89Dにおける移籍の扱い | 助っ人先生のブログ

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フィリーズ・野手編がちょっとだれているので、今回は番外編を。

 

記事のタイトルには字数制限があるので、詳しく説明させてください。まず基本的なことから:

 

① 89年発行のベースセットには前年終了時の成績と写真が使われる

 

② 88ストーヴリーグの人事異動がトレカに反映されるかは翌春キャンプに依存

 

③ 89シーズン中の異動は89サブセットに反映されない場合もある

 

①について補足すると、89ベースセットのほとんどは88春季キャンプ中の写真に基いています。アメリカは広く26球団を渡り歩いて写真を撮るのは厳しいため、従軍写真家はアリゾナとフロリダで春先に撮り貯める。当時のブロマイドに写る施設が公式球場に比して貧弱に見えることが多かったり、選手とスタンドが変に近かったりするのはそのせい。

 

また88シーズン中に途中移籍した場合はほとんどの会社が移籍後の所属球団の写真を採用しています。ただしスコア社はこのルールを必ずしも守らない稀有な会社で、彼らのカードがシーズンスタート後・移籍前の最後の姿を捉えている場合があり資料的には貴重なことも。それから同じ年のカード会社でも89ボウマン(「ボウマンとは名ばかりで実は名義と権利を買収したトップス」)は後発発行の関係でベースセットに88ストーヴリーグ後(つまり移籍後)の写真が使われています。

 

パドレス一軍戦未出場のはずだが・・・

 

例としてはこのブラムリー(元マリナーズコーチ等)の左写真。彼はパドレス在籍時テンプルトンとディッキー・ソンのベテランコンボに阻まれシーズン全てを二軍で過ごしました。おそらくこの写真は88春季キャンプ参加時。結局このユニとキャップで公式戦に登場することはありませんでした。89年は移籍先のデトロイトでトラメルが怪我がちだったこともありまとまった出場機会を得ましたがとにかく一軍で打てなかった。

 

②もわかりにくいですが、つまり88晩秋や冬に人事異動があっても89春季キャンプ前に再度同人物に人事異動があった場合、超短期在籍球団所属時の写真を使ったカードが発行されない。これは大昔だからです。リアルタイムにストーヴリーグを追いかけてカードを作っていれば、少なくともスーツを着て新ユニを羽織り作り笑顔を見せているカードくらい作れるはずですから。

 

88Sスタート時まだセントルイスにいたはずのハーだが・・・

 

あまり正確な例ではないですが、88年のハーは序盤カージナルスに引き続き在籍、序盤でブルナンスキーとトレードされているため、本来セントルイスのユニを着た中間期のカードも前年に発行されるべき。しかしトレードのタイミングが早かったこともあり、88開幕直前版(Donruss Baseball's Best)さえもフライングでハーとブルナンスキー二人のトレード後の写真を収録。当然ながら89レギュラーセットにも二人のシーズン当初の姿は収められませんでした。

 

③に関してですが、別売り品にも印刷のための締切がありシーズン終盤戦のトレードはカバーできないことが。序盤から中盤くらいまでなら何とかなったようです。例えば:

 

怪腕エースのラングストンらとの大型トレードによりシアトルへ

89D「期待の新人」版

 

こちらのジョンスン、忘れられがちながら89年5月25日まではモントリオール所属。89ドンラスでも上載の89Baseball's Bestではマリナーズユニだが、同じく後発発行の「ザ・ルーキーズ」ではまだモントリオールのユニを着ている。一方7月31日にメッツへ移籍したフランク・ヴァイオーラの89D-BBはツインズユニのままなため、異動が夏場近くだとプレスに間に合わないと想像される。

 

ハー同様ツインズに馴染めなかったバックマン

オンティベロス投手もPhillies時代は怪我に泣いた

※元西武・スティーブOとは同姓同名の別人

 

今回89ドンラスと移籍の扱いを題材にしたのは、最近sbbさんからTradedのサイン入りをちょこちょこと譲って頂いているから。下載のニーデンフュアーはその内の一枚。シアトルでの一年は25登板6.69ERAという目玉が飛び出そうな成績でありアクションショットが珍しい。しかも飽きが来るほどサイドビューだらけのドンラスには珍しく正面(やや斜め)からの構図。いい試みだと思う。アプローチがちょっとレギュラーセットのラングストンと似ている?

 

ラングストンとニーデンフュア―