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「言葉が嫌い」

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これも昔書いた続きです。

こんな時期もあったということで
お許しお

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「言葉が嫌い」

俺は言葉が嫌いです。 でも、大好きです。

前回、言葉に注目しましたが、
本来は言葉はなくても大丈夫だと
俺は思ってます。

雰囲気、笑顔、行動、ニオイ、数多くのものから情報は
ミックスするべきだと思うからです。

俺にとって言葉は影くらいでしかありません。

俺は外人と目だけで仲良くなれるし
言葉に頼らない分だけ本質の部分で仲良くなれてる気がします。

だから、言葉は危ういと思ってます。

言葉があると言葉に頼ってしまって、
ずいぶん他が見えなくなる。
言葉に頼るせいで、言葉に迷わされる。

たとえば、言葉に頼ると「好きだ」と言ってほしいと思います。
でも、「好きだ」という言葉は簡単に誰でも言えるのです。

そんな「好きだ」という言葉が欲しいのですか?と思ってしまう。

だから、言葉じゃないもので伝えたいと思うし
言葉以外のものを感じ取ってもらいたい。

でも、患者さんも知人たちも俺の言葉を聞きたがります。
だから、的確に伝えるために、できるだけ努力をしているだけで

本来は、多くを語らず、「大丈夫だよ」って、一言伝えるだけで
泣かせてしまうような人になりたいと願ってます。

昨年、声帯ポリープの手術をしました。
しゃべりすぎです(^^;)
言葉に頼りすぎだと反省しました。

俺の尊敬する大先生は「う~ん、大変だったね、大丈夫だよ」とこの言葉だけで
患者さんたちをスッキリさせてしまいます。

俺は、これだと思った。

一言で十分な雰囲気と愛。これを出せるようになりたいと。

今の話と相手を理解するために
相手の言葉を組み立てていくことは、また別です。
こちらが言葉で伝えるのは嫌でも、
勘違いしないために、聞く時はしっかり曖昧に形をつくる。
言葉以外のものをふんだんに取り入れて。

言葉は影でしかなくて、本当に伝えたいことと違うことが多いです。
影を影として見れば、答え(真実、相手が伝えたいこと)が見えてきます。

人は言って欲しい言葉があって、それを言ってほしいだけなんだと思う。
たぶん、聞きたい言葉は決まってるんですよ、それを言わないとうまくいかない。

だから、会話の中では相手が言ってほしい言葉を少しでも早く
見つけ出せるとうまくいきやすい。
それこそ、愛のない「好きだ」という言葉かもしれない。

でも、たとえば行動でわかってほしいと思ったとする
俺は、言わなくても伝わると思う。
でも、人には伝わってない時があるから、
一応、「言葉にしてないけど、今伝わった!?」ってだけ
行動をするたびに言ってみたら、
そしたら、この行動が表現なんだとわかりやすくなるんじゃないかと思う。

言葉にしなくても、一瞬、行動を止めて、立ち止まって、その瞬間に目を見て合図を送る

そしたら、たぶん言葉を使わなくても、そのうちここだ!!って伝わっていくと思う。

そこまで、してあげないとわからない人がいるのも現実なんで
そんな人にはそこまでしてあげるしかないよね。

ただし、誤解されたくなければ、組み立てやすい言葉を選んだほうが
早いかもしれないですけどね・・・。
そういう意味じゃ言葉が一番伝えやすい最高のメソッドなんだよ。

みんな、言葉を大切にしよう!!

以上

重松昌二郎


PS.このメールを書き終わった後に槇原敬之のライブに行ってきました。
そこで、

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悪く言われれば平気じゃない
でもだからこそ、その傷の痛みを胸に
僕らは悪く言わないという
生き方を選んでいこう
祝福されないのは残念だけど
だからこそ祝福すべきものを
祝福しながら生きていこう
そのために僕らは出合ったんだ

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という歌詞の歌が流れてきました。
泣きました。

やっぱり言葉の威力すごいです。

みなさん、言葉を大切にしましょう。


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ということを昔書きました。

「言葉は次元が下がる」

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これも昔書いたやつですので、
今の僕の感覚とは若干違いますけど

まぁ~こんな感じに思ってた時もあったということで


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「言葉は次元が下がる」

俺は言葉が嫌いです。
言葉はすごく頼りなく思えるから。

だから、俺は少しでも誤解無く伝えたくて、
思わず多くをしゃべってしまいます。

上手く伝えられるか分からないけど

俺の中ではすごく次元が下がるようなイメージなんです。

たとえば缶ビールを言葉で説明するとする。

でも、“缶ビール”という言葉がなかったとする。
そうなると、う~ん、
形は下が円で横から見たら長方形(円柱)
上には開けるための亀裂が入っていて
外側の材質はアルミで
中身は液体でアルコールが入っていて、炭酸も入っている
味は苦みがあり、炭酸でスカッともする、コクもあります。

だいたいこんな感じだと思うが、
これですべてでしょうか?

