今日はマドモアゼル愛先生提唱の妖精茶会を午後4時頃から我が家で開きました。

 1時半から3時半まで、近所のコミュニティハウスにて開催された若年性アルツハイマー型認知症と診断された男性の方による講演『認知症の私から見える社会』に出席して、感動のうちに最高の時間を過ごした後、自転車で帰宅すると、すでに妖精茶会の準備が完了しておりました。

 本日の会の発起人は、魂の伴侶である妻でしたが、彼女の手によってすっかり準備が整えられ、スタンバイの状態になっているところへわたしはただ身を運ぶだけでよいのでした。

 茶器とお菓子と笛と薔薇の香り(木の台に染みこませたローズ・アブソリュート)と花とオルガニート……。それらが敷布のうえに置かれてあるそのさまは、あたかも結界により周囲から聖別されたものたちによって神聖なスペースが出来上がっているかのようでした。

 

 テーブルの端のやや厚めの座布団の敷かれた椅子に座ろうとすると、「あ、そこは妖精さんの席」と言われてやめました。ちゃんとしつらえてあるのだと感心しました。ティーカップとソーサーの数も四人分そろっています。「でもまだ来ないから座ってもだいじょうぶ」ということでしたが、座る気にはなれずに、母がいるのかいないのかわからないほどに気配をなくし黙って静かに一座を占めている隣に腰をおろしました。

  さて、今日の主催者がリードして妖精を迎える儀式にはいりました。もちろん、目に見えない存在をゲストとしてお迎えするのですが、そのやり方も神秘的であり、両手にそれぞれストーン(アメジスト)とストーン(ローズクォーツ)とを持ち、互いをすり合わせぶつけてカチカチと音立てて、お招きするのです。たとえば微風がそよぐような微細で精妙なしるしをもって今、妖精が訪れたと感じたならば、それをもって茶会を開始するといったさまを想像していただければよいでしょう。いずにしても、物質界の粗い波動とは異なるかそけき世界に意識のフォーカスを合せるお話になります。

 

 

 庭の笹の葉が風に揺れるのが見えるほか、とくになんの変化も見られないかにおもわれたのもつかのまのこと。まもなく彼女が妖精をお迎えできたことを感じとってにっこりといつにない満足げな嬉しそうな表情となったので、わたしも素直な気持ちとなり心からお迎えしました。なにしろ妖精は、植物を養い育て守っている存在ということです。わたしたちが日頃から目を楽しませ、心やすらぐのを大いに助けてくれている植物にたいする感謝とおなじくらい妖精さんたちの存在にたいしては、感謝の心と親しみの感情をいだいているので、そんなに難しいことではありません。これまでにも人間の無神経な振る舞いから樹木を救おうとしたことが何度もあり、天使の存在と同様に妖精の存在にたいしても、ごく自然なものとして捉えています。

 

 

 外でのお話会が終ったら花を買ってくるよう頼まれていましたが、庭に咲いている紅い実をつけた南天を摘んできたから、買わなくてもいいと電話で伝えられて家にもどってみると、テーブルのうえに南天が飾られていて、その場の雰囲気ととてもマッチしていました。

 

 紅茶をすすり、日曜の映画を観に行った日に買ってきたコーヒーケーキ、それからデーツなどを食べ、そこにいらっしゃる妖精さんにも、お菓子を供して、その臨在を感じ、祝福の喜びを静かに味わいつつ思いつくままにおしゃべりを楽しみました。

 

 ちょうどつい先ほど、これまでに聞いたこともない貴重なお話を、わざわざ仙台のほうから来ていただいた方から聞くことができ、そこで体験した驚きや喜びとともに、聴いたお話を妖精茶会にて家族の皆にシェアすることができました。

 

 それから、夏になる少し前にマドモアゼル愛さんのショップから購入していた432Hz純正律の手作りオルガニートによる音楽を手回しで演奏し、聴きました。

 

 

 終始なごやかなムードのうちに、楽しいひとときを終えることにして、まずは妖精さんに感謝して、お帰りいただくようにお送りの儀式を執り行いました。

 お茶会中は、人の心をよくウォッチングしていて試すこともある妖精さんによるアクシデント(妖精ピンチといったか)が何かしら起こるそうで、妻もちょっとドキドキしていたそうですが、何事もなく終えることができました。

 天使さんとか、妖精さんが好き、というよりも、もっとその本質をどこかでとらえ、そうした世界との親和性において生きているような彼女にとって、今日のこの催しは、図に当たったというか、余程うれしかったと見えて、「なんだか知らないけれども、楽しくて楽しくてしょうがなかった」というようなことを申していました。実際、その表情を見るにつけ、本当に幸せそうでしたので、よかったなとおもいました。母にも感想をもとめると、「最高」と言ってくれました。

 

 

 

 

 最後に重いサッシを開けて妖精さんを送り出してから、彼女の魂をいつも打ち震えさせる〝森の木陰でドンジャラほい〟と歌う『森のこびと』のことをわたしが思い出して口にすると、本人が自然と歌いだしました。母も手拍子してくれました。この歌を歌うときは同時に体も喜んで踊りだします。こちらもつられて唱和することで、その場の波動がさらによくなり、気分も盛り上がったことでした。

 

 妖精さんが帰ってから、あらためて今日は本当に良いひとときが過ごせたと、満ち足りた感謝の微妙な想いが湧き、それが増幅していったのも不思議でした。もしかしたら、妖精さんはそれをあらかじめ予期していたかもしれません。いったん去ってから、ふたたびすぐそこにもどってきて、そっとわたしたちの様子をのぞいている感じがしました。

 

 妖精さんが望んでいるだろうこと。それはその場の波動が上がること。ますます調和した精妙な波動となって、それが地を浄めるべくご縁ある人々や場所にひろまっていって、やがてあまねく地球に平和が、愛が浸透してゆくこと。そのためにわたしたちは、媒体として使われているのでしょう。

 

◇お勧めリンク

 

YesMichaelさんの承諾を得て、記事をリンクさせていただきました。マドモアゼル愛先生のお話、妖精茶会の開き方などが詳しく紹介されています。それぞれ大切なことが綴られてありますので、どちらもぜひご覧ください。