1987 ミルウォーキー・ブルゥワース VS パッキー [一塁編] | 助っ人先生のブログ

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クジラファンとしてのひさしぶりの特集。お友達から「パチョレック(末弟)にはメジャーで活躍するチャンスはなかったのか」という質問を頂戴しました。せっかくなので出場ポジション別に87年のミルウォーキーを紐解いていきます。1988~89がホームグラウンドの私にとって1986や1987は勝手知ったるなんとやら。ご期待に沿える様、頑張ります。

 

First Basemen

グレッグ・ブロック [138/141先発 1225.1回]

 

一塁のレギュラーは若かりし頃「スティーヴ・ガーヴィの後継者」候補だったブロック一塁手。ミルウォーキーに来る前はLADに在籍。粗いが長打を期待できるバットとソツのない守備をウリにしていました。1986に続きとんでもないラビット年だった移籍一年目の1987は期待された本塁打よりも打率の伸びが目立ち、出塁率ではミルウォーキーの規定到達選手中3位に付けました。競争相手としては1.5ランクくらいは上の選手かと思います。

 

ジェームス・パチョレック [9/21先発 100回]

 

この年の6月で27歳になる新人パチョレックは一塁手としての試合出場、先発、フル出場、守備回で2位に付けており、二番手一塁手の座は確保していたことが覗えます。ここに記すまでもなく一塁の先発は「何はなくともまず打撃」。打率が.310でピークにあった5月29日時点で1本塁打3打点ではブロックを脅かすには足りず、出場機会がもっとも多かった6月に打撃成績が落ち着いてしまったのが残念でした。当時の有力球団オークランド、トロント、NYY、デトロイトとの対戦が多かったことも打撃成績の伸び悩みに繋がった可能性があるかも。

 

ロブ・ディーア [6/12先発 60.2回]

 

二番手一塁手としては意外なライバルが後年阪神にも在籍したディーア。アメフト選手のように鍛え上げた筋肉質なずんぐり体型と見かけによらぬ運動量が侮れない当時売り出し中の中堅選手です。チームの看板コンビ、モリターとヨーントがフィネスタイプだったので、超大型扇風機のディーアと組むトリオは理に適っていました。彼の一塁守備ってどうなんでしょう。御存知の方、ぜひコメントをお願いします。

 

ビリー・ジョー・ロビドー [7/10先発 55回]

 

一方、実質的な二番手一塁手としてのパッキーのライバルはむしろロビドー。一発もある選球眼のいい広角打者だったものの度重なる怪我でポテンシャルを摩耗させました。とはいえそれでもIIIAでは突出した実力者であり、毎年わずかずつでもトップチームでプレーしているあたりは侮れません。「怪我さえなければ」と惜しまれるマイナーリーグレジェンドのひとりです。

 

ビル・シュローダー [2/4先発 21回]

 

ラストは87年打撃絶好調だった二番手捕手のシュローダー。捕手陣トップのパンチ力が自慢なものの確実性に不安あり。守備面でもやや弱肩なのかサーホフやチャーリー・オブライエンとの競争に苦戦しました。86年には三番手一塁手として153回を完了しています。

 

 

いかがでしたか。こうしてみるとポジション一つとっても激しい正位置争いが繰り広げられたことがわかります。88年には怪我と打撃不振によるブロックの長期離脱があったので、もし横浜に来ずメジャーに昇格できていたらとIFを考えてしまいます。しかし中堅クラスの年齢にさしかかり長打力でライバルに差を付けられないシュプレーヒッターということを考えると、日本行は本当にアタリだったのでしょうね。