もしくは缶ビールだとわかりますか?

かなり難しいですよね。

自分の心を、一言で伝えられる“缶ビール”というような
言葉があれば良いですが、
そんな便利な言葉は、
あなたの心を伝えるとき存在しません。

だから、いろんな情報をもとに組み上げて、
想像するしか手がないのです。

人間は、心や考えていることを、
相手に伝えるために、一生懸命、言葉にするのです。

俺の中では心を完璧に言葉にすることはできないけど
その中で一番、伝わりやすそうなものを選んで言葉にするわけだが

それでも、誤解を招いたりしてしまう。

心の形は、ほとんどの場合、いびつな形をしていて、
まず簡単にはつたえられない。

そのいびつな形を人に伝える場合、
たくさんの言葉を使い
それを、聞き手が、頭の中で合わせていって、
立体を作って感じなければいけない。

なのに、言葉に惑わされて、立体を作らない人が多い
「あなたは嫌いと言った。」など
言葉は言葉で、完璧ではなく
かといって、決して嘘でもなく
すべて合わせて作ったものが相手の伝えたいことだと思う

俺、重松昌二郎もいろんな形があり、それを合わせたものが
重松昌二郎なんです。

なのに、スケベな俺だけで重松昌二郎にされても、
間違いではないが正しくもない。

親切な俺だけで思われても、それも誤解だ

すべてが、俺なのです。

でも、言葉で伝えるためには多くの言葉を使い、
それを合わせてもらわなくてはできあがらない。

でも、すべてを聞いてくれるケースがいったいどこにあるだろう?
ほとんどが一部分しか聞けない。

俺は、1つ1つの言葉を大切にして
相手の伝えたい心の形を作るように心がけてる。

だから、言葉の上げ足をとるのとかは、
すごく意味がわからないし、
もっと聞いて、もっと情報を引き出し形を想像しなくちゃいけないと思ってる。

今の時代、一つ聞いただけで判断する人が多い
心に余裕のない人が多いためかもしれないが、

もちろん一言目にどの言葉を選ぶのかはテクニックだし、
心を伝える技術の一つなのだが、下手な奴だっている。

言葉が下手でも、心がステキな奴がいる。

俺はそういう心を少しでもたくさん見つけたい。

今回、みんなに上手く伝えれてないと思うが、
言葉は次元が減るんだと思う。

イメージとしては、たとえば物体があったとして、その物に光を当てたら
影ができ、3次元の物が2次元の影になる感じです。

本当は立体(3次元)なのに影になって平面(2次元)になる。

言葉って、この影のようなもの。

でも、そのいろんな角度からできた影(2次元)を合わせると
本来の立体(3次元)を想像できると思うんです。


この立体こそが人の心や伝えたいこと、なんじゃないかと。
でも、僕らが言葉で聞けるのは、この影のような情報でしかないと。

次元が減るからこそ、言葉を選び少しでも伝わりやすいものを選ばなくちゃおいけないし。

それができなくても、できるだけ多くの情報を伝え
それを合わせてもらい、本来の形を理解してもらう。

それが大切だと思う。

聞く方も、一言で判断しない、言いたい気持ちの立体を感じ取る。

奥行き、色、材質、深み、いびつさや、滑らかさなど
そして、少しでも感じ取れれば理解が深まるんじゃないかな。

今回、上手く言えませんが。でも、俺が十年以上、強く感じてることです。
どうぞ、感じ取ってください。お願いします。

以上


重松昌二郎


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てな感じですが
さすがにまだ、文章の書き方も乱暴ですな!!

まぁ~こんな感じで成長していきました。
まだまだでしけどねッ

「二十年後の自分からの手紙」

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これも昔書いたやつです。

一番ツライ頃に書きました。

なんとなく昨日UPした20年前の自分への手紙とセットなので
一緒にUPすることにしました。

昨日読んでない人は読んでちょ

まぁ~面白いかはわかりませんけど
僕には大きな気付きになる行いでした。

ではでは

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今回もかなりの厳しい試みに挑戦してみました。

正直、皆さんにとって面白いかどうかはわかりません。

しかし、試してみる価値ありです。
すっごく今が強くなります。

そろそろ、なんかいい感じのやつ書きたかったんですが、
かなり重たい作品になっちゃいました。

でも、常に素直な自分を表現しようと思ってますので、どうぞよろしくお願いします。



「二十年後の自分からの手紙」

昌二郎君はじめまして。二十年後のあなたです。

大変苦しんでいるようだね。
大いに苦しみなさい。

私はあなたが選んだことをすべて受け入れます。

私にできるのは、あなたがどんな生き方をしようと
受け入れるしかできないのですから

あなたの苦しみわかるよ、辛いよな、死にたいよな、自分を責めたいよな。
あなたが、したいことをすべてしなさい。

わたしは、「なぜあんなことをしたの」などと
あなたを責めたりしない。

私の今が知りたいのですか?

