悪性リンパ腫を患って -5ページ目

迷惑オヤジ

午前中、嫁が来て頭を刈ってくれた
久しぶりの坊主はとても気持がよく、爽快な気分だった

今日も午後から多くの人が来てくれた
ガン回復した人の中には、笑うことで良化した人もいるという

みんなが来てくれて馬鹿な話とかしてると自然と笑顔がこぼれる

話したりすることで元気な自分も戻ってくる
ありがたいことだ

みんなが来てくれて、ホント楽しくて良い一日だったな~って感じだったけど、
そのあとに気分的に嫌なことがあったり、ま、そんなもんかなと仕方ない部分もあったりなこともあった

それに加え、ただでさえテレビ見るときはイヤホンなのに消灯時間過ぎて一時間にもなるのに

イヤホンつけずに音量大でテレビつけてる同室の迷惑オヤジ

ナースステーションまで行き、迷惑にもほどがある、注意してくれと、お願いし、

看護士が注意し、それで事が済んだと思えば、約30分後、またもや、音量出したままTV鑑賞、

ナースコールで呼び出すと、部屋に入るなり、そのオヤジにキツく言う看護士

ホント、このオヤジは携帯は着音で音がでかいわ、更に室内で大声で話すわ、

健常者なのに近い車椅子用のトイレ使用して、クソ床に撒いたまま出ていくわで…
クソの件は、直接文句言ったけど、堪ったもんでない
糖尿らしいが、夜中はプリンとかジュルジュル食うわ、
外出許可させんのが悪いんじゃと、長時間無断外出で看護士らを困らせるわで、どうしようもない

同じ病室になったのを不幸と思うしかないが、あともう少しの我慢だ

転院日決定

告知されて一日目
告知の日記では、みんなからのメッセージをみる度、

涙が止まらず、どっかで一人思う存分、声を出して泣きたかった

腫れた目で朝を迎える
今日は検査もなにもなく、ただ転院の話を待つ一日だった

2/19 月曜の朝、県中央病院に転院らしい

昼過ぎに、仕事の合間に、のりちゃんが、ゆっきーと二人で調べてくれた、
悪性リンパ腫 ステージ4の人の人が記した、

データと体験記満載の闘病日記をプリントアウトしてくれて、持ってきてくれたので、それを読んだ

思った以上にボリュームがあり、ホント、テニスの裏方だけでなく

、こんなにもしてくれて、いい友達を持ち、二人の出会いに感謝したいと思った

あとで聞いた話だけど、みんなそれぞれに、

悪性リンパ腫のことをネットで見てくれたりと、ホント気にかけてくれて、幸せなヤローだなって思った

その資料を見て、やはり一度、抗がん剤治療が始まると、

この癌の場合、最低でも半年は入院しないといけない

土日天気が悪そうなので、みんなのテニスをしてる姿をみるのは、

今日がラストチャンス、昨日の告知で、主治医、看護士みんなが、

今の体、体力では外出は無理と言われてた

それでも、もう外出も出来ないかもなので、

体と相談してしんどかったらすぐ帰りますと嘆願し、なんとか許可を得た

アッキーも仕事の合間に来てくれ、僕が行くことを知ると、EN-joyに顔を出してくれるという

怪我をしている ぶっちーも来てくれると言うし、

のりちゃんも、そのことを知り、EN-joyに参加してくれるという

みんな人情味溢れる人たちだよ

コートに行く前に会社により、すっかり様変わりした自分に、

病名を聞いてくるもの、退院する?とか色々質問攻めを受け、思わぬ足止めを食らった

しばらく留守にすることで、自分使用のパソから、

テニスや個人的なデータを吸いあげ、削除しなんとか完了と思ったら、ゴミ箱消去するの忘れた(汗

遅れてコートに着いた
球出ししようと思ってたけど、みんなうまくなり、

今出来るのは単発の球出しだけど、それじゃ物足りないだろうなと思って、みんなの動きをみていた
初参加の人達はいい動きしていたし、

なんか、自分がやってたころと変わってないな~と、存続に頑張ってくれてる、みんなに感謝だった

それから病院に帰り、叔母に転院日を連絡、木曜日にバアさんと日帰りで来るらしい

昔の人だから、チップとか医師に持ってこないか心配だ

(ジイさん入院の時も渡してたの知ってるし、某大学の医師もそれ受け取ってたりして、

告発したろうかと思ったくらいだ)

