地の波動と住んでいる人の気質ということをわたしに考えさせるよいきっかけとなりました

 

 不思議なことには、旅行からもどってきて、翌日の午後に滅多にかかってくることのない方(年に数回の電話をとおしても深い交流のできる友人)から電話がかかってきました。その方は静岡市に住む人で、マスク警察の話こそしなかったけれど、移動中に受け取った茫漠(ぼうばく)とした寂しい印象をはじめとする静岡の印象を率直に話してみると、色んなことが裏づけられる情報が得られたのでした。

 まず、静岡県というところは、何にもないところだという見方は、静岡で生まれ、そこから出たことのない彼女と一致していました。江戸と大坂に挟まれた位置にあって、宿場町の性質に由来するものであるのか、人の気質としては日和見(ひよりみ)主義的なところがあるというのですが、徳川家康と今川義元と武田信玄の勢力がつねにせめぎ合い、緊張がある土地柄のせいか、自分を守ろうとすることだけを考える傾向があるとのことでした。たしかにコロナ対策でも厳しいという情報だけは知っていたのですが、実際に初めてマスク警察に遭遇したのが静岡の地となれば、どうしても保守的な土地柄であるという印象はぬぐいきれません。

 

 彼女がおしえてくれたことには、昔から浜松の人は、「やらないか」となるのにたいし、静岡の人は、「やめないか」が口癖なのだと聞いて、妙に合点がゆきました。ここで、同じ静岡県なのに、浜松の人、静岡の人(とくに静岡市ということだとおもいますが)と分けるのは考えみれば変ですが、その時はなんにも違和感もなく、疑問も湧かなかったのです。それも不思議でもなんでもないかもしれません。浜松には、世界に知られるヤマハがあるし、ホンダがあります。おなじく世界に名を馳せる愛知のトヨタに挑むチャレンジャーのニッサンにたいし、ニッチのホンダです。

 

 

 その話を聞いてから、地図で調べてみると、熱海から島田行きの電車で興津で乗り換えるまでの区間は、沼津を過ぎて駿河湾沿いに田子の浦、富士川を越え、蒲原(かんばら)由比(ゆい)と来て清水港あたりに至る静岡県東部をカバーしています。一方、マスクのことを注意されたのが興津から浜松までの区間です。この区間は静岡市から駿河湾沿いに焼津、牧野ノ原、そして浜岡原発のある砂丘とその近くの御前崎(おまえざき)に至り、北は長野県と接する南アルプス(赤石(あかし)山脈)までのびている静岡県中央部にあたることが確認できました。

 

 

 マスクのことを注意した男性の降りたのは浜松よりもだいぶ手前です。御前崎より遠州灘沿岸部を西進すれば、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市を経て浜松市に至ります。浜松以西は浜名湖を経てすぐに愛知県に入るので、ここらへん一帯を静岡県西部と考えると、東部、中央部から、西部へ進むにつれ大きく波動が変化し、とくに浜松市くらいからは、もうほとんど愛知県に近い、静岡とは異質な波動がありました。

 

 今回、彼女からプライバシー保護と命の安全を守るためにもとてもここに書けぬ話が耳に入りました。人体にたとえれば、脳の神経中枢から四肢末端に至るまでといったらいいか、強権的な権力構造が行き渡っているために人権も生存権もまったく軽視されるような悲しいことが日常的に起きていることを知りました。こういう問題にたいしては、唯一できることは、弱い立場にある住民が一致団結して事に当たることであるにもかかわらず、どの世帯も自分だけが助かろうとズルいことを考え、エゴイズムに凝り固まり、互いに監視し合っているばかりで、結局は弱いところにしわ寄せが来て、だれかが犠牲にならざるをえなくなるらしいということも具体的な事例をとおしてわかりました。そうした()(ざか)しさが、かえって(あだ)となり、個人をも国をも(ほろ)ぼすもとなのだということをそろそろ学んでもいい頃ではないかとおもいます。

 

 