そんなことはどうだっていいのです。
私の今もあなたから見た時と、
さらに20年後の私から見た時に変わるのです。

物事はすべて受け取り方で変わるのです。

今あるすべては、あるけどないのです。
大切だけど、どうでもいいのです。
良いけど悪いのです。
すべてはどちらでもないしどちらでもあるのです。
その事に早く気づきなさい。

あなたの辛さも何もかも私が一番知っている。
もっと悩みなさい。そしてもう悩む必要さえないと思えるところまでいきなさい。

すべては必要の上で成り立っている。

あなた自身が今から一つ一つをしっかり受け止めなさい。

そして傷つきなさい。
喜びなさい。
感じなさい。
怨みなさい。
憎しみなさい。

心の底から受け止めなければ変わらないのです。

もう、逃げるのだけはやめなさい。

喜んで傷つきなさい。

必ず、その向こう側があります。
安心して泣きなさい、私がいます。

どんなことをしようとも私がいます。
安心して傷つきなさい。

決して私は、あなたを怨まない。
怨まない私があなたのそばにいるのです、それがすべてです。

正しいものなんて存在しない。
だからこそすべてが正しい。

今、生きていることを受け止めなさい。

私は、今、あなたが生きているそれだけで十分です。
生きてください。

死にたいとどれだけ願っても生きてください。
それが人生です。

そして、ぜひ20年後に私に会ってください。

今回、自分の思い通りに行かないことを初めてしったことは、
今のあなたに重要なことなのです。

あなたは思えばうまくいくことは、すでに知っています。
そして成し遂げる力も持っています。

だからこそ、今、知らなくちゃいけないのです。

そして、さらに包み込める力を手にしなさい。

最後に経験すらする必要さえないことに気付きなさい。

あなたの望む経験はすべてあってもなくても辿り着ける者は
辿り着き、得ることは可能なのです。

苦しみからしか、たどり着くことができないのであれば
他人は見えません。

自分をすごいと思うな、他人をすごいと思うな、
みんなすごくないのです。

そして、みんなすごいのです。

早く来なさい、こっちへ。

私に会える日を待ってます。

あなたが何を選ぼうとも受け入れます。
喜びも悲しみもすべて受け入れます。

待ってます。

20年後の重松昌二郎


今回の手紙は、ある方から「20年後からの手紙を書いてみたら」との一言で書いてみました。

「えっ」って感じで、良くわかりませんでしたが、
言われたことはやってみようと
挑戦しました。

言葉にはできないほどの事がわかりました。

未来の自分になったつもりになって、考えたら、
答えは全部ありました。

自分の中に答えが全部ありました。
驚きました。

それから、未来の僕って何も言わずにただただ待っていてくれていて、ただ優しいんです。
ただただ暖かいんです。
涙が出ました。

ただ一つだけ僕に願うことは生きていてくれることだけなんです。
感動です。

やっぱり、死んじゃダメだ。

僕は未来で待っていてくれている自分のために、
もっと強くなりたいし
逆に何をしても受け入れてくれることも知った。

だからこそ、未来の自分のことを考えてあげたい。
大好きだ。未来の自分が愛おしい。

現在に、エネルギーが満ち溢れるのを感じる。

僕も未来の自分のような気持ちで、人に接したい。

その人の未来の自分のような気持で側にいてあげたい・・・。
愛する人のそばで・・・。

そして、愛する人にエネルギーが満ち溢れますように・・・。

重松昌二郎


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本当に気付きになりました。
これは書いてみてよかったです。

今でも力になってます。

ではでは

「二十年前の自分への手紙」

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さてさて、昔書いたものもUPしようと思いますので
恥ずかしいけどUPします。

これは35歳の2月か3月ぐらい書いた文章です。

まぁ~、昔はこんなこともしてたということで
どうぞよろしく

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どうもです。 
さて今回は二十年前の自分に手紙を書こうと思ってます。

