前回の記事の続き


2011年10月7日 

いよいよ手術室に入って恐れていた麻酔の時間になりました。


幅の狭いストレッチャーみたいなベットに寝かされて

麻酔医と看護師さんが麻酔の道具みたいな物をトレイに乗せてやってきました。

どんな物で私は刺されるのかが気になり見ようとするけど

そんな暇もなく『足を抱え込んで丸くなって』と言われし渋々と丸くなる私。


『まだ丸くなれますか?』っと言われるも

私はじゅうぶん丸くなってるつもりでした。

『力を抜いてください』と言われても力抜いているつもり(笑)


全く丸くもなってなく力も入っていて中々背中の麻酔が入らないみたい。

何度も丸くなって!力抜いて!と言われても

丸くなって力抜いてるつもり( ˊᵕˋ ;)


ゴリゴリやられる?

前情報であまりにも怖くて体がいう事を聞かない。

あまりにも入らないから主治医が入室してきました。

背中越しに、まだ入らないからごちょごちょと何か話をしてました。


私の体の抵抗の強さw

ちょっと困った麻酔医に勝利!!w


あっけなく先に点滴されて、口にマスクをされて

「1から数えましょうか、、、」

と、看護師さんに言われ数え始めたら、、、


手術が終わってました。


目が覚めたら病室で

両親と娘、看護師さんが目の前にいて

母は『よく頑張ったね』と泣いていました。

父は目を合わさずに椅子に座ってました。

きっと涙を浮かべていたと思います。


娘はいつもの笑顔でしたが心無しか元気がなかったように思えました。

後から聞いたのですが、娘は私の手術が終わってから主治医の説明の時に倒れたらしいです。


思った以上に痛みもなく、喉が乾いて水が飲みたいのと、お腹が空いて食べたくて堪らなくて

まだフワフワとしていた意識の中で、なんか食べたいと思っていました。


手術当日は、痛みがあるという事でこの子がお供

イメージ 1

写真は、先生曰く…セルフサービスの痛み止めで

『ご自由にどうぞっ』と言う事で中々の優れものでした。


そしてウトウトしてたら夕飯

イメージ 2

娘も両親も居てくれて一緒にご飯を食べました。


だんだんと意識もハッキリしたので母から手術のことを聞きました。


待合室で待ってると看護師さんが来たそうです。

両親は余りにも手術室に入ってから1時間余りで看護師さんが出てきたので焦ったそうです。

看護師さんから『麻酔に手こずってしまい、一時間遅れで手術を始めます。』

の言葉に手術が出来ない状況の説明かと思ってたので安心したそうです。

やはりわすがな抵抗の私の勝利?(笑)


広汎子宮全摘出術
子宮と卵巣、付属リンパ節
骨盤内42個のリンパ節を切除
リンパ節転移の疑いがあるので病理検査
輸血は800ml (自己血)

そして、両親から娘が倒れた経緯を聞きました。
手術が終わり子宮や卵巣など取った物を見せて説明した時に貧血を起こしたらしいと
えーっ、そんな場所に小学6年生の娘を入れる?

過ぎた事だから仕方ないことだったけど
緊張の糸が切れてしまったのと、切除したものを見てしまい
倒れてしまったのかな、、、両親に反省してもらいました。


看護師さんが麻酔が入りました。と言って来てくれてから

手術室から出てくるまでの時間が1時間半ぐらいだったらしく

手術が早く終わったことにも両親はビックリしました。

この手術が早く終わったことで、その後の私の体の負担や後遺症は軽減されており

友達の腕は良い!手が早い!正確!

という言葉は正解だったと今でも思っています。

ちなみに藤本先生(主治医)は

これから続く闘病生活で無くてはならない大好きな主治医となります。



両親と娘が帰って

薬や痛み止めで寝れたような寝れてないような

でも、心は穏やかでがんが体から無くなった

という安堵の気持ちで静かに横になっていました。


無いものに目を向けるのではなく
有るものに目を向ける。
子宮が無くなることより命を得ました。
この先も生きること、生きたいことを優先にしていく私の闘病生活が始まりました。



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