 昔、バシャールのチャネリングの情報で、この地球という星は、宇宙のなかでも「制限」の強い社会として位置づけられていることを知りました。この「制限」とは、どういうことに起因するかというと、実際は宇宙大である自己の存在をわざわざ限局し、霊と魂の部分を切り捨て無意識裡に押しこめて肉体のみのちっぽけな存在と錯覚することにより、大我を忘れて、小我を守ることのみに汲々としている意識のありようから来ているということができます。それもそうならざるをえなかった歴史的な経緯や風土などの自然条件もありましょうから、一概に批判するのがよいことだとはいいません。

 

 そして、静岡の人々が皆そうだというつもりありません。土地の波動。それに引き寄せられてくる人々の波動。その土地に合っていると感じて生活している人もあれば、逆にどうしてこうも合わないのかと感じながらも、そこに住みつづけることがあたかも宿命であるかのように受け入れざるをえない気持ちと、いつかここを脱出しないといけないと自らに言い聞かせる気持ちとが、拮抗しているようなケースもあることでしょう。

 

 また、「制限」が強く、業が厚いから劣るとか、希望がないというのでもないです。むしろその話をしてくれた友人のような聡明で心正しく光の強い人間をそうした波動の厳しい土地に配置することにより、その場所集められた業を一挙に崩壊させ、光に変容するべく高次のエネルギーが降りるポータルが開通して、そのエネルギーが一気に横ひろがりに日本列島の隅々まであまねく浸透してゆく宇宙神の計画がないともかぎりません。

 

 そのことを裏づけるかのように、本日わたしの耳に入ったのが、ハーモニー宇宙船団とつながるハーモニーさん(横石(よこいし)(あつむ)氏)が、ずっと前から駿府(すんぷ)ときどき訪れては、波動調整のための装置を設置してくるというエネルギー浄化のためのワークをおこない、しばしばハーモニー宇宙船も出現しているという報告でした。それは聞き覚えのある情報でもありました。ちなみに横石氏は、かつて徳川家康の城だったその城をネオ江戸城と呼んで重視しているようです。

 

 

 

 

 一方、昨日わたしが静岡の友だちから聞いた話(先に書いた事例とは全然別ですが)によれば、静岡空港(富士山静岡空港という呼び名がついている)ができるまでには、住民の建設反対運動があり、最後まで(たち)退()きに抵抗した地権者は、県知事に辞職させることを条件土地を明け渡すことを約束し、刺し違えかたちでようやく決着がついて、空港建設の着手にこぎつけられたということでした。また、裏取りはしていませんが、テレビ東京をはじめとして、なぜ静岡に空港が必要なのかわからないといった論が全国からいくつも飛びだしていた時期があったそうですが、県民はつんぼ桟敷(さじき)に置かれ、わたしたち県外の者にも、そういうことは知らされませんでした。

 

 きわめつけは、県庁前で抗議文を遺し灯油をかぶって焼身自殺した人があったそうですが、その事実は地元の静岡新聞(御用新聞とも批判されているそう)はおろか全国紙でもまったく報じられることはなかったということです。ここでも福島原発事故の時と同様、県の行政の、あるいはこの国の隠蔽体質がもろに出ていますね。なぜ、こんなことを彼女が知っているかというと、事件直後にたまたまタクシーに乗っていたら、ラジオで流れていたからだそうです。

 

 肉体次元においては、それぞれ立場や考えの違う人間同士のエレメンタルがぶつかり合い、せめぎ合い、悲劇的なことも起こしつつ、大局においては、何が正しくて何が間違っているのか、人智には限界があることを考えれば、最終的にはわからないのもまた真実であることでしょう。

 だからこそ、つねにこの世的な物事を進めてゆくうえでは、権力や専門知識のあるなしにかかわらず、だれもが天と地をつらぬく光の柱と周波数を合せる祈りという行為によって、あらゆる欲望エレメンタルが浄まり、悪いと見えたことでも、やがて善きことに転じて大調和した世界が現れてくることを信じて、そうしたことの可能な波動の磁場をととのえてゆくしかないとおもうのです。