ボナリ高原ゴルフクラブ | ゴルフ場探訪記 in 福島

ゴルフ場探訪記 in 福島

震災と原発事故で大きな打撃を受けた福島県のゴルフ場、様々な歩みを体験リポートする。

ボナリ高原ゴルフクラブ

2014年8月19日(火)


ボナリ高原ゴルフクラブは国立公園に囲まれた景観に恵まれたコースだ。会津磐梯山、安達太良山、吾妻連峰がコースからも一望できる。標高800メートルの高原に展開するコースは戦略性に富む。

中でも3番のロングホールは名物ホールとして知られる。右側には深さ60メートルの断崖が続く。自信があれば崖越えを狙うもいい。2オンが十分狙える。設計したロナウド・W・フリームは「崖越えが成功するば、あとは8番アイアンで磐梯山を狙って2オンだ」といった。


3番①

日経新聞は2012年挑戦意欲を掻き立てられるホール、東日本の第一位にここを選んでいる。「怪物ホールの異名を持ち、断崖越えのスリル、豪快さは比類がない、これほどまでにワイルドなホールを有するコースはほかにはない」と評価した。

アメリカのゴルフ雑誌にも取り上げられた。それを意識してか、自慢する看板も設置された。

自信がなければ崖を敬遠するが、それでも2打目に試練が待っている。1打目で敬遠した深い崖がフェアウエー右側に続く。そして、グリーン手前、左側にアラベスク状にバンカー群が並ぶ。

一たびバンカーにつかまれば、バンカーからまたバンカーへ、一筋縄ではいかないバンカー群に挑戦者たちは打ちのめされる。


3番③

この日、巨匠はまんまとこの地獄のバンカーにつかまった。ボナリの砂は軟らかい。いやになるほど脱出できなるなることがある。ゴルフクラブに込めた力が、砂に吸い込まれて、ボールに伝わらない感覚だ。まさに蟻地獄。巨匠は柔かい砂をものともせずにピンそばに寄せた。巨匠といわれるだけのことはある。


巨匠バンカー
さらに横に細長いグリーン、攻める緊張と壁を乗り越えた時の達成感は格別だ。そして、何よりも各ショットごとに素晴らしい景色が展開するのがいい。ここはその景色を楽しむ余裕が欲しい。


設計したロナルド・W・フリームは「磐梯山のために作ったコース」といった。磐梯山の姿が美しい。背後にはクラブハウスの上空に安達太良の噴火で山頂を吹き飛ばした火口の荒々しい山頂が望まれる。ボナリ高原はそんな山並みを借景にして作られている。




なんといっても秋がいい。日本で一番秋の景色がいいコースだと思うからだ。紅葉が競うようにして山肌を彩る。紅葉讃歌を堪能できる。2番のショートホールは正面の山肌が錦秋織りなす景観を見せてくれる。

2番紅葉

5番と11番のショートホールは彼方に浮かぶ磐梯山めがけて打ち下ろす。すると、その麓にボールが吸い込まれるように見える仕掛けだ。





13番ロング


13番は600ヤードを越えるロングホールだ。

距離が長いだけではない。

グリーンの前には深い窪地があり、そこを越えてグリーンに乗せるのは高度な技を求めてくる。








15番のショートホールも注目だ。ティーグラウンド周辺には尾瀬をイメージした景観が広がる。15番 グリーン手前には大きなバンカーが口を開けている。自然の醍醐味の中にコースがある。それ故に、それぞれのホールが変化に富み、ドラマチックだ。


名人は前回ハーフ30台の自信を胸にボナリ攻略に臨んだ。しかし、景色を楽しむ余裕はなかった。開眼したと思えたショットも影を潜めた。あれは幻だったのか、ゴルフは幻を見るゲームでもある。錯覚カモ知れない。名人はその「錯覚」と「開眼」の落差を埋めきれないままだった。


粋人はボナリがホームコースである。何度となく、打ちのめされ、次の制覇を誓う、そんな思いを掻き立ててくれるコースだ。それ故にボナリ高原ゴルフクラブの誕生には思い入れが強い。


ボナリ高原はかつて、硫黄鉱山の跡である。

日本硫黄沼尻鉱山は昭和45年まで、硫黄を採掘していた。年間の算出量は1万7000トン。しかし、石油から硫黄が精製される硫黄の登場で、閉山に追い込まれた。その後に朽ち果てた鉱山の施設と残骸の捨て場だけが残った。

名物ホール3番ロングホール付近には、鉱山の職員社宅と精錬所があった。18番グリーン付近には長屋の住宅があった。16番のグリーンは鉱山残滓の捨て場と旧精錬所だった。

そんな場所がゴルフ場として甦ったのである。

昭和62年、磐梯ナショナルリゾートパークが鉱山跡地を買収、

平成3年、コースの工事に着手した。鉱山跡地をグリーンの芝で覆う大改修工事であった。土地改良のためにコース全体に1メートルの客土を行い、フェアウエィやグリーンはベントグラス、セミラフはブルーグラス、アメリカ仕様に仕立て上げられた。


クラブハウスはアメリカ西部の牧場の牧舎を思わせる建物、
クラブハウス
設計はペブルビーチの建築家ウイル・ショーである。


鉱山跡地からゴルフ場に生まれ変わったボナリ高原ゴルフクラブ、平成17年、「環境の世紀にふさわしいゴルフ場」として、林野庁長官賞を受賞した。



ボナリ高原ゴルフクラブは2001年(平成13年)に開場した。

ボナリ高原ゴルフクラブを経営していた磐梯ナショナルパークリゾートは会社の財務状況を理由に、他の企業にゆだねるとして、2006年(平成18年)不動産投資会社のレイコフグループに売却した。

しかし、レイコフグループは2008年(平成20年3月)に民事再生法の適用を大阪地裁に申請、その後自己破産した。これに伴い、ボナリ高原ゴルフクラブを運営していたレイコフの子会社ホスピタリティインベストメントも破産申請をするに至った。

2009年(平成21年)、ボナリ高原ゴルフクラブを川島グループが取得、100%出資の子会社「ボナリ高原ゴルフクラブ」が運営している。譲渡価格は推定で数億円といわれている。

川島グループは中部地区を中心に金やアルミニウム・銀などのリサイクルをして、全国に事業展開している。川島グループはボナリ高原とおなじ系列にあった大村湾カントリー倶楽部も2013年傘下に収めている。