たぶん、ツライ時期だと思うので、少しでも元気になってくれたら良いなと

当時の自分を解ってあげられるのは自分だけだろうから
励ましてやろうと思って

頭が悪く思われるかもしれないけど、
この手紙はたぶん当時の僕に届いてる気がします。


「二十年前の自分への手紙」


まさじろうくん、君は今、15歳か、「15の夜」だね。
まさに尾崎豊命の頃だな。
ということは、歌に目覚めちゃった頃だな、

時期的には、大好きだった中学を卒業し、高校に入学する前か

そうかツラい時だな、

小学、中学、一貫性の学校だった君には初めての別れだな
みんな仲良かったから、卒業式までの数日間、寂しくて
オフコース(小田和正)ばかり聞いてたな

寂しがりやでいつも誰かがいなくちゃいけない君なのに
みんな希望校やそれなりの滑り止めに受かっているのに、
君だけ受験に失敗し、あの高校に行くんだね。

友達、友達といつも言っていた君が、君だけが別の道を歩むんだね

寂しいよな、毎晩不安で荒れてしまうよな…
実際、君が思う以上にあの高校での生活は荒れていて、
君は毎日、自殺ばかりを考えるようになるよ、
これからの十年間は、ただひたすら死を憧れる生活になるよ

死へのあこがれは尾崎豊のせいだけどな

でも、なんとかこうとか、生きていくことできるから、
ツラい日々になるけど、耐えろよ。

俺から見れば、今からの君の苦しみが俺を育てるんだよ、
だから、苦しみを真正面から受け止め、傷ついて、
時には死にたくなっても良いいから、しっかり感じてほしい

そして君を側で支えてくれてる人が必ずいるから、
そこに目を向けて感謝してほしい。

友達、先輩、音楽、多くの人、多くの曲が、君を導いてくれるから
安心してほしい。

毎日「僕が僕であるために」聞いてたよな
~僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない~
毎日、そう言い聞かしてるのに、負け続けて、辛い日々が待ってる

でも、君はいつか、負けることも勝ちなことに気づき
勝ち続けることは容易いことに気づくから
安心して負け続けて良いからな、

そのかわり、ちゃんと、本気で負けろよ


君は持ち前の明るさと、楽しくどんなときも笑顔でいる男の子になるから

人前ではずっとひょうきんで誰も君の辛さには気づかないだろうけど、
いいんだよ、そのまま明るく楽しいふりしてなさい、
笑いが幸福を呼ぶから、


今の俺は、嫌いな人が一人もいないから、
本当に安心して生きてほしい。

人を大好きでいられる人生になるから


ツラいだろうけど、今、笑顔て苦しむことができる俺がいるから、
安心して強く生きてください


20年後の重松昌二郎

お金に愛される方法

遥か昔に書いていた話で恥ずかしいですけど・・・

まぁ~暇な人は読んでくださいな。



「お金に愛される方法」


今日はみんな大好きお金の話、みんな好きで好きで焼け焦がれて
それでも大好きなお金の話。

「みんな、お金は好きか~!!お金に愛されたいか~!!」

今日はみなさんお待ちかねのお金に愛される方法の話です。

あなたは、お金に愛されていますか?
愛されている実感がありますか?


愛される男には理由がある。

その理由を探して行こう。

まずは、愛されることを望むより、
しっかり愛すること。
心を与えることから始めよう。

なんともいえない話だけど、
俺が自分で感じている感触なので、
アレンジは自分でしてお金と上手にお付き合ってほしい。


まず、最初にお金は5円・1円を大切にする。
これが、基本だ!!

もしも、1円玉が落ちていてそれを拾ったとします。
その時、簡単にポケットには入れない!!

「大丈夫か?寂しかったやろ、ヨシヨシ、もう大丈夫だからな。」
って、言って優しく温かく拾ってあげてください。

なんでそんなことすると良いと思います?

それは、5円・1円に優しく、ヨシヨシして、可愛がっていると
お礼には親が来るからです。

親とは誰だと思います?

そう、諭吉さんです。

子供のお礼には小さければ小さいほど親がお礼にきます。

子供を可愛がってもらったり、大切に預かってもらっている親は
何度でもお礼に来ます。

大人同士の関係は需要と供給だから何度もお礼はありませんが、
子供のことに関しては、親は何度でも可愛がってもらうかぎりお礼をします。

ですので、子供の面倒をどんどんみてあげてください。

小銭が落ちた時には、謝って、優しくしてあげて下さいね。

それから、お金を払う時ですが、
お金を払う時は、
「今までありがとう楽しかったよ、寂しくなったらいつでも帰っておいで」って、
気持ちよく送り出してあげてください。

もしくは、「たくさん良い経験をして、大きくなって帰っておいで」って、
大切な子供を、子供を思うが故に旅に出させる親の気持ちで送り出してあげてください。

そうしたら、帰ってきます。(これはいくらのお金であろうと可能です。)


お金持ちの方は、
「これ高くない、しょうがないから買うか」などの
ネガティブな買い方はせず、
気持ちよく、払っている方が多いです。

気持ちよく使ってもらうと、なんだかまた帰りたくなるんだろうね。


気持ちよく送り出そう!!


