弾き語りを始めた当初、自分には圧倒的に”何か”が足りないと、頭の片隅でチラついてはいたけど、そこに対してすぐに掘り下げようとはしなかったし、今思えば知るのが怖かったというのが本音かもしれない。それを知ってしまえば、今後歌い続ける事が出来なくなるかもと、もしかしたら本能的に気付いていたのかもしれない。

その頃の私は、メロディー、コード進行、歌詞、全て思いつくままに曲作りをしていた。体の中のものが、何のフィルターも通さずにそのまま形になったような感じ。多分、10〜20代はそれで良かったのかもしれない。むしろ、それが良かった部分でもあったんだと思う。ただ、活動歴が長くなるにつれ、今のままでいいのかと迷う度に、チラついていた”何か”と向き合わなきゃいけない時期が近付いているように思えた。そして20代半ば、ようやくそれに気付かされる時が来る。

私には、圧倒的に歌詞のセンスが足りない。

それまでの私の歌詞は、主観的、一人称、完全自分目線の、単純で伝わりやすい日記のような歌詞だったように思う。だからこそ、分かりやすく浸透していった気もするし、そこに対する反応も早かった。ただ、私が本当に書きたい歌詞、自分が憧れる人達の歌詞は、自分のソレとは全くの別物だった。そこに気付けたのはいいけど、じゃあ次から今までと違う歌詞を書きますと言っても、やり方も分からなければ何をどうしたらいいのかも分からず、その時はそれまでの自分を自分自身が全否定してしまったような感覚に陥ってしまい、今まで育ててきた自分の曲達と向き合えなくなってしまった。

その時期に、もう一度音楽を続けていくために、signaloseでゼロから学びたいと思った。

ここに来て、もう一度原点に戻る。長く厳しい戦いになると覚悟はしていたけど、実際は予想よりも遥かに過酷だった。歌詞を書けば書くほど自信がなくなっていくような気がして、signaloseを始めて何年かは、曲が作れなかった。ようやくメンバーに聴かせられるようになった時に持って行った曲の歌詞を、後からリーダーが何箇所か書き直してくれた事があったんだけど、書き直された歌詞を見た瞬間、曲そのものが一瞬で色彩を放ったような感覚になった時は、愕然としてしまった。私も、こんな歌詞が書けるようになりたいと、より強く思った。

そこからは、とにかく小説を読みまくって、言葉の言い回し、表現方法、あらゆる引き出しを増やす事に専念した。いろんなアーティストの歌詞を読んだり、聴き方を変えたりもした。そうしていく度に、歌詞に対して重きを置いて来なかった自分が恥ずかしくもなった。

自分が好きだなぁという世界観を持った人達は、小さい頃から小説を読むのが好きだったと、口を揃えて言う。私はどちらかというと、時間があるとすぐ外に飛び出して行ってしまうような子供だったので(笑)彼らが持つ幼い頃の純粋無垢な感覚に今の自分が追いつけるわけがないのも分かってはいるけど、近付く努力ぐらいしてみたっていいんじゃないかなぁと。今後もめげずに勉強していこうと思う。

signaloseのお陰で、ソロ活動を再開してからは何十年後も変わらず愛せると自信を持って言える曲達を作れるようになった。ただ誤解して欲しくないのは、昔の曲だって大切なのには変わりない。何年も前の曲をリクエストしてもらえた時はすごく嬉しいし、とても誇らしく思う。全て、私の財産だから。

麻友ソロの曲は全て私自身が作詞作曲していますが、麻友バンドの曲はリーダーが作詞作曲している曲もあります。今後、益々増えていく予定。リーダーの書いた歌詞を歌えるのは、ご褒美みたいなもの。自分では書けない歌詞を歌える喜びが、ライブで伝わればいいなと(笑)

今夜も、楽しく歌えますように٩( ᐛ )و

麻友