「富山の薬売り」1000人切る  | 国際そのほか速

国際そのほか速

国際そのほか速

「富山の薬売り」1000人切る  江戸時代から続く伝統的なスタイルの「富山の薬売り」が減少している。富山から薬を携えて全国の家庭や企業を巡る「富山の薬売り」は、県に残る統計で最多の1961年には1万人以上いたが、2004年に2000人を割り、13年はついに1000人を切った。得意先がある県外に拠点を移したり、後継者不足で商売を畳んだりする人が増えているためだが、富山の代名詞ともなってきた薬売りの減少を惜しむ声も上がっている。

  県くすり政策課によると、県内に住所がある薬売り(配置従事者)は1961年に1万1685人いたが、89年に4096人、直近で集計した2013年は957人となった。

  「売薬さん」とも呼ばれる富山の薬売りの起源は、江戸時代。1690年、江戸城で腹痛を起こした大名が、富山の「反魂丹(はんごんたん)」を服用して治癒したことが評判を呼び、富山藩から全国に薬を届けるようになった。薬売りは、全国をブロックごとに分けて各地を巡り、顧客のもとに薬箱を預けて、使用された薬の代金を集める「先用後利」という仕組みで発展した。「かけ場帳」と呼ばれる顧客リストが、富山の薬売りの家で代々大切に受け継がれてきた。

  しかし、県内から薬を携えて遠方に赴く伝統的なスタイルは、長期間自宅を留守にするなど本人や家族の負担が重いことから、近年は顧客が住む地域に移転する業者が相次いだ。ドラッグストアの増加や市販薬のインターネット販売解禁も逆風となっている。

  砺波市の配置販売業「林薬品商会」の3代目、林正志さん(44)は、2007年に父の甚松さん(81)から家業を継ぎ、滋賀県を中心に約1000軒の家庭や企業に、薬箱を置いている。1年のうち3分の2は、妻と高校3年の娘を自宅に残し、滋賀県のアパートで暮らす。1日10~15軒の顧客を車で回って置き薬を補充し、使用された薬の代金を集めている。

  林さんは「1日に15軒も回るとさすがにくたくたになるが、お客さんの命に関わる仕事なのでやりがいがある」と話す。ただ、林さんのように、県内で薬売りの家業を継ぐ人は少なくなっているのが実情だ。

  富山の薬売りとして半世紀以上働いてきた中嶋信行・県薬業連合会副会長(72)は「代々続いてきた人と人のつながりが、富山の薬売りの財産であり、この仕事のやりがいでもある。若い人たちにもそのことを理解してほしい」と話している。