次にお金を欲しいと言わない!!
これも、かなり重要!!
これは、メモっとけ!!

今、あなたが「はぁ~、お金がない、お金欲しいよ~」って言ったとします、
これは、かなりNGです。

なぜなら、今あなたはお金を持ってますよね、
財布を見てください。

少ないか多いか知りませんが、お金を持ってますよね

お金って、やきもち妬きのかわいい女なの子なのです。

ということは、彼女の目の前で、
「僕、彼女いません、募集中です。」とか
「あの子、めっちゃ可愛いい。ほしか~」って、
言ってるのと同じなのです。

そんなことしたら、もちろんあなたの側から居なくなっちゃうのです。

そんな、もっと、お金欲しいとか
持ってないとか言ってる人が多いから
お金はフリーになって、
そのことを知ってる優しい男の所に集まっちゃうのです。


そんなことを言ってる俺だが、
実は、お金をあまり持ってない時もタイミングとしてはあるわけよ

でも、それは、たまたま出かけてるだけ、
ない方が良い時だから、
わざわざ出かけてくれてる素敵な女性だと感謝してるよ。


それから、コンビニなどで募金をあげるとき、
「あっ、1円あまっちゃった。」などで、募金するのではなく、
「世界のために行っておいで!!」って、行かせてあげると、
「あいつの所にいくと、ステキなお金の使い方してくれるらしいよ」って
友達連れて帰ってきてくれたり、
良い噂流してくれたりして、お金の間で評判になるよ。

だいたいわかったかな?

そういう気持ちのある人間とない人間では
普段からの物事への接し方が違うので、
お金のことだけじゃなく、なんにでも愛で取り組もう!!

一時的にモテるんじゃなく、永遠に愛されるように。

重松昌二郎SHIGEMAGAZINE

悟空の日

今日は悟空の日

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実は、ドラゴンボールの悟空のカッコをして
5月1日(初日)~5月5日まで上海EXPO行ってきました。
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富士夢の大志と元気玉のあっちゃんと3人で超~カメハメ波な日々でした。

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悟空すごいです!!


悟空のカッコをしているだけで
世界中の人々が僕らに話をかけてきて
世界中の人々のカメラに収められて
世界中に回るんだと思うとドキドキする(^-^)


たぶん、確実に100枚以上写真撮られたと思う。
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しまいには、サインを貰いに並ぶ人まで出てくる始末

初めてあんなにサイン書きました。
(てか、俺のサインをいったいどうするんだろう????)

そんな感じで、悟空すげぇ~です。

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悟空って何だと思う?

空を悟ること

空とは仏教語で悟りの境地

空を悟るのがゴクウ(59)


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59の後はどうなる?

もし、1時59分の後は2時

空を悟ると次元が上昇し
2時に変わる
2時代で空を悟る59と
3時代

分もそうだし、秒もそう
59秒になるたびに上昇する

細かい60の悟りを繰り返しながら
大きな悟りが一つ上昇する

悟りって、複数の次元の違う悟りが絡み合いできている
なんかすごくない?


まぁ~ということで、悟りには終わりはなく

次元上昇していく。
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ということで、今日は次元上昇の日

みんな次元を上昇させよう!!



重松昌二郎





36歳最後の日

毎年、誕生日前には何か思いつくことを書いているので
せっかくなので、今日も書こうと思ってます。

僕にとって36歳ってどんな年だったかな・・・

人生の再スタートきって走り出そうと決めて
1年間バタバタ生きた気がするな~

正直、何もかも失い
守るべきものも、あるのかないのかわからない
そんな日々

その中で、僕の傍でたくさんの元気をくれた人々
そんなみんなのおかげで元気を取り戻し、

ひとつひとつ育んで

今では、身の回りに溢れるすべての者が僕の宝物だ。

一度、自分にとって一番大切なものを失ったことは
本当に良かった。

失って、多くの大切なものに気づけた。

本当にありがたい。

こんな自分でも愛されている。

何もかもなくしたことで愛されていることに気づけた。

社長だから愛されるわけでもなく、
すごいから愛されるわけでもなく
人は自分のままでいるだけで
そのままで愛されることに気づけた。

今では、自然に自分らしく生きれているような気がする。

何も失うものはない

だからこそ、すべてを愛している。

遍く照らす光なんて存在しないかもしれない。
逆に言えば闇さえもありがたい。

だからこそ、あえて遍く照らす存在を目指して生きてみたいと思う。

自分のためから、人のためにかわり、
そして、それがいつのまにか自分のためになることに気づき
ただただ自然に生きればよいことに気づき

でも、何かもっとできることを探し求め

最後に残っていたのは使命感

その使命感さえもいつしか淡い光に包まれて

ただただ、みんなを愛している。

すべてが繋がっている。

生まれて良かった。

みんなありがとう。

2010年5月8日 重松昌二郎

スピリチュアル ドクター

最近、わたくしの親父のことを、
青木の勇ちゃんに皆様に紹介していただき、
ひそかに、ちまたで話題になっていますので、
恥ずかしながら、親父のことを書きたいと思います。

