※前回の記事の続きです
診察室に1人残り医師と話をしドアを開けると、そこには娘と母がいました。

ランドセルと制服姿の娘
いつもと変わりなく無邪気な笑顔が目の前で待っていました。

母の目は私に「お姉ちゃん大丈夫だから!」と語りかけているような眼差しでした。

しっかりしろ!私!と自分に喝を入れながら一歩一歩2人に近づきました。

泣かないって決めてたのに
一歩近づけは涙が溢れでてしまい


手の届く距離がこんなにも切なく尊いものだと思うと前に進めませんでした。


異変に気づいた娘は
『ママ~愛してる』と抱きしめてくれました。

会計の書類をいただき、また、あの廊下を通る。

来た道も不安だらけだったけど
帰り道は絶望の道に変わっていました。

工事で細くなっていた廊下が
今度は大きな洞窟のように感じました。

廊下を抜けた他の科の待合の端で

気づいた時には、3人で抱き合い座り込んで泣いていました。

きっと周りから見れば不思議な光景だったかもしれません。


でも、我慢できませんでした。
立ち上がることも出来ず、泣いていました。
娘と母以外、私の目には入りませんでした。
きっと2人もそうだったと思います。


そこから会計までの道のり、誰が会計したのかは全く憶えていません。

私の自宅に母と私のどちらが運転したのか思い出そうとしても未だに思い出せないのです。

やっと自宅に戻り冷静さを取り戻し
娘に何があったのかを話すことにしました。





小学6年生の娘に話すことは賛否両論あるとは思います。

ですが、私は娘に話さないという選択はありませんでした。

それは、シングルマザーになった時から
私と娘は親子であり、最大の理解者だと思って接してきていたからです。

病気について、命に関わる病気だということ
「がん」になったことを、ちゃんと娘に伝えました。

娘は『ママは死なない』
一緒に闘うと励ましてくれました。

離婚し、私の恋愛にも巻き込まれ
良い思いをしない事も多かったけど

娘はいつも守ってくれて
どうしようもない私を許してくれる。

そんな娘を一人にしたくない。
一人にはさせない。

そう私に決意させたのは、娘が私を想う気持ちでした。


ただ、少しだけ1人になりたかった。

娘を母にお願いし
一人の時間を過ごすことになりました。

2人ともきっと不安で心配だったはず
この時、1人にさせてくれたことが
私の大きな一歩にも繋がったと思っています。

ありがとう、お母さん
ありがとう、娘

少しだけ私に時間をください。
言葉に出すと涙に変わりそうなので、心でそう思い2人と別れました。


長い一日は終わることなく、夜へと続いていく、、、




     ↓色々なブログが見れます↓

ポチッと応援クリックしてください

にほんブログ村 その他日記ブログ アラフィフ女性日記へ
 
にほんブログ村 病気ブログ 子宮頸がんへ
 
にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(完治)へ

 

PVアクセスランキング にほんブログ村