ローレルバレイカントリークラブ
2014年10月7日(火)
ローレルバレイカントリークラブが開場したのは1976年(昭和51年)。27ホールでスタートした。
しかし、東日本大震災でコースの一部が崩落した。このため、現在は18ホールパー72で営業している。かつて東コースと言われていたのが「アウト」、中コースが「イン」コースに名前を変えた。かつての西コースは今はない。
那須連邦を背に郡山、須賀川の市街地を見下ろすことができる。雄大が景観が広がり、見晴らしがいい。
ティーグラウンドに立つと、コースが自然の形状を最大限、取り入れていることがよく分かる。
そのためか、強烈な打ちおろしがある。アウトの3番のショートは谷底に向かってショットするイメージだ。距離表示にどれだけ打ち下ろしを見るかによって、クラブの選択が変わる。それもゴルフ場制覇の戦略なのだろう。
インの11番のミドルホールは打ち下ろしがうれしい。ティーショットでセンターをキープすれば打球はグリーン手前まで走ってくれる。バーディが取りやすいホールだ。
全体にアップダウンは多い。バレイというゴルフ場の名が谷のイメージが想定してつけられたように思えてしまう。
この日は台風が去った翌日、土砂降りの雨に見舞われたせいか、フェアウエーにはやや水が浮く場所があったが、そんなに気になるほどではない。コース整備の作業員の姿がある。このところ人件費削減のため、殺風景に見えるゴルフ場が気になっていただけに、ここは活気が感じられた。ただ、一部のティーグラウンドは人工芝だった。整備に都合だろうが、ゴルフ場に人工芝は似合わない。ティーグラウンドの雰囲気でゴルフ場のイメージが変わることさえある。
名人はこのところ滑り出しが良ければよいほど、その後の崩れ方が激しいというパターンを繰り返している。この日はパーでスタートした。3ホールでパーが2つ、ジンクスを破れるかと思いきや、いつしか元に戻っていた。
スタートの「期待」、途中の「絶望」、そしてホールアウトしての「後悔」。ゴルフの3つの「楽しみ」を存分に味わった。
巨匠は抜群のティショットの冴えを見せた。フェアウエーをとらえるドライバーの球筋が台風一過の青空に浮かび上がる。しかし、その後が苦戦した。思わぬところでOBに捕まり、万事窮す。ドライバーの好調さと裏腹な結果になった。
巨匠はミスショットをする自分が信じられないようでもあった。しかし、好調な時はひどいショットをした自分が信じられない。ゴルフとはなんと不思議なスポーツだ。
粋人は出だしがトラブルという悪い癖が治らない。しかし、この日は踏ん張った。ショートとミドルでバーディを決めた。ただスコアの乱高下は一向に治らない。、こんな格言がある。「バーディが決まった瞬間、シーザーの気分が味わえる。ところが次のホールでは8のダブルパー、今度は溺れる犬の気持ちにさいなまれる。」そんな気分を十分に味わった。
そんな一日ではあるが、ゴルフには爽快な散歩と知的興奮がある。人類が発明した究極のゲームであることは誰もが認めるに違いない。
ところで、ローレルバレイカントリークラブは伊藤忠グループが母体となって開業した。
その後1991年(平成3年)に敷地内に44室のホテルがオープンした。
しかし、バブルの崩壊による利用者の激減、客単価の下落で業績が大幅に落ち込んだ。
当時、ゴルフ場の経営にあたっていたローレル開発は経営再建に取り組んだが、2001年、預託金償還訴訟で敗訴したことやゴルフ場競売の申し立てが提起される事態に陥った。
このため、2006年(平成18年)、ローレル開発が民事再生を東京地裁に申請。スポンサーの支援を受けて再建の道を模索。裁判所が下したゴルフ場の評価額は当時1億7900万円だったという。
結局2007年(平成19年)PGMグループがローレルバレイカントリークラブを買収、PGM(株)が運営することで現在に至っている。