スピリチュアル・ドクター

自分の親父のことを書くのは照れくさいものですけど、
今回、せっかく表舞台に立たせていただいたので、
誰よりも身近で見てきた、僕から
どのような人間なのかを皆様にお伝えしたいと思います。

父、重松俊朗は、祖父の影響により
泌尿器科に入局。

専門は泌尿器科としてDrになるんですけど、
祖父、重松俊(シュン)は日本で三本の指に入るという
名誉教授で泌尿器科医には知らない人がいないような存在でした。

あまりにワンマンで、さらに傲慢、尊敬している方もおられるけど
敵の数も多いというような祖父でした。

ちなみに、僕はものすごく嫌いでした。。。

そんな祖父がいるあいだは良かったものの
祖父がいなくなってからは、
今までの恨みをはらすべく、
父がその矢面に立ちます。

大学では自分が研究した論文もすべて奪い取られ、
理不尽きわまりない仕打ちを受けたそうです。

今思えば、父も仕打ちを受けてもしょうがない生き様だったんでしょう。

結果、大学を追い出されるかのように退局します。

当時、大学の権威はものすごいもので、
その後、働きたくても次に決まった就職先の病院に次から次に
手を伸ばされ、圧力がかけられ父は働くことさへままなくなります。

当時、嫁、子供3人それからお袋の妹とその息子2人も親父のところに
身を寄せていたため、8人を食べさせなくてはいけないのに
一文無しになってしまい、本来自分が専門としていた科以外の仕事を始めます。

その科というのが精神科だったそうです。

さすがに、精神科は、まったく関係なかったらしく、
大学の権威もかいくぐれたそうです。

ただし、精神科医として生きていくことは、
救急病院にも勤務し数多くの手術をこなし、
もともと、大学院には外科系入学で外科系の医学博士も取得し
外科医としても活躍し、今でも記録を持つくらいの手術をこなした父には、

なんといっても教授の息子として育った父にとっては
とにかくプライドをズタズタにされる大変辛いことだったようです。

ただ、生きていくためにはしょうがない選択だったそうです。

かれこれ30年以上前の話なので精神科も今ほど注目を集めていないし
本当に大変だったそうです。


精神科の副院長として精神科で活躍したそうです。

結果
精神科に3年間勤務
老人病院5年間勤務
アルコール中毒専門病院に、1年勤務
内科勤務20年

今でも外科病院にて週一日勤務し外傷及び外科的疾患を扱っています。

メインは内科勤務ですけど、外科及び精神科すべてを網羅しています。

今になっては精神科でしっかり勉強したことは
かなりやくにたっているそうです。

たとえば、お腹が痛いと言って病院に来ても、
これは精神的なところからきているなど
見たらわかるそうです。

そんな患者に、いわいる普通に内科の薬を出しても
身体を悪くするだけで、治らないそうです。

そういう意味では本当に精神科まで見れることが
今では自分の中の強みになっているそうです。

ということで、現在オールマイティーにほとんどの科の
傷病に関して多くの知識を持ち
内科に来られた患者さんにも、
精神科的アプローチやいろんな角度からのアプローチを行うことができます。

さらに、医局を辞めた時から
東洋医学にはまり、鍼灸の勉強を始める。
かなり多くの論文を発表し、父が見つけたツボがたくさんあります。

とにかく、鍼灸に関しては父ほど研究した人はいないと思えるくらいに研究をしています。

それは、Drだったため、
それも今より30年以上前は
Drは何をしても許される時代だったため
本当に刺しまくったらしいです。

それも、刺した後に血液検査をして
すべてのデーターを取り、実際に患部を切り開き
目で確かめたそうです。

そのような経験を持つ先生を私は他に知らないので
本当に鍼灸に関しては生き字引のような知識を持ってます。


それから、その流れで、誰も漢方を初めていないころから
漢方も始めているため、漢方の知識も豊富です。

その後もカイロプラクティックの勉強をし
催眠術など、とにかく、ありとあらゆる治療法を研究し

祖父のようなDrにはなれなかったけど、
治療に関してだけは全身全霊を込めて今でも向き合ってます。

まぁ~、そんな感じです。
そのうち親父のスピリチュアルなこと書きます。

とにかく、患者さんを治したい、それだけの人生です。
親父は壮絶ですよ!!
お楽しみに(*^_^*)

