2011年10月6日 手術前日


娘と母が来てくれ一緒に夕飯を病室で食べました。


広島の病院に入院していたので

実家からの通り道の宮島名物あなご弁当をリクエスト!


デザートにサーティワンのアイスクリームもおねだりしちゃいました。


食べかけのあなご弁当ですみません。

イメージ 1

宮島口の「うえの」のあなご弁当です。

(冷めても美味しくいただけるお弁当)


病室で食べる3人での食事は

いつもと場所は違うけど楽しかっです。


日常の会話に普通の時間が流れていく

ずっとこのまま時が止まらないかなぁって思ってたら

面会時間の終わりのアナウンスが流れました。

何かシンデレラになった気分で現実に引き戻されて

お母さんも娘も帰らないと行けないんだと思うと

込み上げてくるのは寂しさだけでした。


『ママー、明日来るからね!』

って笑顔で手を振る娘


母はじっと噛み締めるよに

『明日ね』

と声をかけてくれたした。


短い言葉に詰まってる想いに

母の気持ちを思うと胸が熱くなりました。


病棟のエレベーターまで送り

廊下の端の駐車場が見える位置で、2人が帰るのを見届けました。

車が見えなくなると、急に涙が溢れ出てその場から動けなくなり

涙を隠すために外を暫く眺めていました。


お母さん、心配かけてごめんね。


もし自分が母として娘が私のような状況になったら

めちゃくちゃ苦しむと思う。

代わってあげたくても代わってあげれない

もどかしいさ、悔しさ、悲しさ

きっともしかしたら私以上に苦しかったと思います。


大丈夫だから!

麻酔効いたら寝てるだけで起きたら終わってるし!

と軽く笑い飛ばして話はしたものの


言葉に出来ない、表現も出来ない感情が自分の心に湧いていました。


明日にお別れする子宮と卵巣

お腹に手をあてていたら、妊娠中の事、お産のことを思い出し

お腹を撫でながらお世話になった子宮と卵巣に

「明日でお別れだけどありがとう」

「もっと早く気づいてあげれなくてごめん」

語りかけました。


娘がお腹に居たときどうだった?

暴れて痛かったでしょう?

娘を十月十日(とつきとおか)育ててくれてありがとう。

同じ事を思い出と共にグルグルと回る感情


そしてウトウトと寝てたのか?寝てないのか?

分からない時間が過ぎトイレに行くと

生理になってしまいました

人生最後の生理が手術前日にまさか、、、


がんからの出血は止まっていたので

明らかに生理の匂い、、、


自分の体が愛おしくて

まるで「ここにいるよ」と言ってるかのように、、、


トイレで座り込んで大泣きしました。

嗚咽に近かったかもしれません。


お腹にグッと手を当て

なんの感情もなく泣きました。


「生きろ!」と私の体から聞こえてくるようで

無くなる子宮という大きな存在にこんな力があるんだと初めて気づきました。


明日は泣かずに子宮とさよならする事が出来る気がする!

そう思えた大切な出来事でした。


人間の体は不思議なことが多いと思います。
最後に楽しめた生理という女しかないものが、まるで私にエールを送っているようで、、、
子宮が無くても私は私で生きないといけないと体と対話できた良い時間だったとおもいます。




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