叔母からは、ポータブルDVDでもブレゼントしようかといわれた

小さい頃に両親と離れ、姉貴みたいな存在で、今の年になっても、本当によくしてもらって、悪い気が…

それに、今の入院生活ならあったら良かったけど、

抗がん剤治療したら、日々苦しみとの戦いで必要性あるのかなとも思ったり、

今の状況ではなんとも言えない

ってか、こちらのカルテ、検査結果等で、むこうもお手上げとか言われたら悲しいな…
受け入れてもらえるといいけど

あと怖いのは、今までした痛い検査を、またする羽目になったら嫌だな~
転院でも不安がつきまとう
疲れからか、うとうとしてたけど、

叔母からは抗がん剤に備え、食欲なくても、

今のうちに栄養のあるものを摂取し、

睡眠をよくとって体力を温存することと言われたので、

睡眠薬に甘え、ぐっすり寝ることに

でも、食欲はな~
脾臓がかなり腫れ上がり胃が圧迫され、食欲は日増しに落ちてるんだけどな~
さぁ、この状態でどう栄養やスタミナを取るべきか、

今年に入って肉とか、食いたいとも思わないし、最初に微々たるものしか食ってないからな~

今55キロに落ちてる体重が、どこまで落ちるんだろうか、

なんとか、転院前の少ない期間でもどうにかしないとな

病名確定

向かいに入院している、453号室一番の古株のジイさんが個室に移った

僕が入院したてのころは、それなりに元気だったけど、

なんか日増しに悪くなって、ここ最近では、寝たきりに近い状態だった

ジイさんが転倒したりした時は、抱えあげて起こしたりとかして、

毎日見舞いに来ていた娘さんとか、会釈を交したりしていた

大丈夫かな?と心配しつつ、お大事にとしか言えなかった

これで、この部屋一番の古株になっちまった(汗

明智光秀の3日天下ではないけども、自分も近いうちにここを出ることに…

夕方、急遽、嫁を呼び出すように言われたが、
既に嫁には婦長から、話があるので来てくださいと、連絡があったみたいだ

こんなに早く検査の結果でも出たのか?
それにしても、今までと違う呼ばれ方だ
ま、ええ事ないんだろうなと、ナースステーション奥の個室に呼ばれる

中間結果が上がってきて、検出して培養した細胞の中に、癌組織が見付かったらしい

予め言われていた病気

「悪性リンパ腫」

その病名が今度はハッキリと告げられた

血液の癌、
そして、沈静化することはあっても再発する、治ることのない病気

そして、ステージは結構進行しているとのこと

抗がん剤が適面に効くもの、逆に効きづらいもの、色んなタイプがあるらしいが、色んなタイプの中の厄介な部類の可能性が高いとも
そして、主治医から両親の出身地を聞かれた
父は徳島
母は鹿児島
と答えると、南九州の人でしたか…
と、納得した様子

風土病のなんたらかんたらで、その地方の血が混じってる場合、

悪性リンパ腫は厄介な部類になりがちだとか…

市民病院では、血液科に関しては、自分の症状では手に負えないらしい

そこで、松山の血液癌の実績順に、
・中央病院
・日赤
・ガンセンター

を転院先に進められた
癌センターは、最近できて綺麗だから、魅力たっぷりだが、こと血液癌に関しては最近力を入れ始めたとのこと

実績、そして家からの距離のことも考え、県立中央病院に転院することに決めた

抗がん剤との格闘含めまずは、最低半年の入院は必要とのこと

ま、頑張るしかないさ

色々と質問をしたがその中でも、先程の両親の出身地を聞かれたのが気になり、

息子への遺伝の影響を心配した。

悪性リンパ腫自体は遺伝することはないとの言葉を聞き、本当に安心した

告知のあと、会社の上司が見舞いに来てくれた

病名を言ったあと、
持っている有休内で沈静化しない可能性が高く、

その場合、休職届けを出したら、会社名義で借りているマンションは出ていかなければならないのかとか、

そんな質問をした後、

長く休むことになっても、仕事やそういったことは、

こちらで最良の方法で、なんとかするから、気にするなと言われたけども、

言葉を出そうとすると、涙が徐々に溢れ出すも、声を絞りだし
「ホンマ、色々迷惑かけてすんません……自分がとても、はがゆいです」
としか、言えなかった

ホント、病気のことよりも、仕事以外にも色んな人に迷惑をかける自分が情けないし、歯痒かった

そう考えると涙が止まらなかった

自分の中では、肝が座っているけど、いつの間に、こんなに泣き虫になったんだろうな

辛い気持ち以上に、悔しい気持ちで一杯だ

去年の今頃、骨髄バンクに登録し、一年たった今、逆に血液の病気になるなんて、なんか皮肉だな~
自分の骨髄液が、使えなくなったのもショックだ

これからの試練を覚悟し、頑張っていくしかない

いつも、『なんとかなる』精神で、諦めずにあがいてきた人生。
今度もあがいてやろう