「Romantic Love ⑫」

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「Romantic Love」⑫




さて、彼女と上手くいっている話をしたけど

上手くはいっているけど、

三浪目に突入してしまいました。



さすがに、三浪目はもう、

全寮制は嫌だったので、

全寮制じゃない、どちらかというと

“ゆるい”感じの予備校に入った。

(今思えば、こうやって親のお金で勉強ができる環境があったこと自体がすごい

親には本当に感謝だ、結果まだ医者になってはいないので、なんともかんともだけど・・)



彼女とは上手くいっているものの、

3浪目というのは実に人格が卑屈になってしまう。



僕はダメ人間の代表みたいな気分になる。



それこそ、よっぽど働きたい気持ちになる、

何をしても、「お前は感謝しろ」

「めぐまれている」「勉強だけすればいい」

「医者にならないでどうやって生きていく」

「重松家は代々医者の家系だ、誇りをもて」

様々な言葉が飛び交う中で、

自分の人格などは存在せず、

なぜ生きているのか分からなくなる。



そんな中で、そんな最低な医者の卵にもなっていない、

まるで精子のような男の彼女でいることは、

実に彼女も不安だったことだと思う。



でも、それが伝わるし、感じられるから、

彼女だけが僕の生きがいだった。



本当に好きだった。



彼女の存在が僕のすべてだった。



でも、どうしようもない男で、

本当につらい思いをさせただろうと思う。



そんな感じで、特別派手に遊ぶ訳でもなく、

ただただ傷をなめ合うように、



僕らはその後、時間を重ねた。



決して派手な幸せはなかったけど、

お互いがお互いを大切に思えていたことは

お互いが確信できていたから、

本当に幸福だった。



そんな中、僕は今の自分の現状に我慢ができず、

もう逃げ出したくてしょうがなくなり

もやもやとし始めていた。



そんな中、同級生の東京組が春や夏、

そして冬に帰って来る度に、

「シゲマ東京においで

シゲマは東京に行って派手にやった方が良いよ、

九州じゃもったいない、

早く、東京においで、

東京に来たら俺たちがサポートするから、

シゲマ、東京においで東京においでよ」

とたぶんリップサービスなんだろうけど

言ってくれた。



僕にとっては、

どうしてもこの浪人から逃げ出したくてしょうがない訳だし、

とにかく本心では逃げ出したいんです。



そこで、僕はもともと音楽で食べるつもりなのを、

両親にむりやり受験させられているわけだし、

僕は本当の自分に戻って、

音楽をしようと、いつの間にか

自分でもそれが当り前の姿だと思いこみ始めていた。



そんな時期と、受験シーズンに入るかというタイミングで神戸の大震災が起こった。



僕の友人が逸早く神戸に向かって

ボランティアを始めた。



そいつが、僕に、

「大変なことになっている、早く神戸に来い」

というじゃないですか



正直、僕は僕を必要としてくれる人の元に行きたかったため、

受験も彼女もほったらさして、

神戸に行ってボランティアを始めた。



なぜ、あんなに大切な彼女をおいていくのだろう?



でも、早く一人でも生きれるような大人になることが

彼女と暮らすこともできるような男になることのような気がして、

早く大人になりたかった。



おいては行ったが、もちろん、

連絡が取れる限り彼女へは連絡を取り続けた。



でも、神戸では連絡手段も無いくらいに荒れ果てていた。



毎日が生きていくので精一杯だ。

風呂もなく、毎日瓦礫の中におばあちゃんやおじいちゃんの代わりに入っていき、生きるということを改めて学んだ。



そして、そんな中、神戸でギター1本で明日への希望を歌い続けている方に出会い、

その周りに集う人々を見て、歌の凄さ、音楽の素晴らしさに感銘を受けた。



やっぱり、音楽は良い!!



音楽の力を再確認した。



僕は神戸から帰るなり、

そのまま東京に僕は飛び出した。



彼女には「東京に俺は行く、待っててくれ!!」の一言だ。

(今思えば、これも実に最低だ)



彼女が、許してくれたか、理解していてくれたかというと、

まったく理解もされておらず、

それどころか彼女は音楽で食べていくなんて

そんな夢は大反対でまったく許す気なし。



僕が勝手に飛び出しただけです。



彼女が望んだ訳でも、理解した訳でもないけど

ということで、僕たちの遠距離恋愛が始まります。



だって、かといって別れる気はないからね。



だって、大好きだから。



何があっても僕らは別れたりしないと信じていたからね。

(でも、今思えば勝手気ままな、なんともわがまましかしてないと思います。)



さて、遠距離恋愛編に突入するが、今回はここまで。



つづく



重松昌二郎




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「Romantic Love⑪」

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「Romantic Love」⑪

誕生日を終えた彼女の何日くらい後の日か憶えてはいないけど
少し経った日のことです。

僕と彼女はうどんを食べていたんですけど、
彼女は何か辛い事があったのか、
僕がいつものようにしていたら、
あなたに支えてもらって私は助かっていると僕に伝えてくれた。

僕はそんなことを言われたことがなく、
今でもがんばっているものの
僕は愛されているわけじゃなく、
僕が好きなだけで彼女はそこまで好きじゃなく
僕が、どこかで楽しませるのや喜ばせることをやめたら、
その時点でこの恋愛は終わり、
とにかくそこまで愛されていないと思っていた。

でも、この日の言葉は嬉しくて、
僕が今までやってきたことが、
ちゃんと伝わっていて
愛されていることを感じた、
愛してよかったと初めて思えた。

今までの人を愛し続けて、
努力しながら生きてきた自分が報われた。

そう、思ったら涙がこぼれた。

うどん屋で彼女の前で泣いた。

嬉しかった。(この頃はまだ涙もろくなかったんだけどね。)

この時、2人は本物の恋愛に変わった気がした。

それから、月日は流れ、
僕の受験の日がやってきた、
もちろん不合格、2浪目決定だ。

正直、彼女に申し訳ない。

でも、今考えれば落ちて当たり前くらいの勉強しかしていなかったのは事実だ。

彼女と遊んでばかりで、
勉強をしない僕に業を煮やした両親は、
僕を医学専門の全寮制の超厳しい予備校にぶち込んだ。

これで、勉強をしてくれるはずという両親の期待、
もちろん僕も答えたい気持ちでいっぱいだ。

全寮制の予備校に入り、
毎日、朝は8時から夜は10時位まで
とにかく毎日毎日、勉強だ。

思うように、連絡が取れなくなった僕らは、
毎日毎日、手紙を書くようになった。

2人とも本当によく手紙を書いた。

毎日だ、月曜日や火曜日に日曜日の分も届いて
2通届いた、本当に一年間、毎日届いた。

寮生の彼女がいる奴はみんな手紙が届いていたが、
みんなは週に1~2通だ!!

俺だけ毎日で、みんな羨ましがっていた、
僕も誇らしかった。

寮には入っていたが、
毎週、土曜日の夜から日曜の夕方までは
自宅に帰ることも許されていたので、
毎週、自宅に帰省し、
彼女と週末だけだが会うこともできた。

もちろん、日曜日は座禅で彼女は朝早く、
もしくは夜中からやってきた。

でも、僕は寮生活の疲れもあり、
座禅には途中から行かなくなった。

それでも、彼女は僕に会うために、
僕のお袋と2人で座禅に行き続けた。
(今、考えればありえない、
僕が行ってなくてお袋と2人で行き続けてくれたこと、
本当に感謝だ。
てか、僕は最低だね。
こういうところが僕のダメなところだと
改めて思うよ。)

それから、僕は浪人生だったんだけど、
彼女は短大生でバイトをしていた。

その、バイト先が整骨院で、
その時の彼女のオーナーが、
僕に整骨院のいろはを教えてくれる、大先生になる。

この時はそんなこと思いもしないで、
どちらかというとこの先生にも正直
理由はないけどやきもちを妬いていた。

彼女の側にいるすべての男性にやきもちだ。

時間の流れとは、
人生とは、
縁とは本当に不思議なものだ。

そんな先生が今ではもっとも尊敬する先生の一人だ。

そうそう、彼女はバイトをしていたので
僕よりお金を持っていた。

そしたら、彼女はどうしても旅行がしたかったらしく、
僕は彼女に旅費を出してもらい
沖縄に連れて行ってもらうことになった。

僕の人生で両親以外の人に
こんなに親切にされたのは初めてだった。

もちろん、沖縄も楽しかったが、
何よりもこういう気持ちが嬉しかった。

自分が大切にされていることを確信できた。

でも、男として素直にその当時は
喜ぶことができず、どちらかというと
プライドを壊されたような気持だった。

だから、本当に喜べず、
「ありがとう」も伝えたかどうかわからない。
本当に子供だった。

でも、心からいつか幸福にしてあげたいと願った。

浪人生の自分が恨めしかった。

そして、時が過ぎまたもや受験の季節。

僕は見事に桜散り、不合格。

三浪目を余儀なくされた。

今回はここまでにしよう。

重松